サハリンの商業学校

北緯50度以南のサハリンが日本領となるのは、1905年のポーツマス条約によるものです。仲介を斡旋したセオドア・ルーズベルトは翌1906年のノーベル平和賞を受賞しています。サハリンには商業学校が4校あったようです。

  • 樺太公立大泊商業学校(コルサコフ)
  • 樺太公立真岡商業学校(ホルムスク)
  • 樺太公立豊原商業学校(ユジノサハリンスク)
  • 樺太公立敷香商業学校(ポロナイスク)

南の沿岸部がコルサコフ(旧・大泊町)、その内陸にあるのが州都ユジノサハリンスク(旧・豊原市=樺太庁所在地)、大陸側の沿岸部がホルムスク(旧・真岡町)、当時の国境近くはポロナイスク(旧・敷香町)です。

ホルムスクから北へ約44kmほどの場所にはチェーホフ(旧・野田町)と名付けられた町があります。アントン・チェーホフが流刑地としてのサハリン島を訪れたのは1890年の夏です。

チェーホフの北約35kmのトマリ(旧・泊居町)のストビューです。中腹に2つの鳥居を確認することができます。本殿は残っていないはずです。トマリには商工学校があったようです。

ビザは必要ですがサハリンには意外と気軽に行けるようで、成田と新千歳からユジノサハリンスクへの定期便があり、夏季限定で稚内-コルサコフ間のフェリーも就航しています(2019年は未定)。