完全消滅した三和町と三和村、そりゃそうだの理由

固有とは言えないかもしれない固有名詞

1889年の市制・町村制施行後、「三和町」を称した基礎自治体は9つ、「三和村」は「三和町」との重複や琉球政府時代を含めて17あります。いずれも現存していません。

みわむら→みわまち(北海道)1955-1959

1955年1月 黒松内村、樽岸村の一部、熱郛村(ねっぷむら)が合併して三和村
1959年1月 町制施行で三和町
1959年5月 改称して黒松内町

みわむら(福島県安積郡)1889-1955

1889年4月 富岡村、下守屋村、鍋山村の区域で三和村
1955年3月 穂積村、安積町の一部と合併して三穂田村
1965年5月 郡山市、安積町、逢瀬村、片平村、喜久田村、日和田町、富久山町、湖南村、熱海町、田村町と合併して(新)郡山市

みわむら(福島県石城郡)1955-1966

1955年2月 沢渡村、永戸村、三阪村が合併して三和村
1966年10月 磐城市・内郷市・常磐市・平市・勿来市・小川町・遠野町・久之浜町・四倉町・大久村・川前村・田人村・好間村との合併でいわき市

みわむら→さんわまち(茨城県)1955-2005

1955年2月 幸島村、八俣村、名崎村が合併して三和村
1969年1月 町制施行とともに改称して三和町(さんわまち)
2005年9月 古河市、総和町と合併して(新)古河市

みわむら(栃木県)1889-1962

1889年4月 松田村、粟谷村、板倉村の区域で三和村
1955年3月 小俣町、葉鹿町と合併して坂西町
1962年10月 御厨町とともに足利市に編入

さんわまち(千葉県)1955-1963

1955年3月 養老村と市西村が合併して三和町
1956年3月 海上村を編入
1963年5月 市原町、五井町、姉崎町、市津町と合併のうえ市制施行して市原市

時差合併と思われます。

さんわむら(新潟県中頸城郡)1955-2005

1955年10月 里五十公野村、上杉村、美守村が合併して三和村
2005年1月 名立町、板倉町、大潟町、柿崎町、清里村、頸城村、中郷村、吉川町、安塚町、浦川原村、大島村、牧村とともに上越市に編入

みつわむら(新潟県南魚沼郡)1889-1906

1889年4月 三郎丸村、早川村、枝吉村が合併して三和村
1906年4月 分割合併
 雲桐地区→南旭村、長崎村、旭村と合併して上田村
 東泉田、大月地区→六日町、小栗山村、君帰村、欠ノ上村、余川村、川窪村、美佐島村、八幡村、大富村の一部と合併して(新)六日町
1957年2月 上田村が塩沢町、石打村と合併して(新)塩沢町
2004年11月 六日町と大和町が合併して南魚沼市
2005年10月 塩沢町が南魚沼市に編入

みわむら(岐阜県)1897-1954
岐阜の三和村
岐阜の三和村(地理院タイルを加工)

1897年4月 川浦村、廿屋村(つづやむら)、鹿塩村(かしおむら)、上川辺村の一部が合併して三和村
1954年4月 分割合併
 鹿塩村域→川辺町に編入
 それ以外→太田町、古井町、下米田村、伊深村、蜂屋村、山之上村、加茂野村と合併して美濃加茂市
1955年4月 川辺町が上米田村と合併して(新)川辺町

2003年に川辺町を含む加茂郡6町1村と美濃加茂市との合併協議会が発足しましたが、翌2004年に実施された美濃加茂市の住民投票は反対多数となり、旧三和村の統合は実現していません。

みわむら(愛知県知多郡)1906-1954

1906年5月 矢田村、久米村、金山村が合併して三和村
1954年4月 常滑町、大野町、西浦町、鬼崎町と合併のうえ市制施行して常滑市

みわむら(愛知県幡豆郡)1906-1955

1906年5月 御鍬村、川崎村、吹羽良村が合併して三和村
1955年4月 西尾市に編入

みわむら(三重県)1889-1894

1889年4月 畔名村、志島村、名田村の区域で三和村
1894年2月 分村して畔名村志島村名田村
1954年8月 波切町、船越村、名田村が合併して大王町
1955年1月 鵜方町、神明村、立神村、志島村、甲賀村、国府村、安乗村が合併して阿児町
1956年9月 大王町が畔名村を編入
2004年10月 大王町、浜島町、志摩町、阿児町、磯部町が合併して志摩市

さんわちょう(三重県)1955-1958

1955年4月 大淀町、上御糸村、下御糸村が合併して三和町
1958年9月 斎明村と合併して神郷町、即日改称して明和町

みわむら→みわちょう(京都府)1955-2006

1955年3月 菟原村、細見村、川合村が合併して三和村
1956年4月 町制施行
2006年1月 福知山市、大江町、夜久野町と合併して(新)福知山市

みわむら(岡山県)1905-1923

1905年3月 吉備村、占見村、竹村の3村が合併して三和村
1923年10月 町制施行のうえ改称して金光町
2006年3月 鴨方町、寄島町と合併して浅口市

みわむら(広島県)1889-1929

1889年4月 峠村、渡瀬村、松ヶ原村の区域で三和村
1929年4月 友原村と合併して友和村
1954年4月 友和村のうち旧松ヶ原村域が大竹町、小方町、玖波町、栗谷村と合併のうえ市制施行して大竹市
1955年4月 残った友和村は津田町、玖島村、浅原村、四和村と合併して佐伯町
1982年4月 佐伯町(さえきちょう)が改称して佐伯町(さいきちょう)
2003年3月 佐伯町が吉和村とともに廿日市市に編入

広島の三和村
広島の三和村(地理院タイルを加工)

松ヶ原は大竹市の飛び地になっています。

さんわちょう(広島県)1955-2004

1955年3月 来見村、小畠村、高蓋村が合併して三和町
2004年11月 神石町、豊松村、油木町と合併して神石高原町

みわちょう(広島県)1955-2004

1955年3月 上山村一部、津名村の一部、板木村が合併して三和町
2004年4月 三次市、吉舎町、三良坂町、君田村、布野村、作木村、甲奴町と合併して(新)三次市

みわむら(高知県)1889-1956

1889年4月 浜蚊居田村、里蚊居田村、片山村の区域で三和村
1956年9月 大篠村、稲生村、十市村、日章村、前浜村と合併して香長村
1959年10月 後免町、野田村、岡豊村、岩村と合併して南国市

さんわちょう(長崎県)1955-2005

1955年2月 為石村、蚊焼村、川原村が合併のうえ町制施行して三和町
2005年1月 香焼町、伊王島町、高島町、野母崎町、外海町とともに長崎市に編入

さんわまち(熊本県)1944-1950

1944年2月 池上村、高橋町、城山村が合併して三和町
1949年2月 池上村が分村
1950年5月 高橋村城山村が分村
1953年7月 高橋村、城山村、池上村が熊本市に編入
2012年4月 行政区導入で熊本市西区

?(大分県)1956

1954年3月 真坂村、山口村、深秣村が合併して三和村。即日改称して三光村
2005年3月 本耶馬渓町、耶馬溪町、山国町とともに中津市に編入

形式的に存在しただけですので、読み方は示されていません。

みわそん(琉球政府時代)1946-1971

1946年4月 真壁村、摩文仁村、喜屋武村の合併で三和村
1961年10月 糸満町、兼城村、高嶺村と合併して(新)糸満町
1971年12月 市制施行して糸満市

なぜ「三和」を名乗ったのかという事情は調べていませんが、すべての事例で3つの村または町が合併していますので、新村名(新町名)で揉めるのを避けるための「知恵」だったものと思われます。必ずしも「和をもって尊しとなす」とは限らないようで、分かれたままになっているケースも2例あります。

三和銀行

2000年当時の三菱銀行、東京銀行、三和銀行、東海銀行の都銀4行が紆余曲折の合併を繰り返して、今の三菱UFJ銀行になっています。三和銀行の創立は1933年です。大阪に本店を持つ次の3行が合併したものです。

  • 三十四銀行
  • 山口銀行(←第百四十八国立銀行)
  • 鴻池銀行(←第十三国立銀行)

三和銀行の商号についてはオフィシャルな見解がありました。「三十四銀行」の「三」、鴻池新田の稲穂に由来する「禾」、山口銀行の「口」で「三和」とするものです。後付っぽい気もしなくはありませんが、合併前にこじつけが成立していたかどうかの確認はできません。

ミツワ自動車の起源は3人の創業者による三柏商会ですが、ミツワ石鹸は創業者が三輪さんですので完全に別系統です。三和シヤッター工業は創業時の事務所が尼崎の三和本通商店街にあったことに由来するようです。

三和商店街は三和市場から名付けられたものと思われますが、なぜ三和市場なのかはわかりません。ありがちなパターンとしては、生産者と消費者と商人の「3」なのかもしれません。

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