1953年第35回大会
1953年第35回大会は23校出場です。優勝した松山商から辿ると、松商学園が全国大会のウラ優勝校です。松商学園は1回戦から登場していますので、ここまではノーマルな形です。
全国・F | 松山商 | 3-2 | 土佐 |
全国・S | 土佐 | 6-0 | 中京町 |
全国・Q | 中京町 | 2-0 | 宇都宮工 |
全国・2 | 宇都宮工 | 6-4 | 鳥取西 |
全国・1 | 鳥取西 | 4-1 | 松商学園 |
信越・F | 松商学園 | 6-0 | 新潟明訓 |
信越・S | 新潟明訓 | 3-0 | 新潟南 |
信越・Q | 新潟南 | 1-0 | 小諸実 |
長野・F | 松商学園 | 7-0 | 松本市立 |
長野・S | 松本市立 | 5-3 | 小諸実 |
長野・Q | 小諸実 | 5-2 | 屋代東 |
長野・2 | 屋代東 | 1-0 | 赤穂 |
長野・1 | 赤穂 | 2-0 | 上田松尾 |
東信 | 上田松尾 | 10-3 | 望月 |
松商学園は信越代表でした。信越大会は長野・新潟両県のベスト4計8校によるトーナメントです。1回戦(準々決勝)は全カードが長野VS新潟の顔合わせになります。これを遡ると小諸実になりますが、小諸実は長野大会準決勝でも敗退しています。
この年の新潟大会は4代表が決まれば打ち切りでした。あくまでも信越大会の予選に過ぎないというスタンスです。一方の長野は、甲子園には直接関係のない準決勝と決勝を行います。長野県大会の優勝チームを決めたいわけです。ウラ優勝校を辿りたい私にとっては大きな障害となる話です。
途中のグチャグチャは無視して、小諸実を辿っていくしかありません。巡ウラは望月高校になります。
望月高校の15年連続初戦敗退
望月高校は1996年に1勝したのを最後に15年連続初戦敗退しています。しかも、この15年連続初戦敗退は2003年を唯一の例外として、すべてコールド点差という徹底ぶりです(実際にコールドだったかどうかはわかりませんが…)。2012年からは予選に参加していません。最後の5年間では115失点です。
1997年 | 望月0-8 富士見 |
1998年 | 望月0-14 下諏訪向陽 |
1999年 | 望月2-15 塚原青雲 |
2000年 | 望月2-17 中野 |
2001年 | 望月3-13 阿智 |
2002年 | 望月0-18 松川 |
2003年 | 望月2-6 須坂商 |
2004年 | 望月2-12 須坂東 |
2005年 | 望月2-12 飯田長姫 |
2006年 | 望月4-12 北部 |
2007年 | 望月0-19 松本深志 |
2008年 | 望月0-47 長野西 |
2009年 | 望月2-36 辰野 |
2010年 | 望月0-13 赤穂 |
2011年 | 望月0-10 須坂園芸 |
こういうチームは部員不足というのが相場です。同校Webサイトによれば2017年度の新入生は50人だったようです。共学校で1学年50人では野球どころの話ではないでしょう。夏の通算成績は24勝65敗です。
1学年50人
同校の募集定員は1993年に180名から160名に、1996年には120名に、2005年には80名に減少しています。尋常な減り方ではありません。長野県教育委員会のWebサイトで2017年春の受検者数を調べてみました。
前期試験↑は40名の募集定員に対して受検者が18人、後期試験↓は67名の定員に対して34人しか受検していません。
統合案否決の末に
一般的に公立高校は1学年3学級なら統合対象になるはずです。望月の場合は2学級分の定員しかなく、その定員を6割しか埋められていないのが現状のようです。Wikipedia「長野県望月高等学校」のページには次のような記述があります。
2006年9月15日 – 長野県蓼科高等学校との統合案を県議会が否決。
Wikipedia>長野県望月高等学校
青マーカーの望月高校は行政的には佐久市に属します。同じ佐久市内の高校はピンクのマーカーで示しました(▲は私立)。地図では右下に集中しています。隣町とはいえ蓼科高校まで直線距離では5kmであり、妥当な統合案のように思えます。
結局、望月高校は2021年限りで廃校となり、今は長野西高の通信制サテライト校として引き継がれています。需要があるのか心配ですけど…。
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