区内観測所
1923年(大正12年)8月6日、徳島県の区内観測所「撫養」で最高気温42.5℃が観測されていることはその筋では有名な話です。区内観測所の最高気温&最低気温には次のような記録があります。
| 42.5℃ | 徳島)撫養 | 1923/08/06 | |
| 42.0℃ | 静岡)水窪 | 1914/07/30 | |
| 42.0℃ | 福井)東郷 | 1931/08/09 | |
| 41.8℃ | 愛知)豊田 | 1942/07/24 | |
| 41.5℃ | 栃木)烏山 | 1926/08/03 | |
| 41.2℃ | 三重)桑名 | 1923/08/15 | |
| 41.1℃ | 静岡)気多 | 1946/07/16 | |
| -41.5℃ | 上川)美深 | 1931/01/27 | |
| -41.3℃ | 上川)上音威子府 | 1931/01/27 | |
| -41.2℃ | 空知)母子里 | 1978/02/17 | |
水窪はJR飯田線に水窪駅があり、東郷もJR越美北線に越前東郷駅がありますので、たぶんその近辺なのだと思われます。区内観測所とはアメダスの無人観測が始まる前に気象庁が外部委託していた観測所です。
多くの場合の委託先は今の市町村役場(の支所)など公的機関ですが、アメダス日吉の前身のように民間委託のケースもあります。観測所と言っても、百葉箱と雨量計とせいぜい雪尺があるだけの簡易なものだったはずです。
42.5℃が観測されたらしい1923年当時は、毎朝10時(あるいは9時)の定時観測ではなく、最高最低温度計と雨量計の計測とリセット、雪尺設置ならその測定が委託されていたものと思われます。雨量計は自動排水しない貯水型のはずです。
気温に関してはリセットするまで間の最高気温と最低気温しかわかりませんので、データとしてそれほど有益なものでもありません。ないよりマシのレベルです。最高所得者の所得額はその地域全体の所得水準を示す指標にはならないからです。
撫養川は川なのか?
鳴門市の前身となる鳴南市(めいなん-し)は、1947年に撫養町・鳴門町・瀬戸町・里浦村の4町村が合併して市制施行しました。合併前の鳴門町は大鳴門橋が架かる島(下の地図では1つの島に見えますが、厳密には大毛島・島田島・高島の3島)です。

撫養町は今の中心市街地です。1951年に選抜で優勝した鳴門高は学制改革前の撫養中時代以来2回目の出場でした。1961年に長池徳士を擁して選抜初出場を果たした撫養高は戦前の撫養高等女学校で、2度の統合と改称(鳴門第一)を経て今は鳴門渦潮高です。
合併は1947年3月15日でしたが、その年の5月15日には鳴門市に改称しています。よほど不評だったに違いありません。4町村合併後、鳴門市は数度の吸収合併により西に市域を広げています。
上の地図を見ながら撫養川は川なのだろうかという疑問を感じたのでした。南の旧吉野川から北の小鳴門海峡に流れているなら紛れもなく川です。逆だとすれば海峡です。撫養川は吉野川水系の一級河川です。
さて、本題の撫養観測所は当時の板野郡役所に置かれていたようです。あいにく当時の地図を確認できず特定には至りませんでしたが、今の鳴門市役所や保健所付近で間違いはないようです。
【2025/09/30追記】9/29付コメントにあるように、今のNTTが当時の南浜区内観測所ということです(↓)。コメント中、最初のリンク先は1896年(明治29年)測図の地図で、庁舎と塩田が隣接しています。

南浜(撫養)の観測値
1923年当時の隣接している区内観測所は鳴門町高島です。やはり特定はできませんでしたが、今の鳴門市鳴門町高島は鳴門市役所から水平直線距離で4キロ未満です。下の地図では今の鳴門公民館をピンクで示しました。

一方、今の徳島地方気象台は当時は徳島測候所です。当時の所在地は今の徳島城東高校付近です。撫養から12キロほどの距離があります。今の鳴門市役所の所在地は「鳴門市撫養町南浜東浜…」です。
撫養にあった板野郡役所は1923年当時、南浜という観測所名?だったようです。1921年から1925年まで5年間の南浜の各月最高気温平均値と年最高気温は次のとおりです。
| 南浜 | 1921 | 1922 | 1923 | 1924 | 1925 |
| 1月 | 11.2 | 7.1 | 9.4 | 11.1 | 9.8 |
| 2月 | 10.9 | 13.1 | 16.6 | 11.3 | 9.6 |
| 3月 | 13.9 | 13.7 | 21.3 | 11.5 | 14.1 |
| 4月 | 18.5 | 20.3 | 21.3 | 20.5 | 18.4 |
| 5月 | 23.4 | 25.5 | 25.6 | 25.0 | 24.0 |
| 6月 | 24.3 | 30.5 | 27.7 | 26.8 | 27.1 |
| 7月 | 30.6 | 34.7 | 31.0 | 32.4 | 29.9 |
| 8月 | 32.8 | 37.1 | 39.0 | 34.1 | 31.7 |
| 9月 | 29.7 | 31.8 | 29.0 | 29.9 | 28.4 |
| 10月 | 22.7 | 28.3 | 22.9 | 25.9 | 22.9 |
| 11月 | 16.4 | 22.2 | 19.3 | 20.3 | 18.7 |
| 12月 | 12.5 | 11.3 | 13.0 | 13.3 | 13.4 |
| MAX | 36.5 | 40.3 | 42.5 | 37.4 | 34.4 |
1923年南浜の日最高月平均が2月16.6℃で3月21.3℃というのは、8月6日の42.5℃以上に衝撃的です。同年3月の名瀬測候所が同じ21.3℃だからです。西風フェーンで奄美大島以上の日があっても不思議ではありませんが、月平均となると完全に話は別です。
鳴門(高島)の観測値
高島の観測所名?は「鳴門」です。合併前の鳴門町高島ですから当時の市町村名を採用したのでしょう(今も「鳴門市鳴門町高島」ですが、この鳴門町は大字の一部です)。
| 鳴門 | 1921 | 1922 | 1923 | 1924 | 1925 |
| 1月 | 11.8 | 10.4 | * | 11.6 | 9.3 |
| 2月 | 12.7 | 14.3 | 10.9 | 11.0 | 8.6 |
| 3月 | 14.2 | 16.5 | 19.3 | 11.7 | 13.4 |
| 4月 | 19.9 | 22.7 | 21.1 | 19.2 | 17.3 |
| 5月 | 24.3 | 27.2 | 25.7 | 22.3 | 22.9 |
| 6月 | 23.9 | 29.9 | 27.0 | 26.6 | 26.2 |
| 7月 | 30.6 | 33.7 | 35.4 | 32.5 | 29.3 |
| 8月 | 34.2 | 37.5 | 39.3 | 33.0 | 31.0 |
| 9月 | 29.4 | 32.9 | 30.3 | 28.5 | 27.1 |
| 10月 | 25.6 | 28.4 | * | 22.4 | 22.6 |
| 11月 | 19.3 | 23.6 | 18.7 | 16.4 | 17.8 |
| 12月 | 14.3 | 17.3 | * | 12.4 | 12.7 |
| MAX | 37.5 | 40.0 | 40.0 | 37.6 | 34.5 |
1923年8月の日最高気温平均値が39.3℃なのに、年最高が40.0℃ということが本当にあり得るのだろうか、という疑問はあります。8月の最高気温はほぼ毎日39℃台後半で一定だったことになるはずです。40.0℃が28日で33.0℃が3日なら31日平均は39.3℃です。
海により近いのは鳴門です。冬は鳴門のほうが温かいものではないかという気もします。南浜の最高気温月平均から鳴門の数値を引き算してみました。
| 南-鳴 | 1921 | 1922 | 1923 | 1924 | 1925 |
| 1月 | -0.6 | -3.3 | * | -0.5 | 0.5 |
| 2月 | -1.8 | -1.2 | 5.7 | 0.3 | 1.0 |
| 3月 | -0.3 | -2.8 | 2.0 | -0.2 | 0.7 |
| 4月 | -1.4 | -2.4 | 0.2 | 1.3 | 1.1 |
| 5月 | -0.9 | -1.7 | -0.1 | 2.7 | 1.1 |
| 6月 | 0.4 | 0.6 | 0.7 | 0.2 | 0.9 |
| 7月 | 0.0 | 1.0 | -4.4 | -0.1 | 0.6 |
| 8月 | -1.4 | -0.4 | -0.3 | 1.1 | 0.7 |
| 9月 | 0.3 | -1.1 | -1.3 | 1.4 | 1.3 |
| 10月 | -2.9 | -0.1 | * | 3.5 | 0.3 |
| 11月 | -2.9 | -1.4 | 0.6 | 3.9 | 0.9 |
| 12月 | -1.8 | -6.0 | * | 0.9 | 0.7 |
1922年12月は6.0℃差で鳴門のほうが暖かく、2か月後の翌年2月は5.7℃差で南浜が温かいという現象を素直に信じていいものかという感想はあります。地形的には複雑ですが、4キロしか離れていないのです。
徳島(測候所)の観測値
徳島測候所の観測値は次のとおりです。
| 徳島 | 1921 | 1922 | 1923 | 1924 | 1925 |
| 1月 | 11.0 | 7.8 | 8.9 | 10.7 | 9.8 |
| 2月 | 10.9 | 12.4 | 9.6 | 10.4 | 9.0 |
| 3月 | 12.6 | 13.3 | 15.9 | 11.3 | 13.6 |
| 4月 | 19.4 | 19.3 | 18.8 | 20.0 | 17.9 |
| 5月 | 23.1 | 24.1 | 23.4 | 22.9 | 23.6 |
| 6月 | 23.4 | 28.1 | 26.2 | 26.5 | 26.8 |
| 7月 | 29.8 | 30.2 | 29.9 | 31.8 | 29.6 |
| 8月 | 32.4 | 33.5 | 34.0 | 32.6 | 31.2 |
| 9月 | 26.9 | 29.7 | 28.5 | 28.6 | 28.0 |
| 10月 | 22.8 | 23.7 | 23.1 | 22.5 | 23.0 |
| 11月 | 16.3 | 17.8 | 17.6 | 16.9 | 18.5 |
| 12月 | 12.3 | 11.9 | 12.9 | 12.1 | 12.9 |
| MAX | 33.7 | 36.6 | 37.0 | 36.0 | 35.8 |
同じように南浜の数値から徳島を引き算しました。
| 南-徳 | 1921 | 1922 | 1923 | 1924 | 1925 |
| 1月 | 0.2 | -0.7 | 0.5 | 0.4 | 0.0 |
| 2月 | 0.0 | 0.7 | 7.0 | 0.9 | 0.6 |
| 3月 | 1.3 | 0.4 | 5.4 | 0.2 | 0.5 |
| 4月 | -0.9 | 1.0 | 2.5 | 0.5 | 0.5 |
| 5月 | 0.3 | 1.4 | 2.2 | 2.1 | 0.4 |
| 6月 | 0.9 | 2.4 | 1.5 | 0.3 | 0.3 |
| 7月 | 0.8 | 4.5 | 1.1 | 0.6 | 0.3 |
| 8月 | 0.4 | 3.6 | 5.0 | 1.5 | 0.5 |
| 9月 | 2.8 | 2.1 | 0.5 | 1.3 | 0.4 |
| 10月 | -0.1 | 4.6 | -0.2 | 3.4 | -0.1 |
| 11月 | 0.1 | 4.4 | 1.7 | 3.4 | 0.2 |
| 12月 | 0.2 | -0.6 | 0.1 | 1.2 | 0.5 |
1923年8月6日の徳島測候所の最高気温は33.6℃です。12キロ離れた南浜の42.5℃とは8.9℃差です。去年7月に静岡で40.0℃を観測した日、14キロ離れたアメダス清水の最高気温は33.0℃でした。こちらは7.0℃差です。
1923年の徳島の夏が暑かったことは否定できません。42.5℃については「信じるか信じないかはあなた次第です」の世界のようにも思えます。屋久島の湿度0%より信憑性はありますけど…。
【2025/09/29追記】1923年3月と8月の撫養の日最高月平均については異常値認定します。→「撫養(南浜)の42.5℃はゴミ焼却が原因ではないか説」
ただし、42.5℃を否定するものではありませんし、まして他の区内観測所の記録まで否定するつもりはありません(調べていませんから…)。





コメント
1923年8月6日の天気図を見るとhttps://agora.ex.nii.ac.jp/cgi-bin/weather-chart/show.pl?type=as&id=19230806_1&lang=ja
徳島沿岸は東風、海風だったと思われます。
またある地点で記録的高温が出た日はある程度広範囲でもそれなりの高温が出ていることが(清水のように近隣の観測所が低温でも)多いです。2024年7月7日は静岡以外にも甲府39.3℃、岐阜37.7℃、名古屋37.7℃、彦根37.3℃(歴代3位)、関東ですが前橋38.5℃などそこそこな高温が出てます。しかし1923年8月6日は洲本33.5℃、多度津32.6℃、高知32.1℃、宇和島35.4℃、大阪34.3℃とあまり高温が出ている官署がないんですよね。私はやはり42.5℃は限りなく怪しい(もちろん絶対とは言い切れませんが)と思います。
月平均が異常値(疑い)だと、個別の観測値はますます疑われますね。
横からすみません。大正12年当時の「南浜」の観測所が置かれた板野郡役所は、今昔マップによると現在の「NTT西日本 鳴門電話交換所」に相当します。
https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=34.175480&lng=134.606359&zoom=17&dataset=tokushima&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2
スタンフォード大学所蔵の戦前の地図だと、この場所は撫養町町役場となっております。地図だと鳴門線に取り囲まれていますが、鳴門線自体は1916年に開通したものの、現在の撫養駅から現在の鳴門駅まで延長したのは1928年のことで、1923年当時はまだ鉄道は工事中です。
https://hgis.pref.miyazaki.lg.jp/hinata/hinata.html#16/34.173713/134.607048&l=%5B%5B%7B%22n%22:%22pale%22,%22o%22:1,%22z%22:-2%7D,%7B%22n%22:%22MapWarperStanford%22,%22o%22:0,%22z%22:0%7D%5D,%5B%7B%22n%22:%22pale%22,%22o%22:1,%22z%22:641%7D%5D%5D
一応1923年当時に区内観測所が置かれていた場所の変遷をまとめると、1924年に郡役所が廃止されると、その跡地に撫養町の町役場が移転、そのまま戦後に鳴門市の市役所、やがて市役所が他の場所に移転するとここに電電公社が置かれ、そして現在のNTT西日本の鳴門電話交換所となった、ということです。
一方「南浜」の観測所の方は1940年から1941年の間に「撫養」へと名称が変更になっています。戦後の記録から、区内観測所は撫養町役場から撫養町大字村崎の日本専売公社鳴門支局へ移転しており、おそらく観測所の名称の変更は移転にともなうものと推察します。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1374251/1/73
最終的に「撫養」の観測所が廃止になった年月日は分かりませんが、下の資料のように、「撫養」と「鳴門」の区内観測所が共存していた時期があるため、「撫養」廃止後には「鳴門」にデータは引き継がれませんでした。
https://dl.ndl.go.jp/pid/1374615/1/62
さて気温の方ですが、1923年当時の徳島県の管内観測所(区内観測所)は中央標準時で午前10時1回とし、その際に最高温度計、最低温度計の数字も読み取り、リセットしていたようです。以下の「徳島県気象年報 大正12年」に一応南浜の42.5 ℃の言及はあるんですが、やはり数字は怪しいと思います。
https://dl.ndl.go.jp/pid/984485/1/5
実は以下の掲示板の方で区内観測所での40.0 ℃以上の記録を集めてみたのですが、すでにこれだけでデータ件数は200を超えた上、あからさまに怪しいデータもあります。実は42.5℃を超えるデータも数多くあるんですが、なぜ2007年までの気象年鑑では撫養の記録を半公式として扱い、他を排除したのか、その基準が全く不明です。2007年までの気象年鑑に載っていた豊田の41.8 ℃の記録なんぞは、区内気象観測原簿では36.8 ℃に後から修正されています。
https://uub.jp/frm/115400.html#115457
なお1942年8月2日当時、名古屋では最高温度計で40.0 ℃を観測していたにも関わらず、1942年8月の気象要覧の時点での公認の最高気温は、紙に直接記録された14時51分の39.9 ℃であり、40.0 ℃を公式記録として扱いませんでした。
https://uub.jp/frm/115400.html#115457
ご丁寧にありがとうございます。