ウラ優勝校まとめ

「高校野球ウラ優勝校MAP」が完成しましたので、集約しておきます。今年の夏は第99回大会でした。大会自体が中止になったのが2大会あります。ウラ優勝校が海外のチームとなるケースが5大会です。

正統なウラ優勝校は延べ78校で、巡ウラが15校(巡ウラの准ウラは除く)です。2+5+78+15=100となりますが、第5回大会ではウラ優勝校を2校認定しましたので、計算は合います。

このほか、准ウラが30校、巡ウラの准ウラが2校でしたので、100-(2+5)+(30+2)で延べ125校を「ウラ優勝校」としてMAPに反映させました。重複が次のように3例ありますので、実数としては122校になります。

  1. 1932年第18回大会の旧制・水口中は巡ウラであり、准ウラでもあります。MAP上では准ウラに含めています。
  2. 宮城の東北学院は1922年第8回大会でウラ、1935年の第21回大会では巡ウラです。複数回制覇ということで、MAP上では赤マーカーを用いました。
  3. 鳥取県の青谷高校は1980年の第62回大会と2000年の第82回大会で正統なV2を果たしています。もちろん赤マーカーとしました。

地域別では四国がもっとも少なく、ウラ優勝校空白県は和歌山と高知です。隣接する奈良と徳島も1校だけです。MAP上でも四国の南東部から紀伊半島にかけての空白が目立ちます。

岩手と秋田の計4校が北部に集中したため、両県の中南部も空白地帯です。南四国や紀伊半島もそうですが、もともと人口の多い地域ではありませんので、総体としてはバランスよく分布していると言えそうです。

「准ウラ」の概念を持ち込んだため、「夏といえば」さんの「逆トーナメント」のページとは一線を画すことになりましたが、これは「セットポジション」時代から密かに気にしていたことです。

今回のウラ優勝校MAPで面白かったのは、やはり跡地探しでした。深入りしたくてウズウズしています。着手するとしても来年になるでしょうが、新制高校に限定して廃校MAPを作成することになるかもしれません。

限定したとしても全国では1000校超になるでしょうから、MAPは8分割ぐらいが妥当だと思われます。なお、今回のウラ優勝校MAPでは、高校野球の地区割りに従い、山梨は関東、三重は東海で処理しています。

正体不明・金沢市商のナゾ

1946年の第28回大会は太平洋戦争後最初の大会です。

  • 浪華商2-0京都二中5-3下関商2-0松江中11-8敦賀商
  • (北陸大会)敦賀商8-5富山商8-7金沢二中
  • (石川予選)《金沢三中21-7金沢二中》21-6石川工16-9金沢市商

現・金沢商は1900年に「金沢市立商業学校」として開校していますが、1907年には県立に移管しており、1923年第9回大会で甲子園初出場を果たしたときは「石川県立金沢商業学校」の名称です。

その後も名称変更はありますが、県立校であることに変わりはありません。したがって、1946年の巡ウラ優勝校「金沢市商」は現在の金沢商ではありません。

現・金沢市工は1944年に「金沢市立工業学校」から「金沢市立第一工業学校」に名称変更しています。学制改革の1948年、「金沢市立第一工業学校」は「金沢市立第二工業学校」を吸収して「金沢市立工業高等学校」になっています。

おそらく「市立第二工業」は1944年にできたのでしょう。終戦を挟んで4年間だけ存在した「市立第二工業」こそ1946年の巡ウラ優勝校「金沢市商」ではないか、と踏んで検索してみました。

金沢市図書館のWebサイトに「市史年表 金沢の百年 大正編」と題する壮大なページが見つかりました。関係しそうな項目だけピックアップします。

1927年12月26日 明春4月開校する金沢市立工業学校の設立認可指令が文部省から出た。仮校舎は新竪町小学校の不要校舎(49坪)を小将町小学校庭に移転して使用する。学科は土木建築科と機械電気科とし、5年後の生徒定員は全学年10学級400人と専修科2学級60人。

1930年9月1日 金沢市立工業学校は小将町の仮校舎から泉野の新校舎に移転、授業を開始した。

1933年2月28日 2年制の金沢市立商業高校の創立が市会で可決された。校舎に長田町小学校の一部をあて、募集人員は200人。

1934年7月29日 金沢野球協会が市立工業学校野球場に建設中のスタンドが完成、記念野球大会がおこなわれた。スタンド観覧席の収容人員は2,000人で北陸最大のもの。

1935年5月25日 泉野町の金沢市立工業学校は、全校舎が完成したので校舎落成式を盛大に挙行した。

1937年4月1日 金沢市立商業学校は新学年から修業年限2年制を3年制に改めた。

1943年12月3日 明年4月実施する県下商業学校の戦時転換が県で決定した。県立金沢商業は存置、金沢市立商業は金沢市立第二工業学校として機械、金属工業の2科を設置、小松商業は農業学校に、七尾商業は七尾工業学校に転換する。また県立工業は図案科を廃止し科名を改称する。

1948年4月1日 新制高等学校が開校した。金沢市内の県、市立高校は6校。県立金沢一高(校舎は一中)、県立金沢二高(校舎は県一女と三中校舎の一部)、県立金沢三高(校舎は県二女)、県立工芸高校(校舎は県工)、県立金沢商業高校(校舎は金商)、市立金沢工業高校(校舎は市一工)。

1948年4月25日 金沢ではじめての職業野球公式試合・太陽ロビンス対急映フライヤーズ戦が、兼六園球場で開催された。

1933年創立の金沢市商が1944年に金沢二工となり、1948年に現・金沢市工と統合されたという流れのようです。1946年当時は「金沢市立第二工業学校」が正しいのでしょう。

この年表では、創立時の名称が「~高校」になっています。本当に旧制中等学校(実業学校)ではなく旧制高等学校に相当するのか、それとも単なる誤記なのかはわかりません。

また、1946年時点の所在地も判然としません。MAPでは暫定措置(永遠の暫定?)で現・長田町小学校にマーカーを置きました。

埋め込んだのは2015年6月撮影のストリートビューです。小学校の裏門を出ると、すぐに歩道橋です。さすがに校内直結にはできないでしょうが、狭い道ですから門柱が邪魔かもしれません。

校門の先はクスノキの並木

1930年第16回の「巡ウラ」優勝校は千葉の茂原農です。

  • 広島商8-2諏訪蚕糸3-0平安中15-0東北中3-2水戸中
  • (東関東大会)水戸中7-4茨城工22-8千葉師範
  • (千葉予選)《千葉中13-6千葉師範》15-1成東中21-3茂原農

2006年4月、茂原農は茂原工との統合で茂原樟陽(もばらしょうよう)高校になっています。旧・茂原農の校地と校舎が統合後の茂原樟陽に引き継がれているようです。

Wikipediaの「茂原樟陽」のページには、旧・茂原工の校地は工業校舎として使用されているかのような記載もあります(2017/09/19現在)。公式サイトを覗いてみた限り、旧・茂原工の校舎が今も使われている形跡はありません。

統合当初の数年間は旧・茂原農が本校舎、旧・茂原工は工業校舎という形で運用されていたのかもしれません。新校名「樟陽」のうち「樟」は、校門を入ったところにあるクスノキの並木に由来するものと思われます。

「姓名分布&ランキング 写録宝夢巣」さんによれば、「楠」姓は全国で864位、「楠木」姓は2734位だそうです。一般的にはクスノキは「楠」と書きますが、どうやらクスノキに「樟」、タブノキに「楠」を当てるのが正解のようです。

クスノキは西日本に多く分布しており、兵庫、佐賀、熊本、鹿児島の4県で「県の木」とされています。上記姓名ランキングでも、「楠木」姓や「楠」姓はやはり西日本に多い苗字です。

京都大学の正門から入った真正面の木がクスノキです。ストリートビューには雪景色の時計台前クスノキがありました。2015年1月撮影のものです。

もう1つ、ストビュー(2013年3月撮影)を埋め込んでおきます。鹿児島県姶良市の蒲生八幡神社境内にある「蒲生のクス」です。根元に木製の格子扉が見えますが、中には8畳分の空洞があるそうです。

樹齢1500年と言われるのは、1123年の神社創建時にすでに存在していたとされているからでしょうが、日本では自生しない(異説あり)というクスノキですから、誰かが植林したことになるわけです。

施設は残れど名前は変わり

2005年第87回大会のウラ優勝校は熊本県立苓洋(れいよう)高校です。

  • 駒大苫小牧5-3京都外大西10-8宇部商5-3日大三9-6前橋商5-3熊本工
  • (熊本大会)熊本工6-5文徳5-2千原台5-3秀岳館7-0熊本農10-2矢部4-1牛深10-0苓洋

苓洋は2.5校の統合により今年3月末に閉校となっています。

  • 苓洋高(天草郡苓北町富岡)→天草拓心高へ統合
  • 苓明高(天草市本渡町本戸馬場)→天草拓心高へ統合
  • 河浦高(天草市河浦町河浦)→園芸科学科が天草拓心高へ統合、普通科は牛深高へ統合

赤マーカーが旧・苓洋高、青マーカーが旧・苓明高(統合後の天草拓心高)、緑マーカーが旧・河浦高になります。

ただし、統合後の天草拓心高は旧・苓明高の校舎を本校舎とし、旧・苓洋高の校舎はマリン校舎として海洋科学科と普通科総合コースを置いています。敷地内には新寮が建築中のようです。

名前が変わっただけで実質的には存続していると言ってもいいのかもしれません。苓洋高は「洋」の字が示すように、もともとは水産高校です。施設的にも全面移転は困難なのでしょう。

同様の動きは他県でも見られます。千葉の銚子水産は銚子商に、大分の海洋科学は津久見に統合されていますが、銚子商水産校舎や津久見高海洋科学校として施設そのものは残っています。

大分県と香川県は水産高校の実習船を共同運行するようです。通年で使うわけでないなら、それも自治体としての知恵なのかもしれません。

なお、旧・苓洋高のある苓北町(れいほくまち)は合併に参加していません。今では天草郡唯一の町です。火力発電所のおかげで財政が比較的豊かなようです。苓北町Webサイトには「苓」についての次のような記述があります。

苓北という名前は天草全土が「苓州」と呼ばれていたことでつけられました。「苓」は「あまくさ(甘草)」を意味し、苓州の北部に位置する町ということで「苓北」と名付けられました。

埋め込んだストリートビューは2013年12月撮影のものです。旧・苓洋高から車で10分強です。あいにく干潮時でなければ拝むことはできないそうです。

旧市名ではなく旧町名が新市名に

1969年第51回大会のウラ優勝校は三重県伊賀市の上野商業です。滋賀県甲賀市の水口高校は1932年の准ウラ優勝校ですから、三役揃い踏みまで雑賀を残すのみです。

  • 松山商4-2(0-0)三沢3-2玉島商7-2仙台商4-1広陵8-7三重
  • (三岐大会)三重5-2県岐阜商8-7伊勢工
  • (三重予選)伊勢工4-3木本7-1明野14-4宇治山田商4-1上野商

上野商は2011年3月末で閉校となり、旧・上野工の校地に上野商と上野農が集約され伊賀白鳳高校となっています。

最新2015年2月撮影のストリートビューでは解体工事です。県立高校なのに解体工事の発注者は伊賀市と表示されていますので、敷地は県から市へ譲渡されたものと思われます。

伊賀市は、2004年11月に上野市を核として阿山郡伊賀町、阿山町、島ヶ原村、大山田村、名賀郡青山町の6自体体が合併して発足しています。平成の大合併で旧市名が退けられて旧町村名が新市名になったケースは数例しかありません。

  • 2005/04【妙高市】新井市、妙高高原町、妙高村
  • 2005/11【霧島市】国分市、溝辺町、横川町、牧園町、霧島町、隼人町、福山町
  • 2006/03【朝倉市】甘木市、朝倉町、杷木町
  • 2006/03【天草市】本渡市、牛深市、有明町、天草町、御所浦町、倉岳町、栖本町、新和町、五和町、河浦町

跡地利用は難題?

1968年第50回大会はオモテの優勝校が興国で、ウラは寒河江工です。

  • 興国1-0静岡商2-0倉敷工6-3広陵8-2岩国商1-0日大山形
  • (山形大会)17-0山形東7-2山形南5-1寒河江5-0酒田商2-0寒河江工

寒河江工は1回戦不戦勝であり、酒田商は1回戦で温海(あつみ)を7対0で破っているため、温海は「准ウラ優勝校」ということになります。

東田川郡温海町は2005年10月に、鶴岡市、藤島町、羽黒町、櫛引町、朝日村と合併しています。この結果、合併後の鶴岡市は面積では東北最大の基礎自治体となり、出羽三山はすべて合併後の鶴岡市に属することになりました。

  • 月山(鶴岡市、庄内町、西川町)
  • 湯殿山(鶴岡市、西川町)
  • 羽黒山(鶴岡市)

山形県立温海高は2002年に鶴岡中央高の分校となり、2012年3月末で閉校になっています。最後の卒業生は7人だったようです。あつみ温泉の下流域です。

埋め込んだストリートビューは2012年9月撮影のものです。奥の4階建てと隣の体育館が分校の建物です。跡地利用について、体育館を(日本最大規模の)映画スタジオにして映画村にしようというプランもあったようです。

実現したというニュースは見つかりませんので、断念したものと思われます。解体費用は約1億円だそうです。Google Earthプロには2015年10月撮影の衛星写真がありますが、校舎はこの時点では解体されていません。再訪が必要なようです。

1964年は水原が「准ウラ」

2004年4月、新潟県蒲原郡水原町(すいばらまち)、安田町、京ヶ瀬村、笹神村(ささかみむら)の2町2村が合併して、阿賀野市が誕生しています。

阿賀野高校の設立は2005年4月です。水原高校と安田高校は2005年度から募集を停止し、2007年3月に両校は閉校となりました。水原高校の校舎が阿賀野高校に引き継がれています。

水原高校は1964年第46回大会の准ウラ優勝校です。

  • 高知2-0早鞆1-0県岐阜商1-0広陵4-2北海6-4富山商
  • (北越大会)富山商6-1高岡商5-2小千谷
  • (新潟予選)小千谷5-3長岡商2-1新潟短大付5-3新潟市工

新潟市工は1回戦不戦勝であり、新潟短大付は1回戦の新潟東工戦を8対0で勝利しています。したがって、新潟東工の先に「准ウラ」の権利が発生します。

  • (下越地区)新潟東工8-3水原

旧・水原町はオオハクチョウの越冬地として有名な瓢湖を抱えています。明治初期には佐渡を除く現在の新潟県のほぼ全域が「水原県」を称していた時期もあります。もともと江戸時代には代官所が置かれていたようです。

埋め込んだのは2014年7月撮影のストリートビューです。羽越本線水原駅から代官所まで徒歩20分強、代官所から瓢湖まで徒歩10分強ですが、羽越本線は2時間間隔の時間帯もあります。

年度途中に学校用地と校舎が競売

夢野久作の小説「ドグラ・マグラ」で、呉一郎が実母を絞殺したのは大正13年(1924年)のことで、場所は「福岡県鞍手郡直方町日吉町」です。直方(のおがた)町は1926年に周辺4村と合併し、1931年に市制を施行しています。

さて、1961年第43回大会は、オモテの優勝が浪商でウラは福岡の直方学園です。

  • 浪商1-0桐蔭5-4岐阜商3-1崇徳4-1新発田農3-2戸畑
  • (福岡大会)戸畑3-1小倉3-2大牟田商2-1八幡中央
  • (北部予選)八幡中央7-1豊津3-2折尾4-3嘉穂東6-3直方学園

直方学園が直方東に改称するのは1997年4月です。その前年の1996年5月、学校法人直方学園は福岡シティ銀行から1億8000万の融資を受け、銀行側は約2万平米の学校用地と鉄筋4階建ての校舎などに極度額3億円の根抵当権を設定します。

返済は滞り、2002年10月に銀行側は競売の申立を行います。この時点で直方東高校の生徒数は35人だったようです。2003年1月の入札は不調に終わりますが、6月の入札により学校法人直方学園は土地建物の所有権を失います。

直方東は年度途中での閉校を余儀なくされたわけです。落札したのは同じ直方市内で大和青藍(やまとせいらん)高校を運営する学校法人大和学園です。大和青藍は直方女子高から2002年に共学化されたばかりでした。

大和青藍が直方東の生徒を土地建物もろとも受け入れたことになります。両校は遠賀川(おんががわ)の対岸にあります。赤のマーカーが落札された旧・直方東の校地、青のマーカーが日吉町にある大和青藍の本校舎です。

旧・直方東高校の周囲をストリートビューで1周しましたが、とくに面白い画像はありませんでした。埋め込んだストビューは2013年4月撮影の「四宮の成金饅頭古町本店」さんの看板です。ふるまち通り沿いにあります。

中央のどら焼き風のお菓子が成金饅頭です。駅前の「大石本家」さんでは直径29cmの成金饅頭を販売しているようです(特注)。

旧・小田原商は小田原城馬出門の正面

小田原商は今の小田原東高です。その所在地は酒匂川の右岸、国道1号線の箱根駅伝コース沿いになります。左端の青マーカーが小田原中継所となる鈴廣さんです。

いたって普通の校舎ですので、ストリートビューは「水曜どうでしょう」の「原付日本列島制覇 東京−紀伊半島−高知」の回で、瞬間的に小田原城と間違われてしまった株式会社ういろうさんです。

埋め込んだのは2014年2月撮影のストビューです。この国道1号線沿いの本店だけでなく、駅前にある「ういろう駅前調剤薬局」にもカフェコーナーがあります。ちなみに、箱根駅伝往路の中継所は2016年までこの付近でした。

さて、Wikipediaの「神奈川県立小田原城東高等学校」のページ(2017/09/05現在)の「沿革」を加工して関連年表を作ってみました。

  • 1921/04/18 足柄村多古に足柄実科高等女学校が創立
  • 1927/05/25 小田原市幸町に私立小田原商業学校が創立
  • 1941/01/30 足柄実科高等女学校が小田原市立実科高等女学校に改称
  • 1943/04/01 小田原市立実科高等女学校が小田原市立高等女学校に改称
  • 1946/08/01 私立小田原商業学校が小田原市立商業学校に改称
  • 1948/04/01 小田原市立高等女学校が小田原市立高等学校に改称
  • 1948/07/18 両校舎が小田原市東町4-12-1に移転
  • 1951/03/10 小田原市立商業学校が神奈川県立小田原商業高等学校に改称、小田原市立高等学校が神奈川県立小田原女子高等学校に改称
  • 1951/04/01 両校が統合して神奈川県立小田原城東高等学校が創立
  • 2008/04/01 神奈川県立湯河原高等学校との統合で神奈川県立小田原総合ビジネス高等学校が創立
  • 2017/04/01 神奈川県立小田原総合ビジネス高等学校が神奈川県立小田原東高等学校に改称

小田原商は1948年第30回大会の准ウラ優勝校です。全国大会におけるウラ優勝校は佐賀県の鹿島一です。西九州大会まで遡ることができます。

  • 小倉1-0桐蔭1-0西京商5-0享栄商11-0鹿島一
  • (西九州大会)鹿島一11-5佐賀一7-2武雄7-0海星

この年の西九州大会は8校のトーナメントです。佐賀4校、長崎と熊本が各2校です。佐賀開催だったのでしょう。各県予選は決勝まで行われており、海星は決勝で諫早に敗れています。

したがって、私のルールではウラ優勝校不在となるわけですが、全国大会の鹿島一は1回戦不戦勝でした。享栄商は1回戦で浅野に勝っています。浅野の先に「准ウラ」の権利が残っています。

  • 浅野3-1逗子開成6-4県川崎2-0横浜商10-2横須賀工9-3横浜一18-8小田原商

神奈川は1代表ですので、こちらはつながります。1948年当時の小田原商は市立だったようです。夏休み前に校舎移転していますので、予選を戦ったときは幸町の校舎だった可能性が高そうです。

小田原市幸町は消滅地名です。バス停などにその痕跡を残しています。ネット上で公開されている古地図に「商業高校」の名前がありました。旧校地は小田原城馬出門から「めがね橋」を渡ったところ(横浜地検小田原支部の南側にある駐車場)です。

予選の日取りまで確認するつもりはありませんので、全国大会開催時の校地ということで、MAPでは小田原東高校にマーカーを打ちました。

1926年は准ウラ優勝校が2校

その性質上、准ウラ優勝校は存在しないときもありますが、複数校出現することもあります。1926年第12回大会の准ウラ優勝校は2校あります。

鳥取一中は2回戦で盛岡中に勝っていますが、盛岡中は1回戦不戦勝です。鳥取一中は1回戦で長崎商を退けていますので、長崎商の先に准ウラ優勝校の権利が発生します。

  • 静岡中2-1大連商1-0和歌山中9-3鳥取一中4-2長崎商
  • (九州大会)長崎商3-2佐賀中3-1大分商5-1東山学院

1校目の准ウラ優勝校は長崎の東山(とうざん)学院です。オランダ坂上の東山手にあったようです。東山学院は戦前に閉校になっていますが、その校舎は「旧スチイル記念学校」として、グラバー邸の近くに今でも保存されているようです。

最新2017年3月撮影のストリートビューは補修工事中でしたので、埋め込んだのは2014年2月のストビューです。海星高校の校舎として使われていたようですが、1972年に現在地に移築復元されたということです。

海星高校は地図の右上です。