アメダス引田
2019年7月10日と11日の最大瞬間風速1位は東かがわ市南野のアメダス引田でした。香川県の観測ポイントが1位になるのは、少なくとも2019年では初めてです。「引田」の地名は各地にありますが、JR五日市線の武蔵引田駅のように「ひきだ」が一般的です。
宮城県大崎市古川 | ひきた |
栃木県鹿沼市 | ひきだ |
群馬県前橋市富士見町 | ひきだ |
千葉県いすみ市 | ひきだ |
千葉県市原市 | ひきだ |
東京都あきる野市 | ひきだ |
香川県東かがわ市 | ひけた |
東かがわ市の「引田」は「ひけた」です。JR高徳線の引田駅は讃岐引田駅ではありません。引田インターチェンジ、引田小学校、引田中学校、引田郵便局、引田交番はオンリーワンです。播磨灘に面する引田港があり、戦国時代には引田城も築城されています。もっとも有名な「引田」です。
東かがわ市は2003年に3町が合併して成立した香川県東端の自治体です。アメダス引田は標高12mで、徳島県境まで3.3キロ、瀬戸内海から1km足らずです。馬宿川(うまやどがわ)の下流になります。最大瞬間風速は2日とも南東の風ですから讃岐山脈からの吹き降ろしです。
アメダス引田の2020年の観測値は次のとおりです。さすがに平均風速はそれなりに高めです。
年降水量 | 1172.5ミリ | 1073位 | /1293地点 |
年平均気温 | 16.5℃ | 200位 | /922地点 |
年最高気温 | 36.8℃ | 295位 | /922地点 |
年最低気温 | -1.8℃ | 164位 | /922地点 |
年較差 | 38.6℃ | 739位 | /922地点 |
年平均風速 | 2.7m/s | 258位 | /921地点 |
年日照時間 | 2130.5時間 | 96位 | /841地点 |
アメダス財田
一方、2019年7月11日の最高気温1位は三豊市財田町のアメダス財田(さいた)でした。「財田」の地名は北海道洞爺湖町にありますが「たからだ」と訓読みします。岡山市中区の財田小学校は音読みで「さいでん」です。
三豊市(みとよし)は2006年に三豊郡7町が合併して成立しています。西隣は観音寺市で、その隣が愛媛県です。アメダス財田の露場の標高は65mです。南に財田川が流れており北には標高100mクラスの山があります。観測地点は南斜面ということになります。
アメダス財田の2020年の観測値は次のとおりです。年平均気温は標高の低い引田のほうが高いわけですが、最高気温に関しては財田のほうが高くなっています。引田の観測史上1位は1984年8月13日の37.0℃ですが、財田では38℃台が過去3回あります。
年降水量 | 1276.5ミリ | 994位 | /1293地点 |
年平均気温 | 15.7℃ | 301位 | /922地点 |
年最高気温 | 38.0℃ | 115位 | /922地点 |
年最低気温 | -3.1℃ | 257位 | /922地点 |
年較差 | 41.1℃ | 574位 | /922地点 |
年平均風速 | 1.0m/s | 866位 | /921地点 |
年日照時間 | 1897.2時間 | 298位 | /841地点 |
財田川事件
確定した死刑判決が再審で無罪に覆った冤罪事件は4例あります。財田川事件もそのうちの1つです。1950年に当時の財田村で起きた強盗殺人事件が発端ですが、事件そのものと財田川は無関係です。犯人が凶器を財田川に捨てたわけではありません。
冤罪事件は島田事件、松山事件、弘前事件のように地名で呼ばれるか、吉田岩窟王事件、加藤老事件、免田事件、袴田事件のように冤罪被害者の姓を冠するのが一般的です。
- 1950年2月 財田村で強盗殺人事件発生
- 1950年4月 隣村農協の強盗傷害事件で逮捕
- 1950年6月 農協事件の有罪判決
- 1950年8月 本件で起訴
- 1952年2月 高松地裁丸亀支部で死刑判決
- 1956年6月 高松高裁が控訴棄却
- 1957年1月 最高裁が上告棄却(死刑確定)
- 1958年3月 第1次再審請求棄却
- 1964年3月 再度の再審を求める手紙を送るも裁判所内で5年間放置
- 1972年9月 第2次再審請求を丸亀支部が棄却
- 1974年12月 第2次再審請求の即時抗告を高松高裁が棄却
- 1976年10月 最高裁が地裁に差し戻し
- 1979年6月 高松地裁が再審開始の決定
- 1981年3月 高松高裁が検察側の即時抗告を棄却(再審確定)
- 1984年3月 高松地裁で無罪
Wikipedia「財田川事件」のページには次のように記述されています。再審を棄却した裁判官に確信はなかったわけです。
地名の「財田」ではなく川の「財田川」と呼称する由来は、1972年に再審請求を棄却した裁判所の文言で越智伝判事が「財田川よ、心あらば真実を教えて欲しい」と表現したことである。
Wikipedia>財田川事件
実際には「心あらば」ではなく「心あれば」だったようです。文学的には「ら」でしょうが、いわば判決に相当する裁判の文書ですので、そのままのほうが妥当だろうと思われます。
【外部リンク】
■F爺・小島剛一のブログ>財田川よ 心あらば
コメント