備後と安芸の府中対決

府中市は東京都と広島県にあり、広島には府中町もあります。広島県府中市の市制施行は1954年3月31日、東京都府中市は翌4月1日です(申請は東京が先とのこと)。

東京都府中市にある「府中」のつく高校は4校です。同一市内ですから、春や秋の都大会につながる地区大会では当たり前のように対戦しているはずです。

  1. 都立府中高校
  2. 都立府中西高校
  3. 都立府中東高校
  4. 都立府中工業高校

ややこしいのは広島の府中高校です。広島には「府中」のつく高校が3校あります。福山市や尾道市に隣接する府中市にあるのが県立府中高校と県立府中東高校、広島市のベッドタウン・府中町にあるのが安芸府中高校です。

  1. 県立府中高校(府中市)
  2. 私立北川工業高校→市立府中東高校→県立府中東高校(府中市)
  3. 県立安芸府中高校(府中町)

府中東は(私立)北川工時代に高橋一三や伊原春樹を輩出しています。府中高校の前身は戦前の府中中学と府中高等女学校ですが、高等女学校は統合前の1年間だけ府中東高校と称しています。

安芸府中が府中や府中東と対戦するのは県大会に限られます。夏は2012年の2回戦で安芸府中VS府中の対戦が実現しています。府中は1971年第53回大会のウラ優勝校です。

  • 桐蔭学院1-0磐城4-0郡山3-2銚子商3-2筑紫工3-2広陵
  • (広島大会)広陵8-0盈進4-1崇徳4-3呉商2-1山陽2-0府中

夏に限れば1度だけ実現した2012年の府中対決の結果、安芸府中はウラ優勝校になっています。

  • 大阪桐蔭3-0光星学院9-3東海大甲府8-4作新学院3-2仙台育英6-3飯塚6-4広島工
  • (広島大会)広島工8-3盈進3-0広島新庄9-0瀬戸内7-4広島商3-1府中4-2安芸府中

府中は1回戦で修道に勝っていますので、この試合に負けても2度目のウラVにはなりません。ウラ決定戦ではなかったのが惜しまれます?が、備後と安芸の府中ダービーは延長戦だったようです。

2012/07/19
府中 100 100 000 2=4
安芸 000 002 000 0=2

沿岸部の三原と内陸部の三次を結べば、おおむね備後と安芸の境界になります。ちなみに、三原駅はJR西日本の広島支社管内であり、東隣の糸崎駅(旧・三原駅)は岡山支社の管轄です。

右のマーカーが1971年ウラ優勝校の府中、左のマーカーが2012年ウラ優勝校の安芸府中です。国道2号線でも山陽本線でも笠岡-福山間では県境という実感はあまりありませんが、トンネルが多くなる三原近辺は県境っぽく感じられます。

第2回と第3回の敗者復活戦を再検討

いよいよウラ優勝校MAPも終盤です。1916年第2回大会と翌1917年第3回大会で行なわれた敗者復活戦について再検討してみました。

第2回では1回戦の敗者6チームから抽選で選ばれた2チームが2回戦で対戦しています。1回戦勝ち上がりのチームは2連勝でベスト4ですが、敗者復活組は1敗後の1勝だけでベスト4です。お得感満載の復活です。

ウラ優勝校はオモテの優勝校から辿っていきます。決勝で慶応普通部に負けたのは市岡中、準決勝で市岡中に負けたのは鳥取中、2回戦で鳥取中に負けたのは中学明善です。ところが、1回戦で中学明善に負けたチームが見当たりません。

もちろん、1回戦の広島商対中学明善戦をスルーして、九州大会へ辿っていくこともできるわけですが、私は抵抗を感じます。連敗の場合はウラ優勝校不成立とします。

一方、第3回の敗者復活戦は事情が異なります。1回戦の敗者6チームから4チームが復活し、1回戦で対戦しています。敗者復活でもベスト4進出には2勝が必要です。そして、第3回の変則トーナメントでは結果的にウラ優勝校がつながります。

決勝で愛知一中に負けたのは関西学院中、準決勝で関西学院中に負けたのは盛岡中、2回戦で盛岡中に負けたのは慶応普通部、1回戦で慶応普通部に負けたのは明星中です。第3回大会については結果的にウラ優勝校を排除する理由がありません。

仮に関西学院中が優勝していた場合は、準決勝で愛知一中に負けたのは杵築中、2回戦で杵築中に負けたのは長野師範、1回戦で長野師範に負けたのは愛知一中です。愛知一中が2度出てくるわけですから、これはさすがにアウトです。

というわけで、第3回については方針転換(→「初代ウラ優勝校は伊丹」)して、ウラ優勝校を認めます。

  • (大阪大会)明星商11-10北野中5-4大阪商17-2大阪貿易

開明中学校・高等学校のWebサイトによれば、「大阪貿易語学校」を称する専修学校が設立されたのは大正3年(1914年)です。昭和23年(1948年)の学制改革で「大阪貿易学院」となり、平成7年(1995年)に現校名に改称しています。

Wikipediaの「開明中学校・高等学校」のページには、「沿革」として次のように記載されています(2017/09/11現在)。

1914年 – 大阪商業会議所(現:大阪商工会議所)が、外国との貿易に携わる人材の育成のため、英語・中国語・ロシア語の語学教育に重点をおく専修学校として「大阪貿易語学校」を、大阪市東区(現・中央区)北久宝寺町に設立。
1922年 – 大阪市北区東野田9丁目(現在の都島区東野田町)へ移転。

1914年から1922年までの短期間、現在の大阪市中央区北久宝寺町に学校があったようです。設置者であった大阪商工会議所のWebサイトでも詳しい所在地はわかりません。赤枠内が北久宝寺町です。

「船場」と呼ばれる地域であり、古地図も当たってみましたが、期間が短いためジャストミートしませんでした。やむなくMAPでは久宝公園にマーカーを打っておきました。

ストリートビューは2016年4月撮影の北久宝寺町2丁目2番街区です。佐川さんのトラックが頭から突っ込んでいます。

2015年3月撮影のストビューです。

「イワサモータープール」の看板があります。トラック1台分の貸駐車場だったのでした。