優勝決定再々リーグ戦

主な大学野球のリーグ戦では勝ち点制(2勝先勝で勝ち点1)が採用されており、勝ち点が並んだ場合は勝率で順位を決めるのが一般的です。

1958(昭和33)年秋の東都リーグ戦は、勝ち点3で5校が並んだうえに勝率でも3校がイーブンという、マニア垂涎の歴史的リーグ戦です。

優勝決定プレーオフは3校リーグ戦です。

58/11/12 プレーオフ第1戦
日本大 100 003 000 =4
中央大 320 500 00X =10

58/11/13 プレーオフ第2戦
日本大 100 000 001 =2
学習大 000 010 000 =1

58/11/14 プレーオフ第3戦
中央大 000 000 110 =2
学習大 000 000 021x=3

第3戦、学習院大は2点のビハインドを8回裏に追いつき、9回サヨナラ勝ちを果たしました。この粘りが混乱に輪をかけることになります。3校とも本編のリーグ戦で連敗した相手にきっちりお返ししているところにも注目です。

3校が1勝1敗で並んだため、プレーオフは再リーグ戦にもつれ込みます。

58/11/19 プレーオフ第4戦(再リーグ戦)
日本大 100 000 000 =1
学習大 000 100 001x=2

58/11/20 プレーオフ第5戦(再リーグ戦)
日本大 000 024 000 =6
中央大 001 000 000 =1

58/11/21 プレーオフ第6戦(再リーグ戦)
学習大 100 000 010 =2
中央大 000 003 00X =3

勝敗がまるっきり入れ替わりました。今では各リーグの秋の優勝校で神宮大会を開催していますが、1958年当時は神宮大会はありません。東映フライヤーズが神宮を本拠地にしたのは1962年です。球場は空いています。

とはいえ、さすがに11月後半はもう野球の季節ではありません。「優勝預かり」の話も出たようですが、結果的に優勝する学習院大は再々リーグ戦を主張したそうです。

58/11/23 プレーオフ第7戦(再々リーグ戦)
学習大 020 020 000 =4
日本大 000 001 002 =3

58/11/24 プレーオフ第8戦(再々リーグ戦)
学習大 010 040 000 =5
中央大 000 000 200 =2

学習院大が東都1部で優勝したのはこの1シーズンだけです。また、このシーズンの首位打者は駒大・太田誠です。

3校リーグ戦連敗によるウラ認定

1940年第26回大会の函館工も1934年の北海商同様にリーグ戦で連敗しています。

  • 海草中2-1島田商6-2市岡中4-0東邦商3-1松江商3-2北海中
  • (北海道大会)北海中4-0札幌一中1-0旭川中7-1函館中
  • (函館予選)函館中9-2函館商15-14函館工

函館予選は3チームによるリーグ戦であり、函館工は函館中にも敗れています。興味深いのは、むしろ1933年の函館予選です。3校リーグ戦は1勝1敗で3チームが並び、再リーグ戦では函館工が連勝して北海道大会初進出を果たしています。

函館工の予選戦績

函館工の初参戦は1933年で、1941年の函館予選は開催されていません。これが戦前の全成績ということになります。対函館商唯一の勝利が、よりによって再リーグ戦の1勝だったわけです。

さて、函館工のWebサイトでは沿革のページを見つけることができませんでした。Wikipediaの函館工のページでは沿革が次のように記載されています(2017/09/04現在)。

1935年に「函館市立商工青年学校に改称」との記載がありますが、1940年の予選を戦ったのは函館市立商工青年学校ではなく、1921年設立の函館区立工業学校→北海道庁立函館工業学校です。

両校は1949年に統合されたようです。Wikipediaの年表は両校の歴史が混在していますので、上のように色分けを施すと理解が早くなります。函館工は1947年に甲子園初出場を果たし、1回戦で臼杵中に勝っています。

ちなみに、函館市の人口は1925年の第1回国勢調査では163,972人で全国9位でした。周辺自治体を合併したあとの1940年は203,862人で全国17位、2015年は265,979人で全国85位です。