1916年第2回大会
敗者復活戦が行われた1916年第2回大会の「巡ウラ」優勝校を辿ってみます。全国大会は12校参加のトーナメントですが、1回戦敗退6校のうち抽選で鳥取中と中学明善に2回戦(準々決勝)進出の権利が与えられ、この両チームが対戦しています。
全国・F | 慶応普通部 | 6-2 | 市岡中 | |
全国・S | 市岡中 | 5-4 | 鳥取中 | |
全国・Q | 鳥取中 | 9-6 | 中学明善 | 敗者復活 |
全国・1 | 広島商 | 19-4 | 中学明善 | |
九州・F | 中学明善 | 9-2 | 福岡工 | |
九州・S | 福岡工 | 13-1 | 福岡商 | |
九州・Q | 福岡商 | 25-0 | 福岡農 |
予選は九州大会の名称になっていたようですが、参加した10校はすべて福岡勢です。トーナメント戦であり、福岡商と福岡農はともに準々決勝が初戦でした。
福岡農Webサイトの概要のページから年表を作成してみました。
1879 | 博多区中洲の勧業試験場内に農学所設置 |
1980 | 農学校として独立 |
1901 | 博多区竹下に福岡農学校が開校 |
1948 | 福岡農業高等学校と改称 |
1951 | 筑紫野高等学校と改称 |
1955 | 福岡農業高等学校と改称 |
1958 | 福岡市南区塩原に移転 |
1976 | 太宰府町大佐野に移転 |
1916年当時の福岡県立福岡農学校は福岡市博多区竹下(当時の筑紫郡那珂村)に校舎があったようです。
沖学園
今の竹下1~5丁目は青枠の範囲内です。農業高校ですからグラウンドだけでなく農場も必要です。必ずしも青枠内とは限りませんが、候補はアサヒビールの工場、竹下2丁目の文マーク、5丁目の那珂中央公園にまず絞られます。
2丁目の文マーク・沖学園が怪しそうです。沖学園は1958年に博多商業高校として開校しています。福岡農が福岡市南区塩原に移転したのも1958年です。福岡農の校地は沖学園に払い下げられたものと思われます。
福岡県立博物館のWebサイトで公開されている1934年発行の「最新福岡市街及郊外地図」にアサヒビールの工場に隣接して「農学校」がありますので、これで確定です。
三角ブロック全部が沖学園というわけでありませんが、高校・中学と幼稚園が設置されています。裏の通りは「竹下通り」だそうですが、週末や夏休みに賑わうことはないはずです。タレントショップもありません。
福岡農
さて、福岡農は初参戦の1916年第2回から1954年第36回まで断続的に7回挑んで7連敗でした。1976年第58回以降は連続出場しており、初勝利は1977年第59回です。
1979年から1995年まで17年連続初戦敗退ですが、この間に沖学園と2度対戦しています。1987年は1対21、1993年は1対25という派手な最終スコアです。1994年の福岡西陵戦では53失点で完封負けしています。
野球部は弱小チームでも、福岡農は1948年2月の全国中等学校対抗駅伝で優勝しており、学制改革を経た翌1949年の高校対抗駅伝でもV2を果たしています。今の「全国高等学校駅伝競走大会」は1950年が第1回です。
1953年第4回と翌1954年第5回の優勝チームは、当時「組合立筑紫野高校」と称していた福岡農です。2017年当時の福岡農には陸上部がありましたが、今は陸上部もなくなっています。もちろん駅伝の予選にも出ていないようです。
福岡農が太宰府に移転したのは1976年です。行政上は太宰府ですが、大宰府政庁跡も市役所も大宰府天満宮もJRや西鉄の東側です。
純粋な農業科は全国規模でもすでに絶滅危惧種であり、今の福岡農に設置されているのは都市園芸科、環境活用科、食品科学科、生活デザイン科です。「土を耕し 心を耕し 未来を耕す」の校訓が色褪せないことを希望します。
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