校舎を米軍に接収された神奈川の県立中央農業高校

「△△県立中央農業高校」は神奈川と富山にあります。今回は神奈川編です。

神奈川県立中央農業高校

神奈川県立愛甲農業高校が神奈川県立中央農業高校に改称したのは1965年です。県央エリアの海老名市にあります。地図上ではたしかにほぼ中央です。

神奈川の農業系高校
神奈川の農業系高校(地理院タイルを加工)

リニア駅工事のために橋本駅前から移転した相原高校は、今でも畜産科学科や環境緑地科を抱えています。1922年の創立時は県立農蚕学校と称しており、相原高校への改称は1956年です。

中央農業高校開校の1965年当時、開成町の吉田島高校は「吉田島農林高校」でした。平塚農商は「平塚農業高校」で、三浦初声高校(和田キャンパス)は平塚農業高の分校です。中央農業高校は農業系高校としても神奈川県中央部のポジションです。

中央農業高校でなくても海老名農業高校でいいのではないかとも思えますが、そうはいかない事情があったようです。中央農業高校は1906年(明治39年)に「愛甲郡立農業補習学校」として開校しています。県立移管は1936年(昭和11年)です。

現在地の海老名市は1971年市制施行です。市制施行前の海老名町は高座郡に属しており、愛甲郡ではありません。県立に移管したのですから、愛甲郡内になければならない理由は喪失しています。

米軍接収による移転

神奈川県立中央農業高校Webサイト「学校概要」によれば、1906年開校時の学校所在地は「愛甲郡荻野村法界寺」だそうです。1908年には「愛甲郡及川村下向原190番地」に、1917年には「愛甲郡荻野村下荻野1166番地」に移転しています。

戦後、1947年には「高座郡相模原町上鶴間」に移転しており、1950年6月には米軍に校地校舎を接収されて現在地に移転しています。

中央農業高校の移転の跡
移転の跡(地理院タイルを加工)

創立時の「愛甲郡荻野村法界寺」を探してみました。厚木市下荻野に法界寺さんという浄土宗の寺院があります。赤マーカーの1番です。校舎を建てるまでの間、寺院を借りたのかもしれません。「愛甲郡及川村下向原」については、今の厚木市及川と思われます。「下向原」ですから、荻野川の下流側西岸と推測されます。赤マーカーの2番付近です。

赤マーカー3番は今の厚木市立睦合中学校です。赤マーカー4番は米軍キャンプになります。今の「上鶴間」は相模大野駅の東側ですが、当時の「上鶴間」はかなり広範囲であり、住居表示が施行されていない米軍住宅一帯は今でも「大字上鶴間」が残っています。番地の記載がないのはそういう理由でしょう。

上鶴間に移転したのに愛甲のまま

高座郡相模原町上鶴間への移転を契機に「愛甲」を外さなかったのは、もともと仮住まいのつもりだったのかもしれません。

1947年7月 上鶴間に移転
1948年4月 学制改革で「神奈川県立愛甲農業高校」
1950年6月 米軍が校舎校地を接収、県蚕業試験場に仮移転
1952年4月 新築校舎に移転
1965年4月 「神奈川県立中央農業高校」に改称

いずれにせよ、愛甲農業高校は高座郡海老名町に定住の地を得ました。いつまでも愛甲のままでは具合が悪いわけです。何らかの改称は必然でした。さりとて、海老名や高座を冠するわけにもいかず、無難に「中央」を名乗ったものと思われます。

正門近くにある神奈川中央交通のバス停は「中央」抜きの「農業高校前」になっています。2018年9月撮影のストビューです。

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