標高1.2m、海岸から200mだった石巻女子商

石巻女子商

今回の「商業高校MAP」で対象とするのは600校を超えそうでが、津波被害がもっとも大きかったのは石巻市立女子商だったのだろうと思われます。なにしろ海岸からの距離は約200mで、標高は1m台のはずです。

更地になったあとの2013年5月撮影のストビューです。これは標高1.2mの水準点です。隣接していた中学校の体育館らしき建物の脇にあったもののようです。

津波後、更地になった水準点

ちょうど12年前の3月19日の航空写真です。水は引いたものの、まだほとんど手つかずであったろう時期です。石巻女子商も中学校も校舎は3階建てでした。

仮校舎→2015年閉校

当然のことながら、石巻女子商の校舎が使えるわけもなく、日和山公園の近くにある石巻女子高の敷地に仮校舎を建てることになります。もともと震災前から再編統合の話はあったようですが、2つの市立女子高は2015年に桜坂高校(地図のピンク)として統合されます。

2011年入学の生徒は2014年に卒業するわけですから、2012年入学生との2学年は仮校舎で高校生活の丸3年を過ごしたことになります。石巻女子商(青)から西に約2kmの位置に石巻ガスの本社ビル(赤)がありました。

石巻
石巻(地理院タイルを加工)

震災後、石巻ガスさんは本社機能を日和山公園の麓にあるガスビルに移したそうです。津波到達時のビル屋上からの映像は今もYou Tubeに残っています。この事業所の営業再開は2012年10月ということです。会話に登場する湊中は4階建てです。

当日は自宅学習日

津波はほぼ同じ規模で石巻女子商を襲ったはずです。都立武蔵高同窓会Webサイトに石巻女子商の理科教諭が寄稿しています。「校舎1階部分は津波に打ち抜かれ、体育館や弓道場は破壊・流出」したそうです。

入試翌々日で自宅学習日だったそうですが、その先生は学校からまずは鹿妻小学校(A)に、次いで菅原神社(B)に避難しています。Google Earthで調べたとところ、鹿妻小学校の標高は1~2m程度ですが、菅原神社は10~15mです。

たとえ神職を置かずとも、沢であれ井戸であれ水を必須とする神社が、このような絶妙な場所につくられがちなのは先人の知恵なのではないかと疑いたくなります。「稲むらの火」の広八幡神社にしても標高は12mです。

菅原神社が遷座されたのは1767年のようです。1611年の慶長三陸地震は誰も実体験していないことになります。1763年には宝暦八戸沖地震が起きており、津波の最大高さは宮古付近の4mということです。

さて、石巻女子商は国道398号線沿いでした。最古のストビューは2011年7月です。校舎は残っています。2013年5月のストビューで更地になりますが、2018年6月のストビューまで「石巻女子商業高前」バス停の名前はそのままです。2019年7月のストビューでは「栄田」バス停に名称変更されています。

【外部リンク】
東京都立武蔵高等学校同窓会>東日本大震災の被災地にて


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