塩竈市立第三中学校が多賀城市に建設された理由とは

多賀城市内にある塩竈三中

宮城県塩竈市は5つの市立中学校を持っています。なぜか多賀城市にあるのが市立第三中学校です。都市部では学校の敷地が区市境をまたいでしまうケースがありがちです。通用門を出ると他区市というパターンはそれほど珍しくありません。

塩竈市立第三中学校は多賀城市との市境から200mほど離れたところに学校があります。設立主体とは完全に異なる他区市町村に所在する中学校はかなりレアだと思われます。

塩竈市立中学校
市立中学校(地理院タイルを加工)

塩竈市の離島部分は浦戸諸島です。塩竈市の人口は2020年国勢調査で52,203人、面積が17.37km2です。人口密度は3000人台を維持しています。

今でこそ東北1位の座を多賀城市に譲りましたが、塩竈市は離島を抱えながら北関東以北では2番目の人口密度です。北関東以北でもっとも狭い市でもあります。

人口面積人口密度増減率平均年齢
多賀城市62,82719.693,190.81.244.1
塩竈市52,20317.373,005.4-3.745.4
大泉町42,08918.032,334.42.244.6
▲2020年国勢調査

塩竈市の市町村コードは04203です。04201は指定都市になる前の仙台市であり、04202が石巻市です。今の人口は宮城県内8位ですが、1941年に県内3番目の市制を敷いた基礎自治体が塩竈市でした。

1947年の開校

塩竈三中は1947年開校です。6・3制導入時の中学義務教育化に合わせて、急な開校を迫られたものと思われます。周辺自治体を含めた人口の推移は次のとおりです。塩竈市が浦戸村を編入したのは1950年です。

1947年1995年2015年
塩竈市42,428塩竈市63,56654,187
浦戸村1,683(編入)
多賀城村14,095多賀城市60,62562,096
七ヶ浜村10,599七ヶ浜町20,66818,652
利府村7,216利府町25,13535,835
▲塩竈市と隣接自治体の人口

1947年の段階では、塩竈市は多賀城市のほぼ3倍の人口です。すでに宅地化がかなり進んでおり、市内では適切な学校用地を探すのが難しかったということなのでしょう。

一方、多賀城市は1947年当時は村であり、町制施行が1951年、市制施行は塩竈市に30年遅れの1971年です。実際のところ、1960年代の空中写真でも塩竈三中の周囲はまだ田畑です。

1960年代の塩竈三中付近
1960年代の塩竈三中付近(地理院タイルを加工)

塩竈市の位置づけは、東京にとっての横浜、大阪にとっての神戸(京都にとっての大阪)のようなものだったと思われます。奥州一宮の鹽竈神社がありますので鳥居前町の性格を持ち合わせているにしても、塩釜港は浦戸諸島という天然の防潮堤を備えた港です。

震災被害

震災被害は、ほとんど海に面していない多賀城市より塩竈市のほうが少なく済んでいます。また、天然の防潮堤がガードした松島町と太平洋に直接面する東松島市では歴然とした差があります。

死者関連死不明家屋全壊半壊・一部
塩竈市26人18人0人672棟10,273棟
多賀城市188人30人0人1,746棟9,853棟
七ヶ浜町75人3人2人674棟3,250棟
利府町1人0人0人56棟4,458棟
松島町2人5人0人221棟3,346棟
東松島市1,062人66人25人5,511棟7,987棟
名取市911人41人40人2,801棟11,190棟
石巻市3,270人253人438人20,034棟32,990棟
気仙沼市1,090人107人233人8,483棟7,332棟
▲震災被害(宮城県>市町村被災状況カルテ

塩竈三中の体育館は塩竈市が定める20の指定避難所の1つです。避難所が市境を越えるのも珍しいかもしれません。標高は24mほどですので浸水は免れています。

塩竈市立第三中学校

なお、「塩釜」表記に関しては拒むものではないというスタンスのようです。

塩竈市役所で作成する公文書においては、「塩竈」を使用することになっています。ただし、市民の方、あるいは他の官公庁が「塩釜」と表記した文書については、「塩竈」と解釈して受理することとしています。

塩竈市>竈の字について

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