1940年第26回大会の函館工も1934年の北海商同様にリーグ戦で連敗しています。
- 海草中2-1島田商6-2市岡中4-0東邦商3-1松江商3-2北海中
- (北海道大会)北海中4-0札幌一中1-0旭川中7-1函館中
- (函館予選)函館中9-2函館商15-14函館工
函館予選は3チームによるリーグ戦であり、函館工は函館中にも敗れています。興味深いのは、むしろ1933年の函館予選です。3校リーグ戦は1勝1敗で3チームが並び、再リーグ戦では函館工が連勝して北海道大会初進出を果たしています。
函館工の初参戦は1933年で、1941年の函館予選は開催されていません。これが戦前の全成績ということになります。対函館商唯一の勝利が、よりによって再リーグ戦の1勝だったわけです。
さて、函館工のWebサイトでは沿革のページを見つけることができませんでした。Wikipediaの函館工のページでは沿革が次のように記載されています(2017/09/04現在)。
1935年に「函館市立商工青年学校に改称」との記載がありますが、1940年の予選を戦ったのは函館市立商工青年学校ではなく、1921年設立の函館区立工業学校→北海道庁立函館工業学校です。
両校は1949年に統合されたようです。Wikipediaの年表は両校の歴史が混在していますので、上のように色分けを施すと理解が早くなります。函館工は1947年に甲子園初出場を果たし、1回戦で臼杵中に勝っています。
ちなみに、函館市の人口は1925年の第1回国勢調査では163,972人で全国9位でした。周辺自治体を合併したあとの1940年は203,862人で全国17位、2015年は265,979人で全国85位です。
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