池袋のフクロウたち
池袋駅東口の地下通路に「いけふくろう」の石像ができたのは1987年だそうです。ということは、私が最初に池袋に行ったときはまだ「いけふくろう」像はなかったわけです。池袋の梟はパンケーキや最中など菓子系でまず増殖し、次第に公園を中心にオブジェも増えていきました。
池袋駅西口に20m×6mほどの小さな公園があります。塀には梟のレリーフが9個ほど埋め込まれています。
公園中央のモニュメントは夜間にライトアップされます。センターポールの頂点に設置されているのは風見鶏仕様の親子連れフクロウです。私が初めて見たときは生きたカラスが隣に止まっていました。
ホテルメトロポリタン正面玄関の向かい側にあるこの公園の名前は「元池袋史跡公園」ですが、高い木はありませんし腰掛けるスペースも限られているため公園感は薄く、単に歩道のショートカットコースという認識で済まされそうです。
桃李成蹊
この公園には「池袋地名ゆかりの地」の石碑だけではなく、「成蹊学園発祥の地」の碑もあります。成蹊学園とは言うまでもなく吉祥寺の成蹊学園ですが、「成蹊」を名乗る学校法人は、大学を擁する東京と大阪以外にも福島と福岡にあります。
いずれも史記の文言に由来するだけで、相互に人的・資本的関係はないようです。福島成蹊高校は、1944年から1948年まで福島成蹊女子商という名称でした。当時の校舎は福島市宮町にあったようですが、正確な所在地がわかりません。
宮町に校舎があったのは1914年から1959年にかけてです。いくら60年前と言っても、高校なら一定規模以上の敷地が必要です。宮町の町域はそれほど広くなく、候補となる区画をかなり絞ることができます。
おそらくは、今の福島文化学園(幼稚園)が旧・福島成蹊女子商の校地だったのではないかと推測されます。赤マーカーを置いたところです。今の福島成蹊高校は青マーカーの上浜にあります。
福島文化学園のWebサイトを覗いてみたところ、幸いにも「沿革」のページがありました。2019年か2020年に取り壊された5階建てビルは1965年の新築だそうです。時期的には符合します。
…と、私は推理していましたが、どうやら正解だったようです。まるで私のために作られたようなページが公開されていました。1959年に宮町から上浜に移転したとき、リヤカーで引っ越したようです。
宮町校舎から直線距離で700メートル。当時の生徒たちがリヤカーを引き、あるいは机イスを持って移動したということです。
ぐるっと福島>成蹊を探れ! 第1回 校舎の変遷 ~成蹊はどこにあったのか?~ 2020.04.20
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