4人目のあと1人、10度目のあと1球

2019/04/29公開 2019/05/14更新

◆旧「セットポジション」では2000年9月に公開したページです。「熱闘九番勝負」の3番打者でした。
◆ノーヒットノーランは緊張感の持続という点で、ほかのどんなゲームより印象的です。「あと3回」「あと2回」「あと1回」「あと2人」「あと1人」「あと1球」…。9回二死までノーヒットノーランだったのに、死球、四球、内野ゴロエラーで二死満塁になってしまいました。さて、結末はいかに?


ショートカット作戦

たしか小学5年の春の遠足だった。道の右端を歩いたり左端を歩いたりする私を担任の先生がとがめた。ずいぶん理不尽な話だ。道が曲がりくねっているだけで、私はまっすぐ?歩いているというのに…。

あまり教育的効果はなかったようで、私は今でも道の角をショートカットするのが好きだ。わざわざ律儀に直角に曲がる必要はないと思っている。繁華街で角地にある銀行やパチンコ店は、店内を通り過ぎると混雑した歩道を歩くよりスムーズに通り抜けられることもある。

白山通りと春日通りが交わる春日町交差点の交番前から東京ドームの25番ゲート方面に行きたいなら、講道館の前を通るのではなく、文京区役所の中を歩いたほうが早い。茶沢通りから246の渋谷方面に左折したいときは、みずほ銀行の中を通るべきだ。屋内なら雨は降らない。おまけに冷暖房完備だ。

▲あいにく三茶交差点のみずほ銀行は今ではドラッグストアになっています。銀行時代のキャッシュコーナーは246沿いにありました。茶沢通りから入って「いらっしゃいませ」と言われても、キャッシュコーナーに向かう客でいられました。

97年の秋のことだった。大阪モノレールの万博記念公園駅で降りた私は、ちょっと思案していた。目的地の万博球場はエキスポランドの向こう側にあるはずだ。線路沿いに歩くと遠回りになるかもしれない。遊園地の中をショートカットできるのではないか。だが、そのためには入園料を払わなければならないのだろうか。

エキスポランドとは、そんなたいそうな施設なのだろうか。入場口らしきところまで歩いてしまうと、有料で通り抜けができない場合は引き返すことになる。近道しようとして、かえって余計に歩かされるのはシャクだ。無難に線路沿いに進むか、チャレンジしてみるか、決めかねているときに都合よく知った顔を見つけた。

スカウトをストーカー

あれは某プロ球団のスカウトだ。向こうは私を知らないだろうが(まあ、見覚えのある奴ぐらいには思われていたかもしれない)、こっちは知っている。体格といい、日焼け具合といい、間違いはない。どうせ目的地は同じなのだ。この時間帯にここを歩いている彼が、遊園地で不倫相手と待ち合わせている可能性は低い。

なにしろ第1試合では、上原浩治(当時は大阪体育大3年)が投げるはずなのだ。彼が職業倫理に忠実なスカウトなら、私は彼の後ろをついていくだけで球場に到着することになる。「蛇の道はヘビ」と言う。彼は万博球場が初めてというわけではあるまい。

もし、彼にとっても初めての球場なのだとすれば、「やぶへび」になるかもしれない。まあ、ヘビにもいろいろある。彼はエキスポランドには見向きもせずに、線路沿いの道を歩き始めた。30mの間隔をキープしながら、私はストーカーになった。おかげで、ちっとも迷わず球場に着いた。

球場に着くと、チケットも売っていないし、パンフも売っていない。どうやら入場は無料のようだ。阪神大学リーグの連盟パンフは高槻のK氏からもらっていたから、改めて手に入れる必要はない。それに、この球場はネット裏も芝生席だと聞いていたので、とくに驚きもしなかった。

あらかじめ、折りたたみ式の小さなパイプ椅子を、わざわざ東京から持っていった。「備えあれば憂いなし」と言う。釣具店で買ったものだ。夏の間に私が着込んでいるポケットのたくさんついたベストや、スポニチ大会や神宮大会で着用する耳が隠れる帽子も、私は釣具店で調達している。

野球観戦と釣りには共通点が多いと、よく話題になる。どちらもポイント選びが大切だし、場合によっては早起きも避けられない。天候も気になる。ときには鳥の糞を浴びることもある。獲物がかかるのをじっと待っているのも似たようなものだ。きょうの獲物は何だろう。上原は前にも見たことがある。

きょうの獲物はノーヒットノーラン?

何が起こるかは、終わってみないとわからないのだ。何の収穫もないこともある。ありふれた平凡な試合かもしれないし、何年たっても忘れられない貴重な試合になるかもしれない。どちらに転ぶかはわからない。ひとまず「88か所球場めぐり」を達成した私が次なる目標に向かって、新たに旅立ったのが万博球場だった。

第2試合は、甲南大と大阪経法大(以下「経法大」)の1回戦だった。甲南大の先発は4年生の明松英俊だ。明松は「かがり」と読む。アマチュア野球ファンとしてのキャリアを重ねると、地名や人名にはめっぽう強くなる。古賀と言えば福岡か佐賀、綿貫なら富山、宇都宮はたいてい愛媛だ。

峠野下(とうのした)、仲村渠(なかんだかり)、四十万(しずま)…普通は読めない。宝島を素直に「たからじま」と読んだら「ほうしま」だったので、宝藤を「ほうどう」と読むと今度は「たからふじ」だったりする。こっちも日々研鑚に励んでいるのだ。

明松は和歌山の星林高の出身だ。星林は93年春の近畿大会で準優勝している。明松はそのときのエースだ。明松は初回に四球と死球、3回にも死球2個で走者を背負ったが、まだ安打は許していなかった。6回表の甲南大は3連打に足を絡めて2点を先制した。

6回裏は3者凡退、そろそろ気になるイニングだ。6回裏が終わったところで、スタンドの観客の数を数えてみた。記録に立ち会えるかもしれないのは、120~130人といったところだった。7回裏、スリリングな場面が訪れた。経法大の6番・藤井の打球は、外野に抜けそうな二遊間のゴロだった。

ショートが追いついた。幸か不幸か、藤井はあまり足が速くなかった。しかも右打者だった。一塁送球はワンバウンドでライト方向に流れて、ファウルグラウンドに抜けた。いい送球ならアウトだったかもしれないし、あるいはセーフだったかもしれない。微妙なところだ。スコアボードには「E」のランプが灯った。

パイプ椅子ごとのけぞる

このあと、経法大は右の明松に対して左の代打攻勢をかけたが実らなかった。甲南大は8回に1点を追加して、試合はほとんど決まった。あとは明松のノーヒットノーランだけだ。その裏、ツーアウトから佐藤勝の打球が右中間に上がったとき、私は思わず後ろにのけぞった。パイプ椅子ごと倒れそうになった。

打球はライトがランニングキャッチでおさえた。私もあたふたしたものの倒れることなく踏ん張った。さあ、これで24アウト。いよいよ、あと1イニング。あと3人だけだ。ノーヒットノーランも気になるけれど、それはそれとして、1つ困った問題が生じていた。

8回裏の経法大は、9番打者の長(おさ)の打順で江崎を代打に起用した。長はセカンドを守っていた。私はセカンドの選手の背番号を双眼鏡で確認した。背番号は「2」だ。背番号「2」はさっきまでサードを守っていた山田だ。サードの選手の背番号は「23」だ。

そうすると、次のような場内アナウンスが必要になる。「大阪経法大学、選手の交代ならびにシートの変更をお知らせいたします。さきほどの回に代打いたしました江崎君に代わりまして**君がサード、サードの山田君がセカンドに入ります。8番セカンド山田君。9番サード**君、**高校、背番号23」

阪神リーグの場内アナウンスは、女子マネージャーが担当することになっているようだ。第1試合はうまかったが、第2試合はあまり頼りにはならなかった。このような「ダブル・チェンジ」のときのアナウンスをなめらかに言えるはずがない。だから、私は場内アナウンスを待つことなく双眼鏡を取り出したのだ。

間違いは許そう。つっかえるのも仕方がない。だが、間違ったからといって何度も笑うな。箸が転んだのかもしれないけれど、インプレイに入っているのにマイクを通して笑っているのは失礼だ。下手は下手なりにまじめにやれ(と思っている人は少なくないと思われる)。

名前のわからない選手

案の定、選手交代のアナウンスは9回表の攻撃開始に間に合わなかった。インプレイ中のアナウンスになったことを気にしているのだろう。早口になってサードに入った選手の名前がよく聞き取れない。出身校も背番号も省略された。ちなみに、連盟パンフの背番号欄はご丁寧にも空欄になっている。

そのうえスコアボードには選手名は出ない。これを俗に「踏んだり蹴ったり」と言う。経法大の9回裏は3番から始まる。9番に入るサードの選手まで打順が回れば、もう1度アナウンスの機会があるが、ちょっと難しそうだ。とても9番まで回るとは思えない。

もし、ノーヒットノーランになったとき、選手名が1人でも抜けては画竜点睛を欠くことになるではないか。阪神リーグのボックススコアは在阪スポーツ紙にも出ないはずだ。ということは、試合後に経法大の選手をつかまえて確認するしかないだろう。しかし、ノーヒットノーランで負けたチームの選手には声をかけづらい。

9回裏、明松は簡単にツーアウトをとった。5番の丸林を1B-2Sと追い込んだ。とうとう「あと1球」だ。4球目が左打席の丸林の足元付近に投じられた。キャッチャーは後逸したが、一塁塁審にハーフスイングの判定を求めていて、ボールを追う様子がない。

左打者のハーフスイングだから、一塁塁審にスイング判定を求めるのは「お門違い」というものだ。キャッチャーもそれに気づいて、今度は三塁塁審を指さした。ようやく球審も塁審に判定をゆだねた。

あと1球なのに

三塁の塁審はおそるおそる(いかにも自信なげに)右手を上げた。これを見て、打者の丸林は突然一塁に走り出した。キャッチャーが慌ててボールを拾いに行ったけれども、丸林は悠々と二塁まで達した。その後、審判4人の協議の結果、丸林は一塁に戻された。

ベンチから出てきた経法大の監督に対して、球審は自分の足を手でたたく仕草を見せた。どうやら、死球ということなのだろうと思われる。考えられる可能性は次の4つであり、二塁に進んだ丸林が一塁に戻されるとしたら、【B】以外にはあり得ない。

キャッチャーは、後逸したボールを追わなかった。キャッチャーの意識の中では、【A】/【B】を問題にしたくて、ハーフスイングの確認要請をしたものと思われる。【C】/【D】の問題なら、まずボールを追わなければならない立場にいるからだ。

打者は打席に残っていて、塁審のスイング判定を見て、一塁に走り出した。彼の認識は【C】/【D】だったものと思われる。塁審がスイングをとった時点で、【C】になったわけだから、慌てて走りだしたのだろう。

ただ、【B】だとすると、腑に落ちない点もある。塁審のスイング判定が有効なのだとすれば、【A】か【C】でなければならないのだ。【A】だとすれば、丸林はアウトになるはずだから、明松のノーヒットノーランが成立する。二死走者なしのこの場面は、通常なら振り逃げは可能だ。

ハーフスイング判定

だが、投球が打者に当たれば、振り逃げはできない。そのまま打者アウトになる。『公認野球規則』には次のような規定があるからだ。

6・05 打者は、次の場合、アウトになる。
 (f) 2ストライク後、打者が打った(バントの場合も含む)が、投球がバットに触れないで、打者の身体に触れた場合。

2008年版『公認野球規則』

▲日本の「公認野球規則」は2016年から章立てが変更されています。改正後の5.09(a)(6)に相当するようです。

一方、【C】だとすれば、丸林が二塁から戻される筋合いはない。ボールを追わなかったのはキャッチャーの責任であって、審判の責任ではないからだ。【D】なら、丸林が一塁に行けるはずがない。カウント2B-2Sで再開されることになる。こうして消していくと、【B】しか残らないのだ。

だが、【B】だとすれば、いったんはスイングを判定した塁審のジャッジが覆されたことになる。ついでに言えば、球審はスイングをとらなかったわけだから、まず【B】を宣告すべきだろう。そのうえで、塁審がスイング判定したら【A】になるはずだ。

いずれにしても、場内説明などなかったので、本当に死球なのかどうかはわからない。とにかく、丸林は一塁に出たのだ。すくなくともヒットでないことは確実なのであって、その帰結として明松のノーヒットノーランの権利はまだ残っている。

二死一塁、明松は6番の藤井も1B-2Sと追い込んだ。2度目の「あと1球」だ。このあと、ボール、ファウル、ボール、ボールで四球を与えてしまう。四球だから、まだノーヒットノーランは途切れていない。大相撲なら取り直しであって、無責任な観客としてはこれもウェルカムだ。

9回裏二死満塁フルカウント

二死一・二塁、7番の大橋は2B-1Sからの4球目を打った。サードの右に転がった。三塁手が飛びついて、打球はそのグラブを弾いた。ショートがすぐさまフォローして、二塁に送球した。セーフだ。スコアボードは気を持たせたあげく、「E」が灯った。まあ、状況が状況だ。よしとすべきだろう。

さあ、これで二死満塁だ。もはや死球も四球もエラーも許されない。もうこれ以上の取り直しはないのだ。35人目の打者・山田は代打を受けた守備要員だ。明松は山田をさっさと0B-2Sと追い込んだ。4人目の「あと1人」であり、6度目の「あと1球」だ。

ファウル、ボール、ボール、ボールで、ついに3B-2S。次が10回目の「あと1球」だ。ノーヒットノーランの可能性を残したまま、9回裏二死満塁フルカウントなのだ。こんなおいしい試合が見られたのだから、東京からパイプ椅子を持参したかいがあったというものだ。

9回二死でノーヒットノーランならず、のテーブルスコア

明松の132球目は、無情にも三遊間の真ん中に弾き返された。今度は誰が見ても文句なしのヒットだ。1番から5番まで左打者を並べ、下位打線では左の代打攻勢をかけた経法大の初安打は、守備要員の右打者から生まれた。おかげで、名前のわからなかった9番**君にも打順が回ってきた。めでたし、めでたし…。ん? んん?

なお、前述したとおり、この球場は内野スタンドも芝生席だ。「すこしのことにも、先達はあらまほしきことなり」と兼好法師もおっしゃっている(『徒然草』の52段)。できれば、虫よけスプレーも持って行くべきだ。当時の連盟パンフをめくっていたら、すくなくとも3匹の虫さんが「しおり」になっていた。

ところで、明松は当時4年生だった。このシーズン、阪神大学リーグの通算最多勝記録をつくったらしい。翌年には上原があっさりと更新してしまったそうだ。


◆明松は、06年まで社会人野球(小西酒造、サンジルシ醸造、トヨタ自動車)でプレイしていました。
◆02年8月1日の対G20回戦で、川上(D)がノーヒットノーランを達成しましたが、これはプロ野球では70人、81度目だそうです。同年8月26日の対M21回戦では、9回二死までノーヒットノーランを続けていた西口(L)が最後の1人(小坂)に初安打を浴びました。こちらは19人、20度目だそうです。つまり、後者のほうがはるかに難しい?わけです。
◆航空写真を見ると、今でも万博球場のネット裏は芝生席のようです。

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