◆私がライブで見た2000試合弱の中でのベストゲームです。もしも、この試合を私がエイリアンと見ていたら、私はきっと彼(または彼女、あるいは雌雄同体かもしれませんが…)にさりげなく自慢したことでしょう。地球にはこんなに面白いゲームがあるのだ、と。
1994年パ・リーグ開幕戦
打った本人は次のように語ったという。
自分でいうのも変だけど、これは劇的だよね、逆転満塁サヨナラなんて野球選手の夢だよ
『週刊ベースボール』94年4月25日号
それを打つのがプレイヤーにとっての夢なら、それを見るのはファンにとっての夢だ。それは、伊東勤にとってプロ入り通算1000本目のヒットでもあった。
開幕戦だった。対照的な開幕投手だった。力と技、剛と柔。かたや速球とフォークで真正面から打者に立ち向かう野茂。こなた巧みなコーナーワークでバットの芯を外し、走者を出せば併殺で切り抜ける郭。2人の前年の投手成績にもあらわれている。次の表は、93年のパリーグ投手成績15傑の「奪三振率」と「与四球率」を示したものだ。
投手 | 所属 | 投球回 | 三振 | 率 | 四球 | 率 |
工藤 公康 | L | 170 | 130 | 6.88 | 65 | 3.44 |
西崎 幸広 | F | 175 2/3 | 143 | 7.33 | 61 | 3.13 |
野田 浩司 | BW | 225 | 209 | 8.36 | 62 | 2.48 |
白井 康勝 | F | 152 1/3 | 86 | 5.08 | 85 | 5.02 |
長谷川滋利 | BW | 159 2/3 | 86 | 4.85 | 48 | 2.71 |
伊良部秀輝 | M | 142 1/3 | 160 | 10.12 | 58 | 3.67 |
石井 丈裕 | L | 191 2/3 | 144 | 6.76 | 28 | 1.31 |
村田 勝喜 | H | 196 1/3 | 127 | 5.82 | 81 | 3.71 |
武田 一浩 | F | 170 1/3 | 125 | 6.6 | 53 | 2.8 |
星野 伸之 | BW | 185 1/3 | 153 | 7.43 | 52 | 2.53 |
小宮山 悟 | M | 204 1/3 | 160 | 7.05 | 71 | 3.13 |
郭 泰源 | L | 133 1/3 | 88 | 5.94 | 26 | 1.76 |
佐藤 義則 | BW | 142 | 99 | 6.27 | 55 | 3.49 |
柴田 保光 | F | 131 2/3 | 76 | 5.19 | 34 | 2.32 |
野茂 英雄 | Bu | 243 1/3 | 276 | 10.21 | 148 | 5.47 |
▲『ベースボール・レコード・ブック』1994年版をもとに算出しました。それぞれの率は、防御率と同様に計算した9イニング(27アウト)当たりの奪三振数と与四球数です。死球は算入していませんが、故意四球は含みます。
異なるタイプの投手だから、表と裏でメリハリのきいた試合になる。「表」と「裏」を誰が名付けたのか感心したくなる。これが野茂と伊良部だと、ボールがバッテリー間を往復するだけだから、そのうちじれったくなる。郭と長谷川では、味わい深いけれども遠くで見ていると、ちょっと物足りない。
4回まで11奪三振の野茂
いずれにせよ、両者はそれぞれの持ち味を発揮して見応えのある投手戦を展開した。掛け値なしにトップレベルの2人の直接対決だから、当たり前のことではある。
▲「S」は見逃しストライク、「K」は空振り、「F」はファウル、「B」はボール、「H」はインプレイの打球です。
郭は初めて開幕投手を務める緊張感があるのだろうか。珍しく微妙なコントロールに苦しんでいるように見えた。それでも、バファローズの走塁ミスにも助けられて、走者は許しながらも三塁は踏ませていない。
一方の野茂は、いつもどおりにフォアボールか三振かという立ち上がりだった。なんと1回から4回までの12アウトのうち11アウトを三振で奪っていた。ここまで徹底してくれると、スコアをつけていても楽しい。
当時、NPBの奪三振記録は1試合「17」だった。残りはまだ5イニングもあるのだ。あと6個でタイ記録、7個以上なら新記録だ。十分に期待は持てる。気がかりなのは投球数が多いことだが、まあ、(当時の)野茂にとってはいつものことだ。
早打ちに転じたライオンズ
野茂の4回までの異常な奪三振ペースは、5回以降めっきり失速した。奪三振記録は大きく遠ざかってしまった。野茂の配球も変わったのだろうし、ライオンズもファーストストライクから打つようになった。
4回まで野茂が投じた球数は81球、5回から8回までの同じ4イニングでは49球だった。このうち空振り、ファウル、打球の合計は23球と25球だ。スイングの割合は28%→51%になっている。
1~4回 | 81球 | 打者のスイング23球 | スイングの割合28% |
5~8回 | 49球 | 打者のスイング25球 | スイングの割合51% |
1回から4回までライオンズは打者16人を送った。ストレートの四球だった2回の吉竹を除く15人のうちファーストストライクに反応したのは3人しかいなかった。5回から8回までは14人の打者を送った。そのうちの8人がファーストストライクをスイングしている。
1~4回 | 打者16人 | 第1ストライクをスイングしたのは3人 |
5~8回 | 打者14人 | 第1ストライクをスイングしたのは8人 |
5回から8回までの12アウトのうち8つのアウトは内野ゴロによるものだった(送りバントを含む)。ライオンズは明らかに早打ちに転じていた。それは奪三振記録を遠ざける結果をもたらしたが、同時にヒットも遠ざけていたのかもしれない。
ある意味では野茂を救っていた。8回を終えて130球だから、まあ妥当な数字だ。とりたてて多くはない。奪三振記録への期待がしぼむにつれて、ノーヒットノーランへの期待がふくらむ。
ゼロ行進
野茂の奪三振やノーヒットノーランばかりに目を奪われてしまってはいけない。郭は中盤以降、すっかり自分のペースを取り戻していた。バファローズは、5回から8回まで三者凡退を重ねて、この間1人の走者さえ出すことができずにいた。
5回から8回まで両チームともヒットはなかったので、試合は淡々と進んだ。いい傾向だと最初のうちは思っていた。なぜなら、私は18時開始予定の東京ドームの前売りチケットも持っていたからだ。できれば試合時間は3時間そこそこにしてほしい。
しかし、両チーム無得点だ。延長になってしまうと、セリーグ開幕戦には間に合わないかもしれない。別にタレントの始球式を見たいわけではないけれども、遅くともプレイボールまでには球場に着きたい。考えることはあれこれあるのだ。0対0で試合は9回に入る。
9回表
上のライオンズのオーダーを見て、「おやっ?」と感じていた人は鋭い。そうなのだ。辻発彦がいないのだ。辻は1988年から前年までパリーグのゴールデングラブ賞二塁手部門を独占していた。守備だけでも見たいと思わせる数少ない選手だ。
飛車角ではないかもしれないけれど桂馬は欠けていた(故障で欠場)。このため、ライオンズのセカンドは、本来は三塁手である新外国人選手・パグリアルーロが任されていた。8回までに守備機会は3度(記録上は4度)あった。
まず、2回表一死一塁、村上のショートゴロで田辺の送球を受けて一塁に転送(併殺完成)。次に3回表無死一塁、吉田の送りバントを処理した郭の送球をカバーに入った一塁で受けた。そして、4回表無死二塁では石井のセカンドゴロをファンブルしている(二塁走者が三塁でアウトになったのでエラーはつかない)。
まあ、不慣れなポジションなのだから、危なっかしいのは無理もない。9回表、先頭打者の内匠がその弱点を突いた。初球からセーフティバントを試みたのだ。まんまと成功した。同点の9回で先頭打者が出たのだから、送るのは当然のことだ。大石が2球目で決めた。通算200犠打だそうだ。
これで一死二塁、打席にブライアントを迎える。ライオンズとしては無理にブライアントと勝負することもない。これも当然のことだ。定石どおりに塁を埋めて一死一・二塁。
バファローズの4番は石井浩郎だった。2球目までボールのあと、内角に甘く入った3球目を左中間スタンドに運んだ。ライオンズの敬遠策は裏目に出て、とうとう均衡が破れた。しかも3点だ。
実はこのときまで、私は0対0で延長に入る試合を見たことがなかった(この年の5月が最初)。ひそかに期待していた。奪三振記録が消えて、0対0の延長も消えた。まあ、いい。まだノーヒットノーランがあるさ。
ノーヒットノーランの確率
「百里を行く者は九十里を半ばとす」という名言がある(もとは『戦国策』であるらしい)。ものごとは最後の仕上げが肝心だし、最後こそ困難を伴うものだから、百里の道を行こうとする者は九十里に達したあたりでようやく半分まで来たとその程度に心得て気を引き締め直せ、というような意味だ。
ノーヒットノーランの確率とは、どの程度だろうか。打率を2割5分とすると、(1-0.25)の27乗で、27連続アウトの確率を求めることができる。もちろん、実際にはエラーや振り逃げによる走者が出たりするし、四死球もあるから計算どおりにはいかない。
盗塁死や牽制死や走塁死もある。だいたい、9人全員の打率が2割5分というチームがあるわけがない。しかしまあ、とりあえず計算する価値はある。
0.75の27乗は0.0423%だ。0.75の24乗は0.1003%だから、8回終了までノーヒットにおさえていたピッチャーが、ヒットを打たれずに残りの3アウトをとる確率は、半分に満たないことになる。
8回までノーヒットノーランで来て、初めて道半ばなのだ。そこで、野球界には次のような「格言」がある(今、私が作ったばかりだ)。
「ノーヒットノーランを目指す投手は8回終了を半ばとす」
さて、試合に戻ろう。3点をリードしたバファローズは守備を固めた。レフトの鈴木貴久に代えて中根仁、殊勲の石井に代えてサードには中村紀洋。この日は右から左に、あるいは右翼席から三塁側席に向かって、強い風が吹いていた。左方向の守備を強化したのはうなずける話だ。
クレオパトラの鼻
9回表、先頭打者は清原和博だった。風からすれば、内角を避けて外角勝負という読みもあっただろうし、向こうの4番が打ったのだからという意地も持ち合わせていたはずだ。1-2からの4球目、外のボールを逆らわずにライト後方に運んだ。
バファローズのライトは内匠政博が守っていた。清原とは高校時代のチームメイトだ。内匠はプロ野球選手としては小柄だ。選手名鑑では170cmにすぎない。内匠が懸命に差し出したグラブをかすめるようにして、ボールは人工芝に弾んだ。とうとう野茂のノーヒットは途切れた。
別に私は落胆しなかった。先の格言どおりだ。ノーヒットノーランなど何度も見られるものではない。だからこそ価値があるのだ。この日の夜のスポーツニュースでは、江川卓氏がこの場面こそが交代時期だったと指摘していた。
一理ある。バファローズのベンチは動かなかった。マウンドにも行かなかった。続く鈴木健を歩かせたところで、鈴木監督がマウンドに向かった。野茂は石毛をレフトフライに打ちとった。一死一・二塁だ。
ここで森監督が動いた。吉竹の代打にもう1人の新外国人選手・ブリューワを起用した。フルカウントからの6球目、それは緩いセカンドゴロだった。併殺は難しいかもしれない。セカンドの大石をあせらせる打球だった。ボールはグラブからこぼれた。一死満塁だ。
野茂が降板
次のバッターは伊東だ。前の3打席、野茂は伊東に対してすべて四球を与えている。野茂からすれば相性の悪い打者なのだ。この日のライオンズのスタメンで野茂が三振を奪えなかった唯一の打者でもあった。野茂はマウンドを降りた。いや、降ろされた。赤堀がブルペンを出た。論議を呼んだ継投でもあった。
翌日のスポーツ紙には、前年の野茂対伊東の対戦成績が載っていた。18打数7安打、得点圏打率は5割。一方、赤堀対伊東は7打数ノーヒット。バファローズのベンチには当然こうしたデータがあっただろう。
そこまで細かくは知らなかったが、ライオンズで野茂に相性がいいのは伊東と笘篠だということは私も知っていた。投手交代は難しいものだし、相性の悪さもわかっていたけれども、心情的な部分では野茂に続投してほしかった。
ピッチャーが赤堀に代わったのだから、もう伊東に打たせる必要はない。3点差で負けている9回裏の攻撃なのだ。正捕手だからといって、そのまま打たせる理由はない。私は代打が出てくることを予感して、ペンを持ったまま構えていた。左の代打が来るはずだ。状況からして安部だろう。
だが、一塁側のベンチは動かない。伊東が右打席に入る。ボール、見逃し、ボールのあと、伊東はファウルを4球続けた。ピッチャーの好投を打線が見殺しにしかけているときの伊東はよく打つ(ような記憶がある)。表面的な打率や打点以上に勝負強いバッターだ。
この日の郭は野茂に勝るとも劣らない内容だった。赤堀の7球目、149キロの速球をファウルした伊東を見ながら、そんなことを考えていた。
逆転満塁サヨナラ
8球目、打球はレフト方向に上がった。ホームランが出れば逆転サヨナラだということは、実はそのときまで気づいていなかった。なにしろ、次から次へと記録への興味をつないできた試合だった。ついさっきまでノーヒットノーランなるか、という緊張感が球場を支配していたのだ。
ホームランが出たらとか、そんなことを考える余裕はなかった。私の思考は伊東への8球目の時点でもまだ現実に追いついていなかった。打球はフェンスを越えて、ポールの内側のレフトスタンドで弾んだ。
試合は終わった。9回表の途中まで間違いなく主役であったはずの野茂は、奪三振記録も作れず、ノーヒットノーランも途絶えた。完封どころか完投もできず、白星にも見放された。サヨナラの4点目は赤堀の失点だから、負け投手にもなっていない。
ナイターの東京ドームで席に着いたとき、私の気分は重かった。もうお腹いっぱいなのに、何の因果でもう1試合見なければならないのだ。昼間以上の試合が見られるはずがないと100%断言できる。竜宮城は「絵にも描けない美しさ」らしいけれども、あんなにできすぎた試合は水島新司氏でも思いつかないだろう。
当たり前のことだが、翌日のスポーツ紙はジャイアンツが1面だった。まあ、松井の2発、落合も打ってアベック弾、おまけに斎藤は5安打完封、11対0の大勝、見出しには苦労しないだろうけれど、この国のスポーツ・ジャーナリズムの貧困さを象徴しているようで寂しかった。
もちろん、彼ら新聞記者に見る目がないのではなく、読者がそうさせているのだ。かつて「この程度の国民には、この程度の政治家」と言い放った大臣経験者がいた。それは真実の的を射た至言でもある。
◆3点ビハインドの9回裏一死ですから、延長を考える余裕はありません。私はてっきり代打だと思っていました。1994年から2001年まで私が見た大学野球344試合688チーム中540チームは先発捕手がゲームセットまで出場していました。(最初の)捕手交代時のイニングと点差は次のとおりです。
点差 | 2回 | 3回 | 4回 | 5回 | 6回 | 7回 | 8回 | 9回 | 延長 | 計 |
+4~ | 2 | 2 | 2 | 5 | 5 | 16 | ||||
+3 | 3 | 3 | ||||||||
+2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 4 | |||||
+1 | 3 | 2 | 5 | |||||||
0 | 1 | 2 | 2 | 3 | 4 | 12 | ||||
-1 | 1 | 2 | 4 | 7 | 11 | 25 | ||||
-2 | 1 | 2 | 8 | 6 | 7 | 24 | ||||
-3 | 1 | 3 | 1 | 2 | 3 | 7 | 17 | |||
-4~ | 2 | 2 | 2 | 9 | 10 | 17 | 42 | |||
計 | 1 | 1 | 3 | 9 | 10 | 30 | 37 | 53 | 4 | 148 |
◆伊東は「強打の捕手」というわけではありません。1993年シーズン終了時点の通算打率は2割4分台です。
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