涙声のアナウンス、2005年リーグ初優勝の白鴎大

◆山本コータロー氏の訃報に接して、旧「セットポジション」で2005年5月23日に公開したページを復活させます。公開後しばらくして、白鴎大野球部関係者と思われる方よりメールを頂戴したことがあります。「山本」様と名乗られていただけで、フルネーム署名はありませんでした。
◆2005年当時の山本氏が白鴎大経営学部教授で野球部の部長だということを私は存じ上げていました。メールの内容からして、たぶんそうなのだろうと察しましたが、あえて触れることなく知らんぷりで無難に返信したのを覚えています。それ以上のことは何もありませんが、謹んでご冥福をお祈りする次第です。

涙声のアナウンス

初優勝に王手

「ご覧頂きましたように本日の第2試合、白鴎大学対上武大学の第2回戦は9対5で白鴎大学が勝ちました」――試合終了時の定型アナウンスが途切れ途切れの涙声だった。

2005年5月15日、関甲新学生リーグ最終週2日目第2試合の場内アナウンスを担当していたのは、おそらく白鴎大の女子マネに違いない。前年(2004年)の白鴎大は、春秋ともに勝ち点4同士で対戦した最終節の上武大戦を第3戦で落として2季連続2位に甘んじた。

上武大は大学選手権ではベスト8、神宮大会ではベスト4に進み、全国でも通用するチームとして存在感を示した。その宿敵をストレートで降して、1部リーグ昇格14シーズン目で悲願の初優勝を決めた直後のアナウンスだったのだ。

2005年春、上武大と白鴎大はそれぞれ取りこぼしはあったものの、勝ち点を落とすことなく最終週の直接対決に臨んだ。1回戦に先勝したのは白鴎大だ。勝てば初V、負けても最終決戦が残っている。そんな状況で迎えた2日目だった。

第1週第2週第3週第4週第5週第6週第7週戦績
上武大5○1関
11○1関
7○1常
9○1常
6○2平
5○2平
2●3山
5○3山
8○3山
0●8白

8勝2敗
勝ち点4
白鴎大4○0関
8○0関
2●3平
7○3平
7○5平
6○2常
6○1常
8○3山
5●8山
11○0山
8○0上

9勝2敗
勝ち点4
▲関甲新学生リーグ2005年春季第7週初日まで
小山球場(地理院タイルを加工)

◆球場は白鴎大の地元・小山球場でした。2005年当時は小山駅前が「東キャンパス」、思川を渡ったところが「本キャンパス」でしたが、今は駅前が「本キャンパス」になり、かつての「本キャンパス」は「行寺キャンパス」と呼ばれているようです。

先制、逆転、再逆転、そして同点

白鴎は2回表、四球の先頭打者をバントで手堅く送り、石塚のタイムリーで先制した。4回には、死球の先頭打者を同じようにバントで送り、やはり石塚のタイムリー二塁打で加点した。

白鴎の先発は、この日が誕生日?のカルデーラ。4回まで1安打1四球で5三振を奪っていた。5回裏、先頭打者に四球を与えた。次打者の藤原はバントの構えをしている。まだ中盤だ。1敗している以上、「とりあえず1点を返して」という作戦がセオリーだろうが、上武は初球からバスターエンドランの奇襲に出た。

藤原の打球はライト前に落ちた。スタートしていた一塁走者は三塁を陥れた。無死一・三塁だ。8番の根津を迎えて、白鴎の黒宮監督はマウンドに行き、いったん間合いをとった。根津の2球目に一塁走者が盗塁を決めた。

一塁が空いたことで白鴎は前進守備になり、根津の打球は前進守備のショート左を破った。2人の走者を迎え入れて同点。次打者の内野安打で無死一・二塁となった。

2番手の田崎がマウンドに上がる。スリーバントを処理した田崎は三塁に投げた。封殺で一死一・二塁。2番の目黒はショート内野安打で満塁になったものの、田崎は後続を絶って逆転のピンチをしのいだ。

7回表、白鴎は一死満塁を逃す。その裏、上武は押し出し四球で勝ち越した。この1点を契機に、重苦しい試合が活発に動き出していく。

8回表、白鴎は先頭の佐藤勇がライトスタンドに同点アーチをかけた。二死満塁で打席には飯原。少年時代から何度もこの球場でプレイしてきたであろう飯原は、永井の初球を左中間に運んだ。

同点の9回表

飯原の2点タイムリーで勝ち越した白鴎は、すでに5勝している吉村をマウンドに送る。「この試合で決める」という意欲が見える。

だが、継投は裏目に出た。と言うより、上武が「そう簡単に優勝はさせない」という意地を見せた。上武は連打でチャンスをつくり、タイムリーと内野ゴロで再び試合を振り出しに戻した。負けるにしても高い壁であり続けることが常勝チームのプライドというものだ(と、煽りたくなるのが第三者)。

もし、この試合が長引いて上武が勝つようなら、吉村に3連投を強いることになる。白鴎としては最悪のパターンだ。吉村を投入した以上、白鴎は何としてもこの日で決めなければならない。3回戦は避けねばならない。

9回表、先頭の高谷がイレギュラーヒットで出た。ここから上武が必死の継投を見せる。4番の佐藤に対しては山下、5番の市川に対しては福井、6番石塚に対しては加賀だ。

白鴎打線はこの継投をことごとく粉砕した。佐藤はライト線二塁打、市川はセンター前タイムリー、石塚は右翼席に3ラン。石塚の決定的なホームランは交代直後の初球だった(1b-0s後の投手交代)。

厚く重かった最後の扉は大きく開け放たれた。4点差の9回裏は初優勝へのカウントダウンだ。レフトフライ、三振、最後はファーストゴロ。この日5打点の石塚がウイニングボールをミットにおさめて一塁ベースを踏んだ。内外野から、三塁側ベンチから、嬉しい全力疾走だったことだろう。

歓喜の輪は一塁ベースのマウンド寄りで形成され、数個の帽子が宙を舞った。三塁側スタンドから祝福の紙テープ(年越ししたテープかもしれない)。そして、整列…。前年を経験しているのなら、ああいうアナウンスにしかならない。むしろ、よく声が出たものだと思う。優勝おめでとう。

2005年5月15日

▲春のリーグ戦を制したことで、白鴎大は大学選手権の初出場も決めました。栃木県のチームとしても初出場でした。2005年時点で山形、新潟、山梨、長野、滋賀、和歌山、鳥取、徳島、佐賀、長崎、宮崎の11県が未出場でした。

関甲新リーグ

優勝2位3位白鷗大
1993関東学園大常磐大宇都宮大3部3位
関東学園大常磐大上武大3部1位
1994関東学園大上武大新潟大2部4位
関東学園大上武大常磐大2部5位
1995関東学園大上武大常磐大2部4位
上武大常磐大関東学園大2部3位
1996上武大関東学園大常磐大2部3位
関東学園大上武大山梨学院大2部2位
1997関東学園大上武大山梨学院大2部2位
上武大関東学園大高崎経済大2部2位
1998関東学園大上武大常磐大2部1位
上武大関東学園大白鷗大1部3位
1999関東学園大上武大山梨学院大1部4位
関東学園大上武大山梨学院大1部5位
2000上武大常磐大関東学園大1部5位
関東学園大常磐大上武大1部3位
2001上武大常磐大関東学園大1部5位
上武大常磐大関東学園大1部5位
2002上武大常磐大平成国際大1部5位
上武大常磐大平成国際大1部4位
2003上武大白鷗大平成国際大1部2位
平成国際大常磐大上武大1部4位
2004上武大白鷗大平成国際大1部2位
上武大白鷗大平成国際大1部2位
2005白鷗大上武大平成国際大1部1位
白鷗大上武大平成国際大1部1位
2006上武大白鷗大平成国際大1部2位
上武大山梨学院大白鷗大1部3位
2007上武大平成国際大常磐大1部5位
上武大作新学院大山梨学院大1部6位
2008上武大平成国際大常磐大1部4位
上武大常磐大白鷗大1部3位
2009白鷗大平成国際大上武大1部1位
上武大白鷗大作新学院大1部2位
2010白鷗大上武大山梨学院大1部1位
上武大平成国際大白鷗大1部3位
2011上武大白鷗大山梨学院大1部2位
白鷗大山梨学院大上武大1部1位
2012上武大山梨学院大白鷗大1部3位
白鷗大山梨学院大上武大1部1位
2013上武大山梨学院大白鷗大1部3位
上武大白鷗大山梨学院大1部2位
2014山梨学院大白鷗大平成国際大1部2位
上武大平成国際大白鷗大1部3位
2015上武大白鷗大平成国際大1部2位
上武大白鷗大山梨学院大1部2位
2016上武大新潟医福大白鷗大1部3位
上武大白鷗大平成国際大1部2位
2017上武大白鷗大作新学院大1部2位
上武大白鷗大関東学園大1部2位
2018白鷗大上武大関東学園大1部1位
上武大白鷗大山梨学院大1部2位
2019上武大白鷗大山梨学院大1部2位
白鷗大上武大関東学園大1部1位
2020中止
上武大白鷗大平成国際大1部2位
2021上武大平成国際大白鷗大1部3位
上武大白鷗大新潟医福大1部2位
2022上武大白鴎大平成国際大1部2位
▲関甲新リーグの上位チーム

◆私の認識では大学野球は早いもの勝ちの世界です。高校野球のように県単位の組織ではありません。関甲学生野球連盟の発足は1993年とされていますが、前身の「北関東甲信越大学野球連盟」の名称で発足しています。埼玉を含む北関東4県だけでなく山梨と新潟に長野まで網羅する広域リーグです。「新」は新潟の「新」の文字と信州の「しん」の読みをミックスしたものでしょう。
◆私は関東学園大が強かった時代に大学野球に興味を持ち始めました。関甲新の試合を初めて見たのは1996年です。上武大の台頭後は平成国際大との1.5強になるのではと睨んでいましたが、白鴎大との1.5強だったようです。
◆当時の関甲新リーグは2勝先勝の勝ち点制でしたが、2022年の春季リーグ戦は1部リーグ10チームによる総当りリーグ戦です(2部はブロック分け)。


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