日本国は「にほん」か「にっぽん」か
山形県立鶴岡中央高校の所在地は「鶴岡市大宝寺日本国410」です。「日本国」を「にほんこく」と読むのか「にっぽんこく」なのか、私の中では長年のナゾでした。
郵便番号検索では「大宝寺(中野)」と「大宝寺(その他)」で括られてしまって「日本国」の読み方がわかりません。どうしても知りたければ学校に電話すればいいのでしょうが、わかったところで何の足しにもなりません。ナゾはナゾのままでいいこともあります。
フリガナが付されるようになった法人検索でついに判明?しました。有限会社日本国機工さんは「にほんこく」です。
法人名が「にほんこく」というだけで地名としてはそうでないのかもしれませんが、私としては満足です。そこまで執着しているわけでもありません。
鶴岡「中央」高校
今日の本題は「中央」です。中央高校はびっくりするほどにど真ん中のこともありますが、なぜ中央なのか理解できないケースが大半です。鶴岡市の場合、鶴岡城址の近くに鶴岡南高と鶴岡北高と鶴岡工高があり、鶴岡駅から西に6.5キロほどのところに鶴岡西高がありました。
鶴岡西は鶴岡中央の前身校の1つです。鶴岡西高と鶴岡家政高が統合されて、まったく別校地に鶴岡中央高が開校したのが1998年です。2000年には私立の鶴商学園高が鶴岡東高に改称しています。西が消えてから東が出現したため、東西南北が揃った時代はありません。
南は一高(旧制の鶴岡中)、北は三高(旧制の高等女学校)、工業が二高です。この3校が軸になるわけです。西はもともと大山高でしたが、明らかに西ですので西高に異論はありません。鶴商学園が東を名乗るのも何の不自然さもありません。
1948 | 鶴岡一 | 鶴岡三 | 大山 | 鶴岡四 | 鶴岡二 | |
1950 | 鶴岡 | 鶴岡 | ↓ | 鶴岡家政 | 鶴岡工 | |
1952 | 鶴岡南 | 鶴岡北 | ↓ | ↓ | ↓ | |
1962 | ↓ | ↓ | 鶴岡西 | ↓ | ↓ | |
1968 | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | 鶴岡商 | ↓ |
1977 | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | 鶴商学園 | ↓ |
1998 | ↓ | ↓ | 鶴岡中央 | 鶴岡中央 | ↓ | ↓ |
2000 | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ | 鶴岡東 | ↓ |
2024 | 致道館 | 致道館 | ↓ | ↓ | ↓ | ↓ |
これに対して「日本国」所在の鶴岡中央は、どこに「中央」要素があるのか首をひねるばかりです。
「中央」を名乗る施設
鶴岡中央高校の近くには西工業団地があります。中央工業団地、東工業団地とワンセットでしょうから、この並びは妥当です。工業団地は市街地化されていないところに用意されます。
東工業団地の南にあるのはヤマト運輸の鶴岡中央営業所です。大型車が出入りする物流拠点は近郊の幹線道路沿いに設けられるのが一般的です。この中央とはあくまでもヤマトさんの中の話です。
鉄道もなかなか市街地の中心部には敷設できません。お城があった駅の南側が駅前、北は駅裏だったわけです。中央公民館はもともと市役所近くにあったのが新築移転したのではないかと思われます。
きらやか銀行の鶴岡中央支店は市役所の近くです。地元金融機関お墨付きの「中央」は信頼度が高いはずです。山形中央高校のWebサイトには「中央」の由来は記されていませんが、「本校は、鶴岡市内の高校で鶴岡駅から一番近い高校です」との記載があります。
なるべく駅近で確保できる学校用地が市街地化されていなかった「日本国」だったのでしょう。そこは理解できても「中央」と名付けるには苦しい立地です。対立回避のための知恵だったかもしれません。
2024年4月から南高と北高は中高一貫の「致道館中学高等学校」に統合されます。北高校舎を中学が、南高校舎を高校が使うようです。米沢興譲館や上山明新館と同様に藩校由来ですが、「鶴岡」なしで単に「致道館」です。
西高と家政高の校舎は現存
さて、鶴岡中央高校は1998年開校です。西高と家政高の閉校から四半世紀過ぎていますが、両校の校舎は健在です。次のストビュー画像では1階左側の窓が開いています。
Googleマップでは「鶴岡市教育委員会社会教育課 埋蔵文化財調査整理室」と表示されますので、ただ放置されているわけではないようです。本業より建物管理のほうが忙しいかもしれませんけど…。
家政高校も当時の校舎が保存されているようです。3階中央のマークは校章と思われます。
左奥に少しだけ見えるのは鶴岡市立朝暘第三小学校です。朝陽(あさひ)ではなく朝暘(ちょうよう)です。「こざとへん」ではなく「ひへん」です。
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