1957年のウラ優勝校は「該当なし」

乗りかかった船です。「ウラ優勝校」のMAPを完成させたいと思います。まず、1977年を調べてみました。今ならネットでサクサク検索できます。10年前はこうはいきませんでした。

  • 東洋大姫路4-1東邦5-3大鉄2 -1高知3-2宇都宮学園3-1取手二4-1掛川西
  • (静岡大会)掛川西1-0東海大一1-0市沼津4-3島田工3-1小笠農2-1吉原商2-1静岡市商

というわけで、第59回高校野球選手権大会はオモテが東洋大姫路、ウラは磐田農でした。1976年はオモテが桜美林、ウラは熊本西です。

  • 桜美林4-3PL学園3-2海星4-2東北6-0今治西2-1熊本工
  • (熊本大会)熊本工1-0鎮西7-2八代2-0玉名5-4九州学院3-0菊池6-1熊本西

1975年はオモテが習志野、ウラは韮崎工です。山梨と群馬で北関東大会が行われています。

  • 習志野5-4新居浜商6-5上尾5-4東海大相模7-3三重3-1巨摩
  • (北関東大会)巨摩8-4樹徳4-3機山工
  • (山梨予選)機山工3-1甲府工5-0帝京三5-1谷村工3-1韮崎工

1974年はオモテが銚子商、ウラが名古屋学院(現・名古屋)です。

  • 銚子商7-0防府商2-1鹿児島実5-4東海大相模13-6盈進2-1名古屋電工
  • (愛知大会)名古屋電工6-2中京7-4享栄5-0豊橋工6-3碧南工10-0刈谷3-1名古屋学院

1973年はオモテが広島商、ウラが鹿屋商(現・鹿屋中央)です。鹿屋中央は2014年に大隅半島初の甲子園出場を果たしています。

  • 広島商3-2静岡6-0今治西6-2北陽1-0高鍋4-1日大山形2-1鹿児島実
  • (鹿児島大会)鹿児島実2-1鹿児島商6-1鹿児島玉龍7-0笠沙4-1出水7-1鹿児島照国7-0鹿屋商

1972年はオモテが津久見、ウラは隣県の日向工でした。名護は沖縄予選3回戦で沖縄高校と再々試合を演じているようです。高鍋も宮崎予選準決勝の対延岡商戦が再試合になっています。

  • 津久見3-1柳井7-2高知商4-2中京4-0足利工5-4名護
  • (南九州大会)名護1-0高鍋
  • (宮崎予選)高鍋4-1宮崎電子工8-7宮崎実7-3都城工3-2福島7-0日向工

ここまで遡ってみて、気づいたことがあります。ある年、私の出身県の代表校が初戦敗退しましたが、その相手は次の試合で負け、その勝者も次の試合で負け…を決勝まで完璧に繰り返しました。少年時代の体験とは尾を引くもののようです。

さて、以下省略で1958年までは順調にウラ優勝校が判明しましたが、1957年の第39回大会で私はつまずきます。全国大会に限ればウラ優勝校は県和歌山商です。

  • 広島商3-1法政二3-1大宮2-1岐阜商2-0土浦一4-0県和歌山商
  • (紀和大会)県和歌山商2-1伊都5-0一条

紀和大会のウラ優勝校は奈良県の一条高校です。一条は奈良予選の決勝で高田に負けています。連敗の時点でウラ優勝校の権利は消滅すると私は考えています。

1972年の南九州大会は、沖縄1位の名護と宮崎1位の高鍋が直接対決しています。代表決定戦が1試合だけ行われる性質のものでした。1975年の北関東大会は、山梨も群馬も県1位を決めずに両県各2校が対戦する4校トーナメントです。

県の1位校を決めたいという思いは当然あるはずです。私はそれが自然な姿だと理解しています。1957年については、ウラ優勝校は「該当なし」とします。

《2017/09/29追記》その後の方針転換の結果、第39回については奈良高校を巡ウラ優勝校として認定しました。

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