1915年第1回大会、初代ウラ優勝校は伊丹

初代のウラ優勝校

1915年の第1回大会は素直なトーナメント大会です。出場は10校で全10試合ですが、再試合1試合が含まれていますので、敗者に次の機会が与えられたわけではありません。ウラ優勝校の神戸二中は2回戦に当たる準々決勝から登場しています。

全国・F京都二中2-1秋田中
全国・S秋田中3-1早稲田実
全国・Q早稲田実2-0神戸二中
兵庫・F神戸二中3-2関西学院
兵庫・S関西学院3-2神戸一中
兵庫・1神戸一中14-6伊丹中
▲第1回のウラ優勝校

兵庫大会は7校のトーナメント戦(6試合)です。伊丹中(現・県伊丹高)が初代ウラ優勝校となります。伊丹中が現在の校地に移転したのは1941年とのことです。1915年当時は、現在の伊丹北中の校地に校舎があったようです(赤マーカー)。

県立と市立の伊丹高校
県立伊丹高校(地理院タイルを加工)

緑ヶ丘7丁目の青マーカーが現在の伊丹高校です。地図の中央を流れるのは猪名川で、その東側が伊丹空港になります。もちろん、1915年当時に空港はまだありません。1939年に「大阪第二飛行場」として開港しています。

第2回から第7回

1916年第2回大会は、12校が出場して1回戦6試合を行い、1回戦の敗者6校のうち2校が抽選で敗者復活戦に回っています。中学明善との敗者復活戦(2回戦相当)を制した鳥取中は準決勝で市岡中に敗れています。

市岡中は決勝で慶応普通部に敗れました。慶応普通部-市岡中-鳥取中-中学明善と辿ることは可能ですが、やはり釈然としない思いが残ります。私の基準では第2回のウラ優勝校は該当なしです。

1917年第3回大会も敗者復活戦が行われており、実は優勝した愛知一中は1回戦の敗者です。優勝チームを称えることはやぶさかではありませんが、そもそも決める必要のないウラ優勝校をあえて決める必要はないと考える次第です。(→「第2回と第3回の敗者復活戦を再検討」

1918年第4回大会は米騒動により本大会自体が中止になっており、オモテの優勝校が決まっていませんので、ウラも決まらないことになります。

1919年第5回大会は14校出場の13試合ですから、ノーマルなトーナメント戦です。全国大会におけるウラ優勝校は愛知一中です。

  • 神戸一中7-4長野師範1-0小倉中9-1鳥取中4-3愛知一中

ただし、東海大会では不思議なリーグ戦?が行われており、1勝1分けの彦根中ではなく1勝0敗の大垣中が準決勝(相当)に進出しています。ウラ優勝校を辿ることは妥当ではないと私は判断しました。(→「東海リンク戦の影に滋賀師範あり」

1920年第6回大会はオモテが関西学院、ウラが福島中です。1921年第7回大会はオモテが和歌山中、ウラが富山中となります。

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