交通事故における「出会い頭」
「出会い頭(がしら)」という言葉がもっともよく使われるのは交通事故です。2020年「交通安全白書」に掲載されている2019年の事故類型別交通事故発生件数の円グラフは次のとおりです。
出会い頭の交通事故は全体の4分の1を占めています。死亡事故に限ると、正面衝突31.5%、歩行者横断中23.5%に次ぐ3位が出会い頭衝突の12.8%です。互いに左右から直進する車両(自転車含む)同士の事故が出会い頭衝突です。
野球では、まぐれのように見えるヒットが「出会い頭」と表現されることがあります。投手目線で交通事故のようなものというニュアンスの表現です。変化球に対してはあまり使われず、とても打てそうもない速球を見事に弾き返したときに使われることが多いはずです。振らなければ当たることもないぐらいの意味が込められているかもしれません。
野球ではこれとは別に、プロ・アマを問わず審判間で使われる業界用語としての「出会い頭」があります。結論を先に言えば、出会い頭はナッシングです。
1992年西武vsオリックス6回戦
この日の西武ライオンズは清原和博が欠場しており、スタメンは1番セカンド辻発彦、2番ライト平野謙、3番レフト安部理、4番センター秋山幸二、5番DHデストラーデ、6番サード石毛宏典、7番ファースト森博幸、8番キャッチャー伊東勤、9番ショート田辺徳雄でした。
9回裏、先頭の森は7回から登板している酒井勉の2球目をライト前に運びます。森の代走に野々垣武志が起用されました。同点の9回裏無死一塁、99%送りバントの場面です。前年のライオンズは両リーグ最多の170犠打(130試合制)でした。失点を計算できる強力な投手陣を抱えているという背景がありました。
8番の伊東は初球をバントの構えで見送ります。1ボールからの2球目、伊東のバント打球は一塁線に少し転がっただけでした。2-6-4(一塁カバー)のゲッツーだと私は思いましたが、ゲッツーにはなりませんでした。右打席の伊東はホームベースを跨いだあと、どうしたわけか打球の手前で転んでしまい、交錯したキャッチャーの中島聡は伊東にタッチしただけで二塁に投げることができなかったからです。
三塁側ベンチから土井正三監督が出てきて、村越球審に向かいます。やくみつるが「はた山ハッチ」名義で描いていた4コマ漫画では「チャーミー村越」(名前が茶美雄=さみお)と呼ばれていた審判です。残念ながら村越球審の場内説明は要領を得ませんでしたが、「出会い頭」の言葉を聞き取ることはできました。試合はそのまま一死二塁で再開されました。
この日の観衆は1万8000人で発表されています。2割増しなら実数は1万5000人弱です。同点とはいえ西武球場の9回ですから、確実に1万人を切っていたはずです。数千人が残った球場で「出会い頭」の意味を理解できたのは数パーセントだろうと思われます。審判が出会い頭と判断したのなら、ルール上はナッシングです。繰り返しますが「出会い頭」とは業界用語です。
打球処理は守備優先が原則、出会い頭は例外規定
1992年当時のルールブックの索引では「妨害」の項目に「捕手と打者が接触(出合いがしら)」があり、7.09(l)【原注】に導かれていました。
7.09 次の場合は、打者または走者によるインターフェアとなる。
「公認野球規則」1992年版
(l)走者が打球を処理しようとしている野手を避けなかったか、あるいは送球を故意に妨げた場合。<略>
【原注】捕手が打球を処理しようとしているときに、捕手と一塁に向かう打者走者とが接触した場合は、守備妨害も走塁妨害もなかったものとみなされて、何も宣告されない。<略>
打球を処理しようとしているかボールを持って走者をアウトにしようとしている野手と走者との関係では守備側優先となるのが原則ですが、捕手と打者走者の「出会い頭」に関しては例外的にナッシングとする規定があるわけです。
土井監督は次の条項を根拠にゲッツーの成立を主張したのではないかと思われます。
7.09(h)打者走者が、明らかに併殺を行わせまいとして、故意に打球を妨げるか、または打球を処理している野手を妨害したと審判員が判断したとき、審判員は打者走者に妨害によるアウトを宣告するとともに、どこで併殺が行われようとしていたかには関係なく、本塁に最も近い走者に対してもアウトを宣告する。この場合、ボールデッドとなって他の走者は進塁することができない。
「公認野球規則」1992年版
私には伊東が転んだためにキャッチャーの中嶋聡が接触して二塁送球ができなかったように見えましたが、チャミーさんには2人が接触して伊東が転んだと見えたかもしれません(それが真実かもしれません)。いずれにせよ「出会い頭」の説明があったことから、球審としてはナッシングのジャッジだったわけです。
辻がサヨナラ二塁打
続く9番の吉田は3球目を打ってレフトフライ、二死二塁から辻がセンターオーバーの二塁打を放ってライオンズはサヨナラ勝ちしました。
バントした伊東は必死の思いだったに違いありません。9回裏無死一塁の局面が二死走者なしになってしまうのは避けたかったはずです。翌日の新聞には「わざと転んだわけじゃない」という伊東のコメントが載っていました。この試合から30年近くたった今なら、別の答えが聞けるものかもしれません。
ある意味で体を張ったプレイですが、手放しで賞賛できるプレイでもありません。高校野球なら守備妨害で併殺の成立を認めるだろうと思われます。この年の伊東はプロ11年目、レギュラー9年目です。どこまで許されるかという蓄積はあったものと推測されます。
自身がキャッチャーですから中島の動きも想定内でしょう。怪我につながるような転びかたではありませんでした。演技が下手な選手は露骨に抱きついたり覆いかぶさったりしますが、そうしたわざとらしさもなかったはずです。唯一の不自然さは、よりによってそこで転ぶのかということだけです。
転んでいなければ「二死走者なし」だったはずです。たとえ妨害が宣告されてもそれ以上のペナルティはありませんから、試みる価値はあったわけです。アマでは推奨されないとしても、プロでは否定されるプレイでもないというのが私の認識です。
ワンバウンド捕球した外野手がグラブを掲げてノーバウンド捕球をアピールするのはアンフェアな行為でしょうが、落下点に入っていない飛球に対して外野手が手を上げてイージーフライを装い、走者のスタートを遅らせる行為なら否定されるいわれはありません。
◆現行ルールに合致するかどうかの確認はしていませんのでご注意ください。
◆旧「セットポジション」>「殿堂」>「伊東」のページからの焼き直しです。
コメント
お邪魔します。早速、焼き直して頂きありがとうございます。
嬉しくも懐かしく拝見しました。私もスコアブックをやっとつけられる程度は野球を知っているつもりでしたが、こちらを拝見する度に実は知らないことだらけで自分でも驚きました。
ルールの基本など、こちらでずいぶん勉強させていただきました。「振り逃げ」の説明でも
「…打者は走者になるしかなく」等、分りやすく具体的な解説ばかりでした。
「出会い頭」の概念もこちらで初めて教えて頂き、以後ホーム付近でのプレーに注目するようになりました。ありがとうございます。
今回、少し表現が柔らかくなりましたね。確か、以前は
『「わざと転んだわけではない」…聞くだけ野暮と言うものだろう』
の様な感じだった気がします。
実はアーカイブされていますので確認できます。野暮についてはビンゴです。
https://web.archive.org/web/20150803100052/set333.net/itou.html
私が記者でも野暮を承知で聞くだろうと考えて今回は使いませんでした。
アーカイブがあるのも知らずに、随分と失礼なお願いや書き込みをしてしまいました。自分で探してみるべきでした。すみません。
久しぶりに拝見しました。思わず叫びだしたくなるほど興奮しました。
途中にルールを挟んで頂けるのもありがたいですね。また勉強させて頂きました。
ありがとうございます。
案内のページを作るつもりでしたがサボっていただけです。年度内には整備します。
『ランナーの離塁が速く(早くの誤字ではなく原文のまま)誰もいない「サード」の声で一瞬送球が遅れて1塁セーフとなった。』
というような記事も、繰り返して拝見した覚えがあります。
お時間のある時で結構ですので教え頂ければ幸いです。
お騒がせしてすみませんでした。
アーカイブにてみつけました。こちらで暫く勉強します。
楽しみでワクワクしています。