校門の先はクスノキの並木

1930年第16回の「巡ウラ」優勝校は千葉の茂原農です。

  • 広島商8-2諏訪蚕糸3-0平安中15-0東北中3-2水戸中
  • (東関東大会)水戸中7-4茨城工22-8千葉師範
  • (千葉予選)《千葉中13-6千葉師範》15-1成東中21-3茂原農

2006年4月、茂原農は茂原工との統合で茂原樟陽(もばらしょうよう)高校になっています。旧・茂原農の校地と校舎が統合後の茂原樟陽に引き継がれているようです。

Wikipediaの「茂原樟陽」のページには、旧・茂原工の校地は工業校舎として使用されているかのような記載もあります(2017/09/19現在)。公式サイトを覗いてみた限り、旧・茂原工の校舎が今も使われている形跡はありません。

統合当初の数年間は旧・茂原農が本校舎、旧・茂原工は工業校舎という形で運用されていたのかもしれません。新校名「樟陽」のうち「樟」は、校門を入ったところにあるクスノキの並木に由来するものと思われます。

「姓名分布&ランキング 写録宝夢巣」さんによれば、「楠」姓は全国で864位、「楠木」姓は2734位だそうです。一般的にはクスノキは「楠」と書きますが、どうやらクスノキに「樟」、タブノキに「楠」を当てるのが正解のようです。

クスノキは西日本に多く分布しており、兵庫、佐賀、熊本、鹿児島の4県で「県の木」とされています。上記姓名ランキングでも、「楠木」姓や「楠」姓はやはり西日本に多い苗字です。

京都大学の正門から入った真正面の木がクスノキです。ストリートビューには雪景色の時計台前クスノキがありました。2015年1月撮影のものです。

もう1つ、ストビュー(2013年3月撮影)を埋め込んでおきます。鹿児島県姶良市の蒲生八幡神社境内にある「蒲生のクス」です。根元に木製の格子扉が見えますが、中には8畳分の空洞があるそうです。

樹齢1500年と言われるのは、1123年の神社創建時にすでに存在していたとされているからでしょうが、日本では自生しない(異説あり)というクスノキですから、誰かが植林したことになるわけです。

施設は残れど名前は変わり

2005年第87回大会のウラ優勝校は熊本県立苓洋(れいよう)高校です。

  • 駒大苫小牧5-3京都外大西10-8宇部商5-3日大三9-6前橋商5-3熊本工
  • (熊本大会)熊本工6-5文徳5-2千原台5-3秀岳館7-0熊本農10-2矢部4-1牛深10-0苓洋

苓洋は2.5校の統合により今年3月末に閉校となっています。

  • 苓洋高(天草郡苓北町富岡)→天草拓心高へ統合
  • 苓明高(天草市本渡町本戸馬場)→天草拓心高へ統合
  • 河浦高(天草市河浦町河浦)→園芸科学科が天草拓心高へ統合、普通科は牛深高へ統合

赤マーカーが旧・苓洋高、青マーカーが旧・苓明高(統合後の天草拓心高)、緑マーカーが旧・河浦高になります。

ただし、統合後の天草拓心高は旧・苓明高の校舎を本校舎とし、旧・苓洋高の校舎はマリン校舎として海洋科学科と普通科総合コースを置いています。敷地内には新寮が建築中のようです。

名前が変わっただけで実質的には存続していると言ってもいいのかもしれません。苓洋高は「洋」の字が示すように、もともとは水産高校です。施設的にも全面移転は困難なのでしょう。

同様の動きは他県でも見られます。千葉の銚子水産は銚子商に、大分の海洋科学は津久見に統合されていますが、銚子商水産校舎や津久見高海洋科学校として施設そのものは残っています。

大分県と香川県は水産高校の実習船を共同運行するようです。通年で使うわけでないなら、それも自治体としての知恵なのかもしれません。

なお、旧・苓洋高のある苓北町(れいほくまち)は合併に参加していません。今では天草郡唯一の町です。火力発電所のおかげで財政が比較的豊かなようです。苓北町Webサイトには「苓」についての次のような記述があります。

苓北という名前は天草全土が「苓州」と呼ばれていたことでつけられました。「苓」は「あまくさ(甘草)」を意味し、苓州の北部に位置する町ということで「苓北」と名付けられました。

埋め込んだストリートビューは2013年12月撮影のものです。旧・苓洋高から車で10分強です。あいにく干潮時でなければ拝むことはできないそうです。

旧市名ではなく旧町名が新市名に

1969年第51回大会のウラ優勝校は三重県伊賀市の上野商業です。滋賀県甲賀市の水口高校は1932年の准ウラ優勝校ですから、三役揃い踏みまで雑賀を残すのみです。

  • 松山商4-2(0-0)三沢3-2玉島商7-2仙台商4-1広陵8-7三重
  • (三岐大会)三重5-2県岐阜商8-7伊勢工
  • (三重予選)伊勢工4-3木本7-1明野14-4宇治山田商4-1上野商

上野商は2011年3月末で閉校となり、旧・上野工の校地に上野商と上野農が集約され伊賀白鳳高校となっています。

最新2015年2月撮影のストリートビューでは解体工事です。県立高校なのに解体工事の発注者は伊賀市と表示されていますので、敷地は県から市へ譲渡されたものと思われます。

伊賀市は、2004年11月に上野市を核として阿山郡伊賀町、阿山町、島ヶ原村、大山田村、名賀郡青山町の6自体体が合併して発足しています。平成の大合併で旧市名が退けられて旧町村名が新市名になったケースは数例しかありません。

  • 2005/04【妙高市】新井市、妙高高原町、妙高村
  • 2005/11【霧島市】国分市、溝辺町、横川町、牧園町、霧島町、隼人町、福山町
  • 2006/03【朝倉市】甘木市、朝倉町、杷木町
  • 2006/03【天草市】本渡市、牛深市、有明町、天草町、御所浦町、倉岳町、栖本町、新和町、五和町、河浦町

跡地利用は難題?

1968年第50回大会はオモテの優勝校が興国で、ウラは寒河江工です。

  • 興国1-0静岡商2-0倉敷工6-3広陵8-2岩国商1-0日大山形
  • (山形大会)17-0山形東7-2山形南5-1寒河江5-0酒田商2-0寒河江工

寒河江工は1回戦不戦勝であり、酒田商は1回戦で温海(あつみ)を7対0で破っているため、温海は「准ウラ優勝校」ということになります。

東田川郡温海町は2005年10月に、鶴岡市、藤島町、羽黒町、櫛引町、朝日村と合併しています。この結果、合併後の鶴岡市は面積では東北最大の基礎自治体となり、出羽三山はすべて合併後の鶴岡市に属することになりました。

  • 月山(鶴岡市、庄内町、西川町)
  • 湯殿山(鶴岡市、西川町)
  • 羽黒山(鶴岡市)

山形県立温海高は2002年に鶴岡中央高の分校となり、2012年3月末で閉校になっています。最後の卒業生は7人だったようです。あつみ温泉の下流域です。

埋め込んだストリートビューは2012年9月撮影のものです。奥の4階建てと隣の体育館が分校の建物です。跡地利用について、体育館を(日本最大規模の)映画スタジオにして映画村にしようというプランもあったようです。

実現したというニュースは見つかりませんので、断念したものと思われます。解体費用は約1億円だそうです。Google Earthプロには2015年10月撮影の衛星写真がありますが、校舎はこの時点では解体されていません。再訪が必要なようです。

1964年は水原が「准ウラ」

2004年4月、新潟県蒲原郡水原町(すいばらまち)、安田町、京ヶ瀬村、笹神村(ささかみむら)の2町2村が合併して、阿賀野市が誕生しています。

阿賀野高校の設立は2005年4月です。水原高校と安田高校は2005年度から募集を停止し、2007年3月に両校は閉校となりました。水原高校の校舎が阿賀野高校に引き継がれています。

水原高校は1964年第46回大会の准ウラ優勝校です。

  • 高知2-0早鞆1-0県岐阜商1-0広陵4-2北海6-4富山商
  • (北越大会)富山商6-1高岡商5-2小千谷
  • (新潟予選)小千谷5-3長岡商2-1新潟短大付5-3新潟市工

新潟市工は1回戦不戦勝であり、新潟短大付は1回戦の新潟東工戦を8対0で勝利しています。したがって、新潟東工の先に「准ウラ」の権利が発生します。

  • (下越地区)新潟東工8-3水原

旧・水原町はオオハクチョウの越冬地として有名な瓢湖を抱えています。明治初期には佐渡を除く現在の新潟県のほぼ全域が「水原県」を称していた時期もあります。もともと江戸時代には代官所が置かれていたようです。

埋め込んだのは2014年7月撮影のストリートビューです。羽越本線水原駅から代官所まで徒歩20分強、代官所から瓢湖まで徒歩10分強ですが、羽越本線は2時間間隔の時間帯もあります。

年度途中に学校用地と校舎が競売

夢野久作の小説「ドグラ・マグラ」で、呉一郎が実母を絞殺したのは大正13年(1924年)のことで、場所は「福岡県鞍手郡直方町日吉町」です。直方(のおがた)町は1926年に周辺4村と合併し、1931年に市制を施行しています。

さて、1961年第43回大会は、オモテの優勝が浪商でウラは福岡の直方学園です。

  • 浪商1-0桐蔭5-4岐阜商3-1崇徳4-1新発田農3-2戸畑
  • (福岡大会)戸畑3-1小倉3-2大牟田商2-1八幡中央
  • (北部予選)八幡中央7-1豊津3-2折尾4-3嘉穂東6-3直方学園

直方学園が直方東に改称するのは1997年4月です。その前年の1996年5月、学校法人直方学園は福岡シティ銀行から1億8000万の融資を受け、銀行側は約2万平米の学校用地と鉄筋4階建ての校舎などに極度額3億円の根抵当権を設定します。

返済は滞り、2002年10月に銀行側は競売の申立を行います。この時点で直方東高校の生徒数は35人だったようです。2003年1月の入札は不調に終わりますが、6月の入札により学校法人直方学園は土地建物の所有権を失います。

直方東は年度途中での閉校を余儀なくされたわけです。落札したのは同じ直方市内で大和青藍(やまとせいらん)高校を運営する学校法人大和学園です。大和青藍は直方女子高から2002年に共学化されたばかりでした。

大和青藍が直方東の生徒を土地建物もろとも受け入れたことになります。両校は遠賀川(おんががわ)の対岸にあります。赤のマーカーが落札された旧・直方東の校地、青のマーカーが日吉町にある大和青藍の本校舎です。

旧・直方東高校の周囲をストリートビューで1周しましたが、とくに面白い画像はありませんでした。埋め込んだストビューは2013年4月撮影の「四宮の成金饅頭古町本店」さんの看板です。ふるまち通り沿いにあります。

中央のどら焼き風のお菓子が成金饅頭です。駅前の「大石本家」さんでは直径29cmの成金饅頭を販売しているようです(特注)。

旧・小田原商は小田原城馬出門の正面

小田原商は今の小田原東高です。その所在地は酒匂川の右岸、国道1号線の箱根駅伝コース沿いになります。左端の青マーカーが小田原中継所となる鈴廣さんです。

いたって普通の校舎ですので、ストリートビューは「水曜どうでしょう」の「原付日本列島制覇 東京−紀伊半島−高知」の回で、瞬間的に小田原城と間違われてしまった株式会社ういろうさんです。

埋め込んだのは2014年2月撮影のストビューです。この国道1号線沿いの本店だけでなく、駅前にある「ういろう駅前調剤薬局」にもカフェコーナーがあります。ちなみに、箱根駅伝往路の中継所は2016年までこの付近でした。

さて、Wikipediaの「神奈川県立小田原城東高等学校」のページ(2017/09/05現在)の「沿革」を加工して関連年表を作ってみました。

  • 1921/04/18 足柄村多古に足柄実科高等女学校が創立
  • 1927/05/25 小田原市幸町に私立小田原商業学校が創立
  • 1941/01/30 足柄実科高等女学校が小田原市立実科高等女学校に改称
  • 1943/04/01 小田原市立実科高等女学校が小田原市立高等女学校に改称
  • 1946/08/01 私立小田原商業学校が小田原市立商業学校に改称
  • 1948/04/01 小田原市立高等女学校が小田原市立高等学校に改称
  • 1948/07/18 両校舎が小田原市東町4-12-1に移転
  • 1951/03/10 小田原市立商業学校が神奈川県立小田原商業高等学校に改称、小田原市立高等学校が神奈川県立小田原女子高等学校に改称
  • 1951/04/01 両校が統合して神奈川県立小田原城東高等学校が創立
  • 2008/04/01 神奈川県立湯河原高等学校との統合で神奈川県立小田原総合ビジネス高等学校が創立
  • 2017/04/01 神奈川県立小田原総合ビジネス高等学校が神奈川県立小田原東高等学校に改称

小田原商は1948年第30回大会の准ウラ優勝校です。全国大会におけるウラ優勝校は佐賀県の鹿島一です。西九州大会まで遡ることができます。

  • 小倉1-0桐蔭1-0西京商5-0享栄商11-0鹿島一
  • (西九州大会)鹿島一11-5佐賀一7-2武雄7-0海星

この年の西九州大会は8校のトーナメントです。佐賀4校、長崎と熊本が各2校です。佐賀開催だったのでしょう。各県予選は決勝まで行われており、海星は決勝で諫早に敗れています。

したがって、私のルールではウラ優勝校不在となるわけですが、全国大会の鹿島一は1回戦不戦勝でした。享栄商は1回戦で浅野に勝っています。浅野の先に「准ウラ」の権利が残っています。

  • 浅野3-1逗子開成6-4県川崎2-0横浜商10-2横須賀工9-3横浜一18-8小田原商

神奈川は1代表ですので、こちらはつながります。1948年当時の小田原商は市立だったようです。夏休み前に校舎移転していますので、予選を戦ったときは幸町の校舎だった可能性が高そうです。

小田原市幸町は消滅地名です。バス停などにその痕跡を残しています。ネット上で公開されている古地図に「商業高校」の名前がありました。旧校地は小田原城馬出門から「めがね橋」を渡ったところ(横浜地検小田原支部の南側にある駐車場)です。

予選の日取りまで確認するつもりはありませんので、全国大会開催時の校地ということで、MAPでは小田原東高校にマーカーを打ちました。

1926年は准ウラ優勝校が2校

その性質上、准ウラ優勝校は存在しないときもありますが、複数校出現することもあります。1926年第12回大会の准ウラ優勝校は2校あります。

鳥取一中は2回戦で盛岡中に勝っていますが、盛岡中は1回戦不戦勝です。鳥取一中は1回戦で長崎商を退けていますので、長崎商の先に准ウラ優勝校の権利が発生します。

  • 静岡中2-1大連商1-0和歌山中9-3鳥取一中4-2長崎商
  • (九州大会)長崎商3-2佐賀中3-1大分商5-1東山学院

1校目の准ウラ優勝校は長崎の東山(とうざん)学院です。オランダ坂上の東山手にあったようです。東山学院は戦前に閉校になっていますが、その校舎は「旧スチイル記念学校」として、グラバー邸の近くに今でも保存されているようです。

最新2017年3月撮影のストリートビューは補修工事中でしたので、埋め込んだのは2014年2月のストビューです。海星高校の校舎として使われていたようですが、1972年に現在地に移築復元されたということです。

海星高校は地図の右上です。

芦別商業高校

「難産の子ほど可愛い」というのは、やはり真理です。まあ、一面(半面?)の真理かもしれませんけど…。1984年夏の甲子園決勝は、取手二が延長戦でPL学園を退けて優勝しています。

この年のウラ優勝校は北海道の芦別商です。芦別商は芦別工との統合で芦別総合技術となり、1989年3月末に閉校しています。統合後の芦別総合技術高校は、芦別工の校舎を引き継いだようです。

その芦別総合技術も2006年に芦別高校に統合されています。かつて市内に3校あった公立高校は今では1校のみになっているわけです。芦別市は少しだけ隣接する夕張市同様、炭鉱の街でした。

1920(大正9)年の第1回国勢調査では、空知郡芦別村の人口は約1.5万人です。芦別市役所のWebサイトで確認すると、2017年7月末現在の人口は14.187人ということです。ピーク時には7万人を超えていたようです。

市制施行は1953年ですが、1960年代から炭鉱の閉山が相次ぎ、最後に残った三井芦別炭鉱も1992年には閉山しています。

さて、芦別商はいったいどこにあったのでしょうか。いくら財政難でも閉校から30年近くが経過していますから、校舎が現存するとは思えません。ネット検索してみると、2002年と2007年に撮影された校舎の写真が見つかりました。

  1. 北海道廃校の旅>北海道立芦別商業高等学校
  2. 学舎の風景>北海道芦別商業高等学校

いずれのサイトにも所在地の記載はありませんが、上芦別地区で道路が東西にあることがわかります。写真から背景に山があることも読み取れます。ストリートビューで上芦別を散歩してみました。

芦別商の開校当時の名称は芦別「啓南」高校だったそうですから、上芦別啓南会館の周辺を重点的にパトロール?しました。目をつけた場所もありますが、まだ情報量が不足しています。

最悪の場合は図書館に行けばいいだけのことです。芦別商の所在地はわかるはずです。とはいえ、なんとかネットで解決したいものです。出不精な私はさらに検索を続行しました。

  1. mixi>芦別商業高校 同窓会コミュのトピック一覧
  2. 応援します!北海道コンサドーレ札幌>芦別でキハ40系撮影と懐かしいガタタンを食べる

mixiの投稿によれば、芦別商の校舎は2008年3月に解体されたようです。所在地はまだわかりません。リンク先4の個人ブログには次のような貴重な情報が記載されていました。

ここは、2013年12月に稼働した芦別太陽光発電所(2.1MW)で旧芦別商業高跡地だそうです

一定規模の太陽光パネルが設置されている場所は上芦別に2か所あります。そのうちの1か所は上芦別啓南会館の近くであり、ストビュー上で郵便局前の東西の通りから南を見たときの山の稜線が廃校探訪の遠景写真とほぼ一致します。

山の裾野に見えるのが太陽光発電のパネルです。リンク先1のページの一番下にある写真と稜線が一致しているように見えます。パネルは「業務スーパー」の株式会社神戸物産さんが6億5000万円かけて設置したそうです。

さらにネットを漁っていると、決定的な情報が見つかりました。啓南高校が掲載されている地図があったのです。

  1. 芦別物語>tamaの思い出地図 上芦別1964年頃

地図の左上に啓南高校があります。これですべてが解決しました。当時の地図と比較すると、緑ヶ丘保育園は上芦別保育園に、大和物産さんは北都物産に、北星病院は北日本精機さんの工場へと、名前や姿を変えています。

上芦別中学校の跡地に上芦別小学校が文字どおり横滑りしていることもわかります。50年という歳月の重さが感じられます。

Google Earthプロから校舎が存在していた2011年7月撮影の衛星写真を取り出してみました。

自彊高校

今は存在しないようですが、かつて「東京自彊術クラブ」という名称の社会人野球チームがありました。私は都市対抗予選やクラブ選手権予選で3回見ています。

  • 1994/06/01(府中)2-11さくら銀行
  • 1995/06/03(府中)1-5東京ガス
  • 2001/05/04(府中)5-9全府中野球倶楽部

春日部共栄高校から明治大学を経てヤクルトに入った橿渕聡という選手もいましたが、スコアをつけていた身としては画数の多い「彊」や「橿」にゲンナリしていたことを思い出します。

けっして根に持っているつもりはありませんが、今でもこうしてスイスイ連想が進むのですから、それ相当のインパクトがあったのでしょう。

自彊術普及会という公益社団法人は現存します。自彊術とは(似て非なるものかもしれませんが)気功術のようなものだと私は理解しています。東京自彊術クラブはその関係の選手を中心に構成されたチームだと聞いたことがあります(定かではありません)。

1985年夏、KKコンビのPL学園は決勝戦で宇部商にサヨナラ勝ちして優勝を果たしました。この年のウラ優勝校が広島の自彊(じきょう)高校になります。福山市にあった公立高校です。2011年3月末で神辺(かんなべ)高校に統合されて、閉校となっています。

校名について、Wikipediaには次のような記載があります(2017/08/27現在)。

「自彊」(じきょう)という言葉は中国の古い書物である易経の中に出て来る。「天行健、君子以自彊不息」という語句から採用されたもので、「自ら努力し励む」という意味をもっている。

「彊」は訓読みでは「つと(める)」です。旧・自彊高校の校舎は現存し、2013年に広島県立福山北特別支援学校が移転しています。ストリートビューは2013年10月撮影のものしかありませんでした。