1919年第5回大会、東海リンク戦の影に滋賀師範あり

リンク戦とは

中等学校野球選手権大会の初期の東海地区予選では、いわゆる「リンク戦」が採用されています。私はてっきりring戦だと思っていましたが、link戦が正しいようです。

全出場チームのキャプテンがグラウンド上で手を繋いで輪を作ったとします。このとき、手を繋いでいる両隣のチームがリンク戦の対戦相手です。各チーム2試合戦うわけです。私はこのイメージで覚えましたので、ring戦のほうがフィットします。

(8チームの場合)総試合数チーム試合数
総当りリーグ戦28各7
トーナメント73~1
リンク戦10各2
▲試合数の比較

8チームの総当りリーグ戦では各チーム7試合戦うことになります。大会日程が限られるアマチュアスポーツではなかなか困難です。8チームで単純なトーナメントを組むと、半数の4チームが1試合で帰ることになります。

遠くからはるばるやって来たのに1試合で帰らせるのはしのびないと考えるなら、リンク戦という発想が出てくるわけです。リンク戦では参加チーム数と総試合数とが一致します。1チーム2試合を保証するのがリンク戦です。

その性質上、リンク戦だけでは優勝チームを決められませんので、リンク戦終了後に4チームによる決勝トーナメントが行われるのが一般的です。リンク戦は「4」を「2」に絞ったり、「5」を「2」に絞るときはある程度有効です。

最終的に得失セット率や得失点率で順位を決められるバレーボールでは、リンク戦を導入しやすいものと思われます。バスケやサッカーのような時間制球技もリンク戦向きです。攻守のイニングが不均等となる野球では得失点差が使えません。コールドがあるならなおさらです。

実際には学童レベルのバレーやソフトで採用されていることが多いようです。先攻を取るチームが多くなりそうですが…。

中止になった第4回全国大会

1918年第4回大会は14校の代表校が決まり、組み合わせ抽選も終わっていましたが、米騒動の拡大により中止となります。東海代表は愛知一中でした。東海地区ではリンク戦が採用されています。会場は岐阜中グラウンド(校庭)で10チーム参加です。

愛知一中20-0愛知四中
愛知一中17-0静岡中
岐阜師範9-7静岡中
岐阜師範14-4愛知工
大垣中12-11愛知工
三重四中2-0大垣中
明倫中2-0三重四中
明倫中7-5岐阜中
岐阜中15-7四日市商
愛知四中23-1四日市商
▲東海大会1次リンク戦

2勝した3チームは2次トーナメント進出です。岐阜師範と明倫中が準決勝(相当)を戦い、21対11でこれを制した明倫中が愛知一中との代表決定戦に進出しています。

10校参加なら、2組に分けて5校のリンク戦を行い、上位各2校が代表決定トーナメントに進出するというパターンも考えられます。5チームによるリンク戦では2勝するチームが3チーム出ることはあり得ません。

さて、ウラ優勝校のMAP作成にあたり、私は全国大会については主にWikipediaを、地方予選に関しては「高校野球データベース」さんを参照してきました。このサイトを作り上げて維持していることには率直に敬意を表します。

推理は外れたときが爽快

なにしろあの量ですから多少のミスはあり得ます。ないほうがむしろ不自然というものです。翌1919年第5回大会の東海予選に関して、脱落している試合があるのではないかと思われます。

決勝愛知一中19-1岐阜中
2勝者戦愛知一中不戦
2勝者戦岐阜中6-0大垣中
リーグ戦愛知一中5-2明倫中
リーグ戦大垣中10-3愛知四中
リーグ戦愛知工0-0彦根中
リーグ戦愛知一中不戦
リーグ戦明倫中7-0宇治山田中
リーグ戦岐阜中3-2愛知工
リーグ戦彦根中6-5岐阜師範
リーグ戦宇治山田中10-7岐阜師範
リーグ戦岐阜中11-3四日市商
▲「高校野球データベース」による第5回東海大会

10校でリンク戦を行えば10試合になるはずですが、9試合分しか掲載されていません。各チーム2試合戦うはずなのに、大垣中と愛知四中と四日市商は1戦だけです。大垣中は1勝で「2勝者戦」に進出しています。少なくとも1試合は脱落があるはずなのです。

「大垣中」をクリックしてみたところ、四日市商に5対1で勝っていました。1つ解決です。次に、愛知四中をクリックしてみましたが、大垣中との1試合分しか掲載されていません。ここで気になるのは愛知一中のリーグ戦における「不戦」です。

愛知四中が愛知一中との試合を棄権したのなら、とりあえず話の辻褄が合います。私はそう推理したわけですが、推理は当たったときの「よっしゃ~」より、裏切られたときの「そうだったのか!」のほうがいつも爽快です。

滋賀師範も東海大会に

「時習館と甲子園」という個人サイトがあります。私が「セットポジション」を運営していた時代、このサイトを訪ねた確かな記憶があります。ネット黎明期のいわゆる「ホームページ」のたたずまいを残しています。

昭和20年に旧制豊橋中学に入学し、昭和26年に時習館高校を3期生として卒業したという管理人さんは2003年に当該サイトを開設されています。計算上はちょうど60歳ですので、当時の定年相当です。

「第3回~8回夏の予選の成績」と題するページには次のような記述があります。

 (新愛知)第十六回東海野球大会は八月二日大垣中学校庭に催された。連日の早朝晴れて四囲の山々紫に白雲揺曳す。大会は競技場の乾くを待って午前十一時二十分名和大垣中学校長の始球式あり、直ちに大垣中学対四日市商業の試合を開始す。
  四中不戦勝

 滋賀師範対愛知四中の試合は滋賀師範の棄権に依りて四中は戦はずして勝利を得た。

時習館と甲子園>「第3回~8回夏の予選の成績」

なんと第5回の東海予選には彦根中だけでなく、滋賀師範もエントリーしていたのでした。愛知四中のもう1試合は滋賀師範戦だったわけです。そうすると、愛知一中の「不戦」の相手も滋賀師範ということになります。リンク戦については、次のような戦績だったようです。

愛知一中5-2明倫中
愛知一中棄権滋賀師範
愛知四中棄権滋賀師範
大垣中10-3愛知四中
大垣中5-1四日市商
岐阜中11-3四日市商
岐阜中3-2愛知工
愛知工4-1彦根中
彦根中6-5岐阜師範
宇治山田中10-7岐阜師範
明倫中7-0宇治山田中
▲第5回の東海予選1次リーグ戦

滋賀を含めた「東海五県大会」は明治時代から行われていたようです。

ダブルエントリー?

「夏といえば」さんのデータベースソフトによれば、第5回東海予選の参加校は、愛知が愛知一中、愛知四中、明倫中、愛知工の4校、岐阜が岐阜師範、岐阜中、大垣中の3校、三重が山田中と四日市商の2校、それに彦根中を加えて10校です。

実は、滋賀師範は京津大会に参加して1回戦で京都三中に敗れています。したがって、「夏といえば」の東海大会参加校に滋賀師範はカウントされていないのでしょう。滋賀師範は結果的には二股をかけていたことになってしまいます。

第5回の東海予選は大垣中(→大垣北高)で開催されています。彦根中(→彦根東高)と滋賀師範(→滋賀大附属中)との位置関係は次のとおりです。

彦根中と滋賀師範
彦根中と滋賀師範(地理院タイルを加工)

彦根からは京都より大垣が近くても、京都市大津区と言われるほどですから大津の隣は京都です。近いほうに出ただけのことなのかもしれません。

第5回のウラ優勝校は、大垣中に負けた2校に権利があります。四日市商はリンク戦2敗ですので決定です。愛知四中(→時習館)はリンク戦1勝1敗ですので、京津大会に出場して東海大会を棄権した滋賀師範もウラ優勝校として認定します。

全国・F神戸一中7-4長野師範
全国・S長野師範1-0小倉中
全国・Q小倉中4-2鳥取中
全国・1鳥取中4-3愛知一中
東海・F愛知一中19-1岐阜中
東海・S岐阜中6-0大垣中
東海・リ大垣中5-1四日市商
東海・リ大垣中10-3愛知四中
東海・リ愛知四中棄権滋賀師範
▲1919年第5回大会のウラ優勝校

かなり長くなりましたので、四日市商と滋賀師範の所在地特定にたどり着きませんでした。次回に続きます

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