1922年の旧制・東北学院中学

1922年の第8回大会が実はやっかいです。ウラ優勝校はすんなり決まります。

  • 和歌山中8-4神戸商2-1松山商3-0広島商14-9秋田中
  • (東北大会)秋田中5-2築館中9-0東北中5-4福島師範7-3東北学院

東北学院高校のWebサイトには次のような記述があります。

1891(明治24)年 南町通りに建築中の仙台神学校々舎完成
<略>
1906(明治39)年 東二番町普通科校舎の落成式を挙行した。
<略>
1919(大正8)年 3月2日仙台市大火のため,中学部校舎が全焼した。
<略>
1922(大正11)年 中学部再築校舎が落成した。

現在の南町通は青葉通りの南側に並行して仙台駅から裁判所に至る東西の道路です。南町通沿いの仙建ビルには、「東北学院発祥の地」の碑が建立されています。埋め込んだのは2016年8月撮影のストリートビューです。

この付近も「東二番町」の範囲に入るはずですが、1906年に竣工したという普通科(→中学部)校舎は2005年に宮城野区小鶴へ移転する前の東北学院高校の敷地内だったのではないかと思われます。

いみじくもウラ優勝校となった1922年に再建された中学部校舎は、通称「赤レンガ校舎」と呼ばれた建築物で竣工が6月のようです。予選を戦ったときには新しい校舎ができていたことになるわけです。

東北学院高校が移転した跡地には、森ビルが2010年に37階建ての仙台トラストタワーを建てています。その高さは東北随一の180mです。

青のマーカーが「東北学院発祥の地」、赤のマーカーが仙台トラストタワーです。

《2017/09/29追記》東北学院中は1935年の第21回大会で巡ウラ優勝校としてV2を果たしています。

初代ウラ優勝校は伊丹

1915年の第1回大会は素直なトーナメント大会です。出場は10校で全10試合ですが、再試合1試合が含まれていますので。敗者に次の機会が与えられたわけではありません。

全国大会におけるウラ優勝校は神戸二中であり、兵庫大会は7校のトーナメント戦(6試合)です。

  • 京都二中2-1秋田中3-1早稲田実2-0神戸二中
  • (兵庫大会)神戸二中 3-2関西学院3-2神戸一中14-6伊丹中

よって、伊丹中(現・伊丹高)が初代ウラ優勝校です。なお、伊丹中が現在の校地に移転したのは1941年とのことです。1915年当時は、現在の伊丹北中の校地に校舎があったようです。

緑ヶ丘7丁目の青いマーカーが現在の伊丹高校です。地図の右端の川は猪名川で、川の東側が伊丹空港になります。もちろん、1915年当時に空港はまだありません。

1916年第2回大会は、12校が出場して1回戦6試合を行い、1回戦の敗者6校のうち2校が抽選で敗者復活戦に回っています。中学明善との敗者復活戦(2回戦相当)を制した鳥取中は準決勝で市岡中に敗れています。

市岡中は決勝で慶応普通部に敗れました。慶応普通部-市岡中-鳥取中-中学明善と辿ることは可能ですが、やはり釈然としない思いが残ります。私の基準では第2回のウラ優勝校は該当なしです。

1917年第3回大会も敗者復活戦が行われており、実は優勝した愛知一中は1回戦の敗者です。優勝チームを称えることはやぶさかではありませんが、そもそも決める必要のないウラ優勝校をあえて決める必要はないと考える次第です。(→「第2回と第3回の敗者復活戦を再検討」

1918年第4回大会は米騒動により本大会自体が中止になっており、オモテの優勝校が決まっていませんので、ウラも決まらないことになります。

1919年第5回大会は14校出場の13試合ですから、ノーマルなトーナメント戦です。全国大会におけるウラ優勝校は愛知一中です。

  • 神戸一中7-4長野師範1-0小倉中9-1鳥取中4-3愛知一中

ただし、東海大会では不思議なリーグ戦?が行われており、1勝1分けの彦根中ではなく1勝0敗の大垣中が準決勝(相当)に進出しています。ウラ優勝校を辿ることは妥当ではないと私は判断しました。(→「東海リンク戦の影に滋賀師範あり」

1920年第6回大会はオモテが関西学院、ウラが福島中です。1921年第7回大会はオモテが和歌山中、ウラが富山中となります。