阿南市の喫茶店・大菩薩峠は「サグラダファミリア」ではない

阿南市の喫茶店

徳島県阿南市に「大菩薩峠(だいぼさつ-とうげ)」という屋号の喫茶店があります。名称は山奥っぽいものの、JR牟岐線(むぎ-せん)より沿岸を走る国道55号沿いです。所在地としては峠とはまったく無縁で、むしろ南海トラフ地震による津波の想定浸水域にあります。

喫茶店の大菩薩峠

上の最新ストビュー画像は去年の3月撮影です。建物の外壁には蔦の弦が絡まっており、私が訪れた数年前は蔦の葉が元気な季節でしたので、より強固なジブリ感や廃墟感がありました。

この喫茶店は1971年10月の開業ですから、今年でオープン55周年です。ナウシカの連載開始は1982年、ジブリの設立は1985年です。Instagramの日本語サービスが始まったのは2014年、「インスタ映え」の流行語大賞は2017年です。

レンガはオーナーが焼いたもので、建物もオーナーが積み上げ敷き詰めたものだそうです。2Fの裏にはレンガを焼いたと思われる釜もありました。Wiki「大菩薩峠(喫茶店)」のページには次のように記述されています。

レンガ造りのセルフビルド建築である大菩薩峠を建設した島利喜太(しま りきた)は20代の頃、家業の農業を手伝いながら、数年を掛けて日本一周の旅に出た。その旅の中で立ち寄った、山梨県の大菩薩峠の雄大な景色に感銘を覚え、「自分の山にも万里の長城を築きたい」との思いを抱いたという。そして、元々コーヒー好きであった島は、「大菩薩峠」「万里の長城」いずれかの名を持つ喫茶店を地元の徳島県阿南市に開業しようと考えた。

日本一周にもさまざまな形態があります。たとえば四国一周なら、沿岸の国道11号・55号・56号を全踏破すれば4県庁所在地をコンプリートします。足摺岬や今治や大歩危はカットすることになりますが、四国一周だとの主張が必ずしも誇張とは言えません。

山梨県の大菩薩峠

山梨県の大菩薩峠
大菩薩峠(地理院タイルを加工)

山梨県の大菩薩峠は、中央本線の甲斐大和駅からバスが出ている上白川峠駐車場がメジャーな登山口です。日帰り可能な周回コースは初心者でも所要時間は4時間程度とされています。通常想定できる日本一周ルートに大菩薩峠が含まることはまずありません。

島氏の日本一周とは、おそらくバイクによるツーリングなのでしょうが、かなり念入りなコースであったことが窺えます。20代の島氏は農繁期には地元で親の農業を手伝い、農閑期は日本一周の旅に出ていたわけです。

島氏は地主の息子であったに違いないと想像できます。若き日の日本一周を可能にする経済的基盤が実家にあったわけです。この要塞は1966年頃に着工、喫茶店は1971年にオープンしたそうです。店舗入口の鉄扉には「1971」の装飾が施されています。

阿南市の大菩薩峠

厳密には国道沿いの建物ではなく、国道と並行する市道(上の航空写真ではグレー表示)が接面道路です。

国道沿いの駐車場

航空写真の「峠」の文字下に白い車が2台停まっています。街灯の辺りです。昔の画像ではランプが東西南北に4個ありました。今は東西2個が取り外されて、南北2個になっています。

正面の駐車場と街灯

理髪店のサインポールのように、これが点灯されていれば「営業中」、消灯されているなら「営業時間外」なのだと思われます。1人でセルフビルドするなら、この街灯だけでも1日では済みません。オーナーは溶接もやってしまうわけです。

駐車場境界の切り株

駐車場北端には山から切り出したであろう切り株が置いてあります。「大菩薩峠駐車場」との看板もありますので、唯一の公認駐車場です。区画線はありませんが普通車7~8台は停められそうです。この切り株も重機がなければ運べない大きさです。

屋根付き駐車場?

私が訪れたときは資材置き場のようになっていましたが、1F部分にも駐車場的なスペースがあります。ここを客用駐車場と誤認しても咎められることはないものと思われます。車高記載はありませんけど…。2階の丸窓が店です。窓枠は大八車の車輪をリユースしたものだそうです。

ランプウェイ

スロープを上った2階中庭にも駐車場となりそうなスペースはあります。ただ、明示的に客用駐車場だと案内されておらず、住居侵入に問われるリスクはあります。

ランプウェイはヘアピンカーブになっています。スロープの上は道路からは見えませんし、降りてくる車や人がいるかもしれません。ここでスリップしたりして事故を起こすと一般道より話はやっかいです。

スロープ

アーチ状のレンガを見てくぐりたくなるのは私だけではないはずです。レンガ巻きは外形的には経年劣化せず、むしろ時間が経ったほうが味が出てきます。雨上がりの夕刻がベストだと私は思っています。実は見応えがあるのは2階です。

何度も台風が来たはずなのに、椅子を重ねた屋上のオブジェが健在なのに驚きます(4年前に公開された動画に映り込んでいます)。店内は撮影禁止ですから、1階から入って退店時に許可を得て2階を見学&撮影するのが本来のマナーなのでしょう。

廃墟的ではあっても廃墟ではなく、現住建造物のプライベート空間です。私はスロープを徒歩で登って2Fの入口を探しました。1階から階段で入れることは知っていましたが、先に2階を見たかったからです。

客観的には、営業時間外はスロープを封鎖してもおかしくないと思われます。そうすると、オーナー自身が不便になってしまうので、「定休日」看板は自身の通行を妨げない位置なのでしょう。

少なくない入店拒否のクチコミ

机や椅子などの店内の調度品も基本的にオーナーの手作りです。金属加工だけでなく木工もこなすようです。扇子に手書きされたメニューを見たのは私は2店舗目でしたが、値上げのときに煩わしいだろうなとは思いました。

さて、気になるのがこの店のクチコミです。5や4が大半ですが、1の評価も15%ほどあります。Googleマップのクチコミ評価は次のとおりです(3/22時点)。

Googleマップのクチコミ

満席ではないのに入店を拒否されて待つことも拒まれたとの投稿が複数あります。私の記憶違いかもしれませんが、この店はかつて「探偵ナイトスクープ」で小枝探偵か寛平探偵が訪れたのではないかという気がします。

私の記憶はいろいろなものが混ざっているかもしれません。まだ苔や蔦による風格がなかった頃だと思われます。西田局長時代ではなく、初代局長の時代だった可能性もあります。上岡氏の局長時代だとすれば20世紀の放映です。

訪問時もその疑いは感じましたが、確認しませんでした。依頼がどういう内容だったのかも思い出せません。単に、奇天烈な外見の建物に「営業中」の看板があるが何の店か確かめてほしいという依頼だったかもしれませんし、入店拒否に関わる依頼だったかもしれません。

クチコミ1

定食を食べてもアフターコーヒー付きで1000円以内です。たかが赤い羽根レベルの客単価で「金を落とす」と考えるのもずいぶんな「思い上がり」です。むしろ収益最優先の店ではないのだと捉えるほうが合理的です。

クチコミ2

私が訪問したのはコロナ前でしたが、当時の島氏の年齢は米寿手前ということでした。開業した1971年は40歳ぐらいという計算になります。今は90代半ばです。

すでにサグラダファミリアではない

開業後は店のマスターとしてその運営に直接携わった島氏ですが、これには島氏の母親や夫人の意向が反映しているようです。喫茶店が開業した1971年は高知市の沢田マンションで1期工事が始まった年です。

サグラダファミリアは拝観料を、沢田マンションは家賃収入を増築資金に注ぎ込んで増殖を続けました。大菩薩峠では島氏がマスターになってしまったことで、開業後の増築は失速しました。持続可能性を考えるなら、店か増築のどちらかを誰かに任せるべきだったのかもしれません。

Wikiの引用部分は徳島新聞が元記事のようですが、そもそも島氏は自分の山にも万里の長城を築きたい」という思いに駆られて、それを(半ば)実現しました。2代目の現マスターは島氏のジュニアということです。

接客態度への不満は理解できなくもありませんが、初代の島氏は自分がやりたいことをやっただけです。ジュニアやましてその夫人は別人格です。初代のモチベーションがあろうはずがありません。

私はごく普通に接してもらいましたし、それなりに話も伺いました。ジュニア夫妻は接客業に従事した経験もなければ、接客業に就きたいと思ったことさえなかったかもしれません。法人化されている様子はありませんが、2人で10時間営業なら連日の「時間外」労働が必至です。

この喫茶店は外見上では飲食施設であることをまったくアピールしていません。客単価を上げようという価格設定でもありません。回転率を上げようという意識もないはずです。千客万来を志向するスタンスでないことは明らかです。

一応はロードサイドですが、常時集客が見込める立地ではありません。非電化路線の牟岐線はこの付近では2時間に1本です。ピーク時勤務の都合のいい短時間パートが見つかったとしても、パート代を出せるほどに利益が増えるわけではありません。

店のメニューを値上げすれば、地域の常連客を失うことになりかねません。これらの諸々の事情を勘案すれば、多忙時に一見客の待ちを認めずお帰り頂くのも考え方としては「あり」です。

スロープから上については入館料を徴収し、それを人件費に充当すれば解決しそうな気もしますが、今の外観を損ねることなくそれを実現するのは構造的に難しそうです。

大菩薩峠は「徳島のサグラダファミリア」とも称されてきましたが、私が尋ねたところ2代目マスターに増築の意思はないようです。とっくにサグラダファミリアではなくなったはずですが、ネットでは(いわば伝説として)未完成が語り継がれるもののようです。

Wikiには「現在も未完成」とありますが、履歴を確認するとこの「現在」とはページ作成時の2015年8月であり、ソースが示されているわけでもありません。ちなみに、徳島新聞の元記事は2001年のものです。

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