1984年ウラ優勝校
「難産の子ほど可愛い」というのは、やはり真理です。まあ、一面(半面?)の真理かもしれませんけど…。1984年夏の甲子園決勝は、取手二が延長戦でPL学園を退けて優勝しています。
全国・F | 取手二 | 8-4 | PL学園 |
全国・S | PL学園 | 3-2 | 金足農 |
全国・Q | 金足農 | 6-0 | 新潟南 |
全国・3 | 新潟南 | 4-2 | 明徳義塾 |
全国・2 | 明徳義塾 | 6-0 | 広尾 |
全国大会のウラ優勝校は北北海道代表の広尾でした。
北北海道・F | 広尾 | 4-3 | 旭川大高 |
北北海道・S | 旭川大高 | 2-0 | 帯広三条 |
北北海道・Q | 帯広三条 | 4-0 | 深川西 |
北海道では南北各大会の前に地区予選があります。深川西を辿るとウラ優勝校は芦別商となります。ほかに准ウラ優勝校が土岐(明徳が1回戦に県岐阜商に勝利)と雄武(帯広三条が1回戦で遠軽に勝利)です。
北空知・代 | 深川西 | 11-2 | 深川東商 |
北空知・3 | 深川東商 | 1-0 | 砂川北 |
北空知・2 | 砂川北 | 5-4 | 滝川西 |
北空知・1 | 滝川西 | 5-0 | 芦別商 |
芦別商は芦別工との統合で芦別総合技術となり、1989年3月末に閉校しています。統合後の芦別総合技術は、芦別工の校舎を引き継いだようです。その芦別総合技術も2006年に芦別高校に統合されています。かつて市内に3校あった公立高校は今では1校のみになっているわけです。
廃坑で廃校
芦別市は少しだけ隣接する夕張市同様、炭鉱の街でした。1920(大正9)年の第1回国勢調査では、空知郡芦別村の人口は約1.5万人です。芦別市役所のWebサイトで確認すると、2017年7月末現在の人口は14.187人ということです。
ピーク時には人口7万人を超えていたようです。市制施行は1953年ですが、1960年代から炭鉱の閉山が相次ぎ、最後に残った三井芦別炭鉱も1992年には閉山しています。
さて、芦別商はいったいどこにあったのでしょうか。いくら財政難でも閉校から30年近くが経過していますから、校舎が現存するとは思えません。ネット検索してみると、2002年と2007年に撮影された校舎の写真が見つかりました(末尾外部リンク1・2)。
いずれのサイトにも所在地の記載はありませんが、地域的には上芦別地区であり、敷地の東西に道路があることがわかります。写真から背景に山があることも読み取れます。ストリートビューで上芦別を散歩してみました。
芦別商は開校当時の校名が芦別啓南高校だったそうですから、上芦別啓南会館(✕印)から上芦別駅にかけてを重点的にパトロール?しました。目をつけた場所もありますが、まだ情報量が不足しています。
最悪の場合は図書館に行けばいいだけのことです。1980年代閉校の所在地がわからないはずはありません。とはいえ、なんとかネットで解決したいものです。出不精な私はさらに検索を続行しました。
太陽光発電所に化けた
mixiの投稿(末尾外部リンク3)によれば、芦別商の校舎は2007年10月には解体工事中です。所在地はまだわかりません。鉄道系の個人ブログには次のような貴重な情報が記載されていました。
ここは、2013年12月に稼働した芦別太陽光発電所(2.1MW)で旧芦別商業高跡地だそうです
応援します!北海道コンサドーレ札幌>芦別でキハ40系撮影と懐かしいガタタンを食べる
一定規模の太陽光パネルが設置されている箇所は上芦別に2か所あります。
そのうち西側は上芦別啓南会館の近くであるばかりか、高校の敷地規模として適正です。白矢印付近からのストビューは、リンク先1のページの一番下にある写真と稜線が一致しているように見えます。
太陽光パネルはそれほどの高さはありませんので、この画角ではうっすら見える程度です。パネルは「業務スーパー」の株式会社神戸物産さんが6億5000万円かけて設置したそうです。
さらにネットを漁っていると、決定的な情報が見つかりました。啓南高校が掲載されている地図があったのです。これですべてが解決しました。当時の地図と比較すると、緑ヶ丘保育園は上芦別保育園に、大和物産さんは北都物産に、北星病院は北日本精機さんの工場へと、名前や姿を変えています。
上芦別中学校の跡地に上芦別小学校が文字どおり横滑りしていることもわかります。50年という歳月の重さが感じられます。
【外部リンク】
1■北海道廃校の旅>北海道立芦別商業高等学校(2023/08/28時点で404エラーです)
2■学舎の風景>北海道芦別商業高等学校
3■mixi>芦別商業高校 同窓会コミュのトピック一覧
4■芦別物語>tamaの思い出地図 上芦別1964年頃(2023/08/28時点で404エラーです)
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