猿はいない猿島、鹿がいる友ヶ島

5月27日に最大瞬間風速1位を記録したのは和歌山県の友ヶ島でした。紀淡海峡に蓋をするかのように連なる友ヶ島は、地ノ島、虎島、沖ノ島、神島の総称です。4島で最大の島は定期船の船着き場がある沖ノ島です。

沖ノ島=友ヶ島という理解でも、あまり差し障りはないようです。定期船は5月27日と翌28日には全便欠航となっています。アメダスの観測点は沖ノ島西端の友ヶ島灯台付近にあります。対岸の西4km先には淡路島が構えています。

明治初期に築造された友ヶ島灯台は全国23基の保存灯台の1つです。灯台から観測露場まで100m足らずです。灯台と露場の間には東経135度の子午線が通過しています。「日本標準時子午線 日本最南端の地」の安っぽい標柱が建っています。

友ヶ島にはキャンプ場もあり、宿泊施設もあります。この宿泊施設は定期船第1便の到着より早い時間帯に朝食を提供しています。通年の居住者がいるわけではないにせよ、それで無人島と言えるのか疑問に思わなくもありません。

同じく砲台跡がラピュタ感を醸し出す横須賀沖の猿島では、キャンプは禁止されており、宿泊施設もありません。私の感覚では、猿島は白か黒かで言えば無人島の部類であり、友ヶ島は限りなく有人島に近い存在です。

猿島の沖合に(上陸できない)海堡があるように、砲台跡は当然ながら淡路島側にも残っていますが、紀伊半島側にも砲台跡があります。ラピュタの香りは船に乗らなくても味わえるわけです。

砲台の遺構は函館や対馬など各地に存在します。猿島と友ヶ島は東京湾と大阪湾への侵入を防ぐいわば最後の砦です。ただし、海岸砲台は空からの攻撃や潜水艦に対してはほぼ無力です。

キャンプだけでなくコスプレや花火やドローンが禁止されている猿島とは異なり、猿ヶ島では(今のところ)そのような制限はないようです。猿島にサルはいませんが、友ヶ島にはシカやリスやクジャクがいます。

管理されたラピュタが猿島で、シカの糞がキャンプ場のそこら中に転がっていても手を加えないのが友ヶ島です。そういう意味では、猿島のほうが有人島的であり、友ヶ島では無人島の雰囲気に浸ることが可能です。

無人島・有人島についても日本標準時子午線のように複数の考え方がありそうです。なお、虎島は沖ノ島の陸繋島ですが、沖ノ島西端から虎島西端まで3kmほどあります。海岸線延長1.6kmの猿島とはそもそも規模が違います。

友ヶ島の一般的な表記は「友島」ですが、気象庁Webサイトでは「友島」を用いていますので、あちらのページではそのまま「友ケ島」としています。

私立島根商の跡地は県営住宅

1900年に開校した「島根県商業学校」は翌1901年に「島根県立商業学校」に改称します。「島根県立松江商業学校」になるのは1933年です。松江商は創設期の「島根商」時代に夏1回、春は2回甲子園に出ています。

1924年開校の「松江簿記学校」は1946年に「松江高等経理学校」に改称し、1964年には「島根商業高等学校」になります。私立とはいえ、30年ぶりに「島根商」を名乗る学校が出現しました。

「松江高等経理学校」時代の所在地は松江駅前の朝日町です。専門学校から高校に組織変更したのを契機に郊外の大庭町に移転しています。私立の島根商高は、1976年には「松江西高等学校」に改称します。

一方の松江商は1985年10月に上乃木から今の浜乃木に移転します。この松江商の跡地に新校舎を建築して1987年に移転したのは松江西高です。旧(県立)島根商の学校用地を旧(私立)島根商が譲り受けたことになります。

さて、私立島根商時代の学校所在地である大庭町は町域がかなり広く、立正大淞南高も大庭町内にあります。1975年の地形図には一ノ谷池の南200mに丸囲みの文マークが記されていますので、これが私立島根商高と思われます。

今では県営住宅が建っています。1975年の地形図には運動公園も県立大もありません。ここなら、私はニアミスしたことがあります。運動公園内の松江市営球場には2007年に1回だけ訪れています。

旧・私立島根商業高校付近 Google Earthプロ

白光商業高校は「しらみつ」か?

千葉県八千代市を本拠とする白光舎は、直営と取次で約200店舗を抱えるクリーニング・チェーン店です。「白光」は「はっこう」と読みます。はんごだての著名メーカー「白光株式会社」もHAKKOです。

一方、宗教法人白光真宏会の「白光」は「びゃっこう」です。「世界人類が平和でありますように」関連のはずですが、私は白光商業高校もそっち系と思っていました。どうやらそういうわけではないようです。

この白光商について、Wikipedia「白光商業高等学校」のページには「1965年 – 学校法人白光学園の運営により開校。 1972年 – 休校」との記述があり、廃止時の所在地として「大和高田市根成柿」が記されています。

1970年の地形図では根成柿(ねなりがき)に高校を示す丸囲みの文マークを確認できます。今ではネオシティ大和高田というマンションが3棟建っています。1994年から1995年にかけての竣工です。次の画像は1985年11月撮影の航空写真です。

国土地理院(1985/11/03撮影)大和高田

白光商の敷地は画像中央を東西に走る道路の南側です。校庭は少年野球なり草野球なりのグラウンドとして整備?されています。芝も張ってあるようです。道路の対面は県営住宅の坊城団地です。

休校が1972年なのだとしても、校舎自体は今の集合住宅が建てられる直前まで残っていたようで、90年代初頭の空中写真でも上の画像とほぼ同じ姿を確認することができます。

所在地さえわかればワトソン君としての役割は終わりなのですが、実はちょっと気になることがあります。Wikipediaでは読みが「白光商業高等学校(しらみつしょうぎょうこうとうがっこう)」になっているのです。

「白玉あんみつ」を略したようなこの名称は、学校名としてはいかがなものだろうかと思うわけです。もちろん、白百合女子大や白梅学園大の事例は知っていますが、白光商は女子校ではありません。

京都・北野天満宮の最寄駅は、京福電気鉄道北野線の北野白梅町(きたのはくばいちょう)駅です。白梅でさえ「しらうめ」ではなく「はくばい」と読むこともあります。一般名詞とは言えない「しらみつ」の読みは納得し難いところです。

日本私立学校振興・共済事業団の「学校法人情報検索システム」で「白光学園」を検索したところ、法人名は「はっこうがくえん」でした。今治にも同名の法人がありますが、やはり読みは「はっこう」で理事長が白石さんです。

ただ、「しらみつ」の読みが皆無なのかと言うと、そういうわけでもないのです。生駒山の麓の石切には白光大神(しらみつおおかみ)を祀る神社があります。白光とは白蛇のことのようです。2015年3月のストビューです。

生駒山山頂の龍光寺では2匹の白蛇様が飼育小屋?で公開されています。というわけで、法人名が「はっこう」であるとしても、学校名は間違いなく「しらみつ」であった可能性はまだ排除できません。

三峰五岳の一角

雲仙岳の最高峰は平成新山の1483mです。ピーク時は1488mだったそうです。平成新山は1990年から1996年にかけての普賢岳の噴火活動で形成された溶岩ドームです。「三峰五岳の雲仙岳」の「三峰五岳」に平成新山は入っていません。

「三峰」は普賢岳(1359m)、国見岳(1347m)、妙見岳(1333m)で、「五岳」は九千部岳(1062m)絹笠岳(879m)、高岩山(881m)、野岳(1142m)、矢岳(940m)です。

「四峰五岳」に昇格?しなかったのは、平成新山が普賢岳の派生物という認識だからからなのでしょうか。1991年6月には噴火による火砕流で40人以上が亡くなり、全焼した小学校は災害遺構として保存されています。2012/12のストビューです。

さて、「雲仙岳」はもともとは島原半島の山々の総称だったそうですが、ときに普賢岳の別称のように用いられたり、「三峰」もしくは「三峰五岳」を指すこともあるようです。

アメダス観測地点としての「雲仙岳」は、風速・風向については絹笠山の山頂、気温や降水量、日照時間はその麓の温泉街に設けられています。年間の平均風速は1978~2002年が1.2~1.5km/s、2003年以降が4.4~4.9km/sです。

温泉街で計測していた風速・風向の観測ポイントを、温泉街より200mほど標高の高い絹笠山山頂に移したのが2003年ということになりそうです。赤のマーカーが絹笠山山頂で、「雲仙地獄」が温泉街です。

青が普賢岳山頂、その東の盛り上がったところが平成新山、緑のマーカーは旧・大野木場小学校の被災校舎です。絹笠山から普賢岳まで直線で約4.5kmになります。破線が市境界で、西が雲仙市、東が島原市、南は南島原市です。

絹笠山山頂の「雲仙岳」観測地点における4月9日23:40から4月10日0:30にかけての10分ごとの最大瞬間風速は次のように推移しました。風のピークは日付を跨いだこの1時間でした。

  • 23:40 28.0km/s
  • 23:50 31.8km/s
  • 24:00 31.2km/s
  • 00:10 32.3km/s
  • 00:20 27.2km/s
  • 00:30 28.1km/s

4月9日23:48に記録された31.8km/sはこの日の最大瞬間風速全国1位、4月10日00:06に記録された32.3km/sも最大瞬間風速全国1位です。ピークがたまたまこの時間帯だったことで「一粒で二度おいしい」結果が訪れたのでした。

雲仙には行基が開祖とされる大乗院満明寺と温泉(うんぜん)神社があります。空海や義経と同様、行基も各地に「伝説」を残しています。いずれは「行基MAP」を作成するつもりです。


【2019/04/17追記】
4月13日と14日の本泊(利尻島)でも同じ現象が起きています。13日23:42に20.6m/s、14日0:40に22.1m/sを記録した本泊は2日連続で瞬間最大風速1位です。ありがちなことのようです。

駅前立地で統合後の跡地は即売

統合によって移転・閉校となった学校の敷地が10年経っても校舎の取り壊しさえ行われていないケースは珍しくありません。解体するだけでもそこそこの費用が生じます。人口が減って閉校するわけですから、有効利用は難しいのが実情でしょう。

堺市立商・第二商の場合は即売だったようです。堺市立商業学校は1921年の設立で、1923年に今の南海電鉄高野線浅香山駅前の敷地に校舎を新築しています。浅香山駅の開業は1915年です。

学校があるから駅ができたのではなく、最初から駅があったところに学校をつくったということになります。第二商の設立は1940年です。いったん廃止されますが、敷地と校舎を共有する形で1952年に定時制が独立開校します。

大和川は大阪市と堺市を隔てる市境界となる河川です。浅香山駅には各駅しか停まりませんが、ターミナルのなんば駅から20分前後です。しかも、並行する西の南海本線七道駅や東のJR阪和線浅香駅まで約1kmという恵まれた立地になります。

堺市立工・第二工との合併統合は2008年4月です。2007年の全日制入学生は2009年度末まで市立商に通っています。2007年の定時制入学生は2010年度の最後の1年間を市立工に新設された堺市立高で授業を受けたようです。

スムーズに売却が決まったからです。校舎はリニューアルされて関西大学堺キャンパスになっています。お買い得であることは間違いありません。転売制限が付いているとしても、この立地ならおいしい資産です。

2010年2月のストビューです。まだ引き渡しされていない時期ではないかと思われますが、奥にはクレーン車のようなものが見えます。まあ、全日制の授業は終わっているでしょうし、定時制の時間帯には工事はしないものでしょう。