南海学園とは

高校野球の選手権大会は今年が第99回でしたが、大会そのものが中止になったのが2大会あります。戦前の5大会は海外のチームにウラ優勝校の権利が発生していますが、私はこれを深追いするつもりはありません。

日本の占領下で日本語による日本式の教育が施されていたわけです。不用意に触れると、外国語のリアクションを頂く可能性があります。私にはそれに対処する能力がありません。

これらの教育機関がどう引き継がれたのか、現在の所在地がわかっても当時の所在地と一致するかどうか確認できません。台湾と韓国はまだしも、中国と北朝鮮に関してはストリートビューもごく限られています。

というわけで、外地を辿るしかない1925年第11回大会、1927年第13回大会、1929年第15回大会、1931年第17回大会、1937年第23回大会の計5大会はスルーするものとします。

また、私の基準でウラ優勝校「不成立」としたのが計15大会あります。この15大会については、ウラ優勝校を辿れないわけではありません。私はイミテーションだと思っていますが、もともとがウラ優勝校を決めるための大会ではないわけです。

一定のルール下で混在してしまう不純物は受け入れざるを得ないのではないかという思いに今は傾いています。そこで、これらの15大会については、「巡」ウラ優勝校として、次回以降ピックアップしていきます。

さて、台北一中は現在の「台北市立建国高級中学」に継承されているようです。「台北市立建国高級中学」の校舎は1908年築とされています。1920年代の台北一中とイコールと考えてよさそうです。

「台北市立建国高級中学」をストリートビューで訪ねてみました。埋め込んだストビューは2017年4月撮影のもので、「台北市立建国高級中学」の向かい側にある「南海学園」です。

これも学校なのかと思いきや、どうやら植物園や博物館や劇場といった付近一帯の文教施設の総称のようです。なるほど、植物園は文字どおりの「学園」です。「学園」で学校を想像してしまうのは日本人だけなのかもしれません。

高野連公式サイトの出場校一覧のページで、「学園」を含む学校名が初めて登場するのは1948年の浅野学園です。現在では単に「浅野高等学校」ですが、当時は「浅野学園高等学校」だったようです。

今年で100周年を迎えたらしい成城学園Webサイト「学園の歴史」のページには次のような記述があります。

1926(大正15)年には旧制7年制の成城高等学校が創られ、第二中学校はその尋常科(4年制)に組み込まれました。翌1927(昭和2)年には5年制の成城高等女学校を開設し、総合学園としての形が整います。この年、財団法人成城学園の設立が許可されました

戦前は学校法人の制度がありませんので財団法人としたのでしょう。成城が「学園」の草分けかどうかはまだわかりませんが、1927年ならかなり古い部類に入るはずです。