兜町商業学校

13年しか存在していませんが、始まりも終わりも所在地も目的も過不足なく残されています。

3年制の夜間学校で、昭和6年4月6日に開校しました。開校当初、同校は東株近辺の建物内(現在の日証館)にありましたが、その後、同取引所新本館の竣工(昭和6年9月)とともに、その5階に教室を移し、昭和19年まで開校されていました。

兜商の校長以下役員はすべて業界関係者で構成され、日常業務については取引所員がお世話をしていたとのことです。

日本取引所グループ>東証Arrows見学>兜町商業学校の校旗

戦前の東京株式取引所の所在地は兜町4番地です。現在の東京証券取引所の敷地の一部となります。1944年の閉校ということですので、何の迷いもなく「商業高校MAP」に反映することができます。

私はてっきり取引所会員企業の従業員が終業後に通っていたものと思っていましたが、「生徒たちは、例外なく証券関係などへの就職が確保されていた」との記述があります。

兜町と小網町に架かる「鎧橋」の兜町側には、中央区教育委員会による案内板が設置されています。

この案内板は「鎧の渡し跡」と題する次のような内容です。

伝説によると、平安の昔、源頼義が奥州討伐の途中、ここで 暴風逆浪にあい、鎧を海中に投げ入れ竜神に祈りを捧げたところ、 無事に渡ることができたので、以来ここを鎧が淵と呼んだといわれます。一説には平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。

中央区教育委員会の案内板

一方、中央区Webサイトでは兜町の地名の由来について次のように記載されています。頼義の長男が義家です。

源義家が奥州征伐の時、ここを通り暴風に出会うや、鎧を沈めて竜神に祈って無事なるを得ました。その帰途、近くに塚を築き鎧を埋めて神を祭ったという故事から生まれた町名です。

中央区>町名由来>日本橋茅場町・日本橋兜町地区

鎧を埋めた伝承から「鎧町」という地名になったのなら理解の範囲内ですが、これでは「兜町」の由来にはなりません。鎧から兜へ話が飛躍しています。兜町は明治になってからの地名です。

さて、平和不動産のWebサイトには兜神社に関する次のような記載があります。「日証館」とは平和不動産が入っているビルの名前であり、証券取引所ビルを管理しているのが平和不動産です。

日証館に隣接する場所に鎮座する神社は、証券界の守り神とされる兜神社です。
東京株式取引所(東京証券取引所の前身)が設けられるに当たり、明治11年(1878)5月に取引所関係者一同の信仰の象徴および鎮守として兜神社が造営されました。
なお、境内に安置されている兜岩の由来には次のような説があります。江戸時代、当地に屋敷を構えていた牧野氏邸宅内に、源義家(あるいは頼家)が兜を埋めたとも、俵藤太(藤原秀郷)が討ちとった平将門の兜を埋めたともいわれる兜塚と呼ばれる塚がありました。そして、この上にあった岩が兜岩であると伝えられています。

平和不動産株式会社>日本橋兜町の史跡

塚は鎧を埋めたものではなく兜を(も)埋めたものだったようです。ところで、源頼家は頼朝の次男であり、鎌倉幕府の第2代将軍です。時代が派手に異なりますので、おそらくは頼義の誤記なのでしょう。

なお、兜塚については、出陣前の戦勝祈願のために将門が自分で兜を埋めたという説もあるようです。また、北新宿にある鎧神社の境内には将門の鎧が埋められているそうです。将門説は薄いのかもしれません。