帯広に高校8校、帯広南商は北から4番目、帯広北は6番目

帯広商が白樺学園に校名変更

「商業高校MAP」を見ながら、ふと気づいたことがあります。帯広南商が白樺学園の北にあるのです。赤マーカーが帯広南商、青マーカーは白樺学園です。

帯広南商と白樺学園
帯広南商と白樺学園(地理院タイルを加工)

そんなはずはありません。白樺学園は「帯広商」として1958年に開校しています。翌1959年に開校した帯広南商は、帯広商の南にあるべきです。

調べてみると両校とも移転していました。ただ、両校のWebサイトには移転した年が記載されているだけで、移転前の所在地は記載されていませんでした。まあ、そんなものかもしれません。両者の大雑把な沿革は次のとおりです。

1958★帯広商が帯広市白樺16条西2丁目に開校
1959◆帯広南商が帯広市西17条南5丁目に開校
1963★帯広商が普通科を設置
1965★帯広商が白樺学園に改称
1989◆帯広南商が帯広市西21条南5丁目に移転
1996★白樺学園が芽室町北伏古に移転

創立時の位置関係はたしかに帯広商の南に帯広南商がありました(▲印)。先に移転した帯広南商は南5丁目から南5丁目への移転ですので、緯度はほとんど変わりません。白樺学園が芽室町(帯広の森運動公園の隣接地)に移転したとき、旧・帯広商は帯広南商の南に回り込んだことになります。

白樺学園は芽室町に移転

旧・帯広商がなければ、帯広南商は素直に帯広商を名乗ったはずです。先に帯広商が開校したために「南」を付して区別を容易にしたかったのでしょうが、1965年に帯広商が白樺学園に改称したことで「南」はその存在意義は喪失しています。

帯広商が白樺学園に改称したのは、普通科を設置したことが契機になっているものと思われます。法人名は最初から「学校法人白樺学園」だったようです。所在地は「白樺16条西2丁目」でしたから、これが法人名になり、のちに学校名になったのかもしれません。

帯広市白樺から移転しても、法人名が「白樺学園」なのですから、別に学校名を変える理由はありません。跡地はショッピングモールに生まれ変わっています。「二頭流」の堀井学氏は白樺学園のOBです。

白樺学園の跡地

白樺学園の移転によって帯広南商の「南」はいっそう宙に浮いた形になりました。帯広市内の高校は公立6校、私立2校です。

帯広の高校
帯広の高校(地理院タイルを加工)

市内8校に白樺学園を加えた9校の位置関係は、北から「帯広柏葉」「帯広三条」「帯広大谷」「帯広南商」「白樺学園」「帯広緑陽」「帯広北」「帯広農」「帯広工」です。

帯広北は6キロ南下の移転

帯広北は1983年に現在地に移転しており、移転前の所在地は柏葉の対面(東3条南6丁目)でした。移転によって東西南北が入れ替わってしまう現象は各地で見られますので、最近の新設校は最初から東西南北を名乗らなくなっているのでしょう。

帯広北の跡地も商業施設です。

帯広北高の跡地

帯広南商の跡地は依然として遊休土地?のままのようです。南商の移転は開校から30年後です。施設の老朽化が理由なら同一敷地での建て替えもできないはずはありません。何のための移転だったのか、工場でも誘致したかったのでしょうか。

もう30年以上前です。確認できませんでしたが、南商の記念碑であろうと思われます。カメラ側が校舎の跡地になります。

帯広南商の跡地

なお、現在地が西23条南2丁目の帯広三条も1976年に東3条南2丁目から移転しています。成城から下北沢に移転しても成城家庭教会パターンが帯広スタンダードのようです。

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