富士に棲む魔物

◆旧「セットポジション」で2002年7月に公開したページです。なお、文中の富士吉田駅は2011年7月に「富士山駅」に改称されており、駅ビルの核テナントだったイトーヨーカドーは2005年12月に撤退しています。

富士に棲む魔物

富士山は円錐形というわけでもない。御殿場口に宝永山というでっぱりがあるのだ。太宰治で有名な御坂峠や三ツ峠から富士山を眺めると、ちょうど宝永山が背面に回るために、裾野がすらっと伸びた絶景になるらしい。

地図上で、御坂峠あるいは三ツ峠と富士山頂を結ぶと、そのほぼ中間地点に富士北麓公園がある。つまり、太宰が推奨するおいしい方角になる。

富士北麓球場

朝4:30に起きた。朝刊はまだ届いていなかった。何度も書いているように、アマチュア野球ファンにとって早起きは必須条件だ。4:50過ぎに出発して、JR水道橋駅に着いたのは5:10前だった。自動券売機で切符を買おうとしたら、釣り銭だけ出て、肝心の切符が出てこない。

まあ、さほど焦っているわけではないけれども、できることなら5:13発の高尾行各駅停車に乗りたいのだ。勝手にアラームが鳴って、駅員が対応してくれた。無事に切符を手に入れたので、予定の電車に間に合った。先が思いやられるアクシデントだ。

モザイク

やがて、やたらと乗客が増えた。新宿に着いたに決まっている。中野を過ぎた5:35、体が冷えてきたので1枚着込んだ。まだ先は長い。あらかじめ空いているうちに弱冷房車を選んでいた。6:29、高尾で大月行各停に乗り換える。大月着は7:06だった。

大月駅で買った『スポニチ』は完全な東京版だった。これなら『山梨日日新聞』を買ったほうがよかった。7:28、富士急の河口湖行各停が出発した。この電車に乗るのはいつ以来だろう。記憶を辿ってみると、大学時代のゼミ合宿を思い出した。2両編成の単線だ。

電車の中で蝶が舞っている。都内の地下鉄ではまず考えられない。きっと無賃乗車に違いないと思われる。しかも、確実に「大人」だと断言できる。別に車掌がとがめる様子はなかった。たぶん、どのようにして切符を買うのかという問題があるのだろう。

7:58、吉池温泉の手前で富士山が見えた。残念ながら頂上付近に厚い雲がかかっている。前日、台風7号が通りすぎたばかりだが、台風一過とはいかないようだ。頂上が見えないのは、なんとももどかしい。

肝心なところにモザイクがかかるのは、日本の「正しい」しきたりだと言えるかもしれない。もちろん、「正しい」ことが歓迎できるかどうかは別の問題だ。そうでない場合も少なくはない。

策士

8:15、最寄りの富士吉田駅に着いた。駅の周辺をぐるりと回ってみた。どうやら途中まで行く路線バスも、直行の臨時バスもないようだ。バスがなければ交通手段は2つしかない。タクシーか、さもなくば自力で歩くか、だ。山登りの5キロに躊躇するのは自然な成り行きだ。

駅前の喫茶店に入った。ここまで来て、タクシーを使って球場まで行って、もし試合がなかったら目も当てられない。カウンターに置いてあった『山梨日日新聞』を開いた。第1試合は予定どおり9:30からだ。モーニングを食べ終えて、隣のタクシー乗り場に向かった。

タクシーの運転手は野球好きが多い。やはり仕事柄、ラジオ中継を聞いているからなのだろう。(当時)ファイターズの井出竜也や元ライオンズの田辺徳雄が吉田高の出身だという。知らないわけではないけれど、話を合わせて気分よく運転してもらうのもマナー?というものだろう。

1961年から76年までホエールズに在籍した「ポパイ」こと長田幸雄も吉田高OBらしい。さすがにそこまでは知らなかった。吉田商高出身で元ブレーブス(79~90年)の関口朋之の話題にならなかったのは、パリーグで通算12勝13セーブでは、どうせ知らないだろうと思われていたのかもしれない。

¥1,770払って、タクシーを降りた。運動公園だから敷地内を歩かされる。チケット¥600、パンフ¥500で、スタンドにたどり着いたのは8:50だった。いつものようにネット裏の最上段に席をとる。外野スタンドは芝生席だ。

球場の周囲は樹木で覆われている。両翼のポールも、スコアボードも、木々の緑の中に見える。そして、真正面に富士山。その裾野の両端は、ちょうどレフト・ポールとライト・ポールに向かって伸びている。

なるほど、天気さえよければ、たしかに「絶景」に違いない。天気さえよければ、だ。相変わらず、頂上付近は雲で覆われている。稜線もぼんやりしたままだ。この球場の設計者は「策士」だ。借景には違いないけれども、こういう眺望にするために、この場所でこの方角に球場をつくったわけだ。

ツリーラインと冠雪

9:30、小学生の投手と打者で始球式が始まった。この日は平日だし、まだ夏休み前のはずだが、いったい授業はどうしたのだろう。始球式で休めるのなら、悪い話ではないかもしれない。1回裏が終わったとき、頂上のモザイクが消えた。太宰の『富嶽百景』にならって、私は雲の一点にしるしをつけていた。

はじめ、雲のために、いただきが見えず、私は、その裾の勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであろうと、雲の一点にしるしをつけて、そのうちに、雲が切れて、見ると、ちがった。私が、あらかじめ印をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂きが、すっと見えた。おどろいた、というよりも私は、へんにくすぐったく、げらげら笑った。やっていやがる、と思った。人は、完全のたのもしさに接すると、まず、だらしなくげらげら笑うものらしい。

太宰治「富嶽百景」

あいにく、私はげらげら笑ったりしなかった。だいたいのところ、想像どおりだったからだ。ひょっとすると、私は太宰よりすぐれた想像力を持ち合わせているのかもしれない。ただ、季節が悪い。残雪をわずかに確認できるけれども、さすがに7月の半ば過ぎとあっては冠雪しているはずがない。

富士山の森林限界(ツリーライン)は、標高2,400~2,500mらしい。それより標高が高くなると樹木は育たない。正確には、土壌中のバクテリアが活動できないので、樹木が生育できる環境にならないということらしい。冠雪と森林限界がセットになれば、上から順に、雪の白→岩石の灰褐色→木々の緑という三層構造が拝めるのかもしれない。

「やはり、富士は、雪が降らなければ、だめなものだ。」もっともらしい顔をして、私は、そう教えなおした。

太宰治「富嶽百景」

さて、第1試合は甲府工とシード校の日大明誠の対戦だった。この球場での顔合わせとしては、ゴールデン・カードだと言っていいだろう。4回終了が10:35、富士山は7割ほど雲に隠れた。日大明誠に初安打が出た5回裏から雨が降り始めた。6回表途中の11:20には富士山はすっかり姿を消してしまった。

「○○先生、好きです」

第1試合は12対2の6回コールドで甲府工が勝った。試合終了は11:32だった。富士北麓球場の椅子は背もたれがない。最上段に座ると、壁にもたれかかることができる。ネット裏の真正面の列は前方が6段、後方が5段しかない。両サイドにずれると、後方6段目の席がある(内野席は後方10段まで)。

少し三塁側寄りに座るのが私のポリシーだ。だから、私は6段目の席に座っていた。空を見上げると、ちょうど私の真上だけ屋根が広い。5段目では雨に濡れてしまうが、6段目ならなんとか防げる。私が座った席は、右側と後ろが壁になるから、風向きが悪くない限り、雨はさほど気にならない。

おかげで、傘をさす必要はなかった。本能的にベスト・ポジションを選んでいたのかもしれない。なるほど、これが太宰の言う「完全のたのもしさ」なのだろうか。たしかに、げらげら笑いたくなる。まあ、笑いはしなかった。不審人物と思われかねないからだ。

第2試合を戦う両チームのシートノックが終わり、グラウンド整備がおこなわれた後、雨脚が少し強くなった。マウンドとホームにシートがかけられて、プレイボールはお預けになった。この空き時間に、一塁側応援席の前のファウルグラウンドには1人の選手が立っていた。

応援席に向かって、TV番組よろしく「○○先生、好きです」と、メガホンを使って叫んでいる。機転をきかせた自発的な行為だったのか、突然の空き時間を巧みに利用してリラックスさせようという魂胆があっての誰かの差し金だったのかは断定しかねる。後者だとすれば、彼も「策士」だ。

最初の選手の背番号は確認し損ねたけれども、2人目は背番号3だった。彼は、1人目の選手以上に長々と喋っていた。もっとも、私に聞こえたのは、「必ずヒットを打ちます」と「○○先生、好きです」だけだ。人材不足だったのか、横槍が入ったのか、その2人だけで終わった。

富士の魔物

第2試合が始まったのは12:26だ。先攻の日川は終始優位に試合を進めていた。9回表の2点は決定的なダメ押し点とも思えた。4点差で迎えた9回裏、上野原の攻撃は5番打者から始まる。追い込まれたあとの打球がピッチャーのグラブを弾いてセカンドに緩く転がった。一塁送球はセーフだ。

第2試合、上野原高校6対5日川高校

続く6番打者には思い入れがある。「必ずヒットを打ちます」の背番号3だからだ。それまでの3打席は、送りバント、死球、レフトフライだった。背番号3の6番打者は、これまた追い込まれたあとの4球目をレフト前に運んで、見事に「公約」を果たした。

7番打者も一・二塁間を破って、無死満塁。ここでピッチャーが代わった。日川は、先発して4回途中からセンターに入っていた背番号8の右投手にマウンドを託した。背番号1の左投手は背番号8に代わってセンターのポジションについた。

9回裏の上野原高校の攻撃

▲「S」は見逃しストライク、「F」はファウル、「B」はボール、「H」はインプレイの打球です。

8番打者は交代直後の初球をセンター前に弾き返した。3点差に迫り、なお無死満塁だ。一塁走者は同点のランナーになる。リードしている日川の背後には、あちこちの野球場に棲息しているらしい「魔物」がひたひたと歩み寄っているようだ。

9番打者の打球をセカンドが弾いた。守る日川にとっては、転がった場所がよかった。ちょうどセカンドベースに入るショートの位置だった。ショートはそのままセカンドベースを踏んで一塁走者封殺、一塁に送球して打者走者もアウトにした。

三塁走者が生還して2点差になり、二塁走者も三塁に進んだけれども、2アウトだ。同点の走者はいなくなった。上野原の反撃もこれで万事休す、かと思われた。「魔物」が差し出した手(もし「魔物」が四足歩行の動物だとすれば前足と言うべきだろう)を日川は払いのけた…、はずだった。

再び、ピッチャーとセンターが代わった。左対左を意識した継投だと思われるが、結果的には勝敗を左右した継投だったのかもしれない。ゲッツーをとって、優位に立った勢いを殺してしまうようにも思えた。投手交代の間合いは曲者だったりする。再度マウンドに上がった背番号1の左投手は、1番の左打者に四球を与えた。

2番打者のセカンドゴロはエラーを誘い、三塁走者が生還して1点差。同点の走者が三塁に進み、逆転サヨナラの走者は一塁に出た。8回までセカンドに飛んだ打球はなかったのに、9回だけで3本飛んだのだ。プレッシャーのかからない場面で1本処理していれば、このエラーはなかったのかもしれない。

3番打者はセンターオーバーの三塁打を放ったので、同点の走者だけでなく、サヨナラの走者もホームインした。

6年前の7月17日水曜日

これまで私が見た試合で、9回裏の逆転サヨナラ劇は26試合目であり、4点差からの逆転サヨナラが最大点差だ。だから、上野原はタイ記録ということになる。1回目は、くしくも同じ7月17日の同じ水曜日におこなわれた同じ2回戦だった。

1996年の柏南高対大多喜高

小刻みに加点した大多喜は、8回表を終わって7点リードしていた。8回裏、柏南は3四球と2安打で4点を返したが、大多喜も9回表に5番打者のソロアーチで1点を加えた。4点差で迎えた9回裏、マウンドには8回途中から登板した背番号1がいた。

彼は4つの四球を与えて同点の走者を出し、最後は走者一掃の左中間三塁打を浴びた。9回の球数は28球であり、そのうち19球がボールだった。

▲「S」は見逃しストライク、「F」はファウル、「B」はボール、「H」はインプレイの打球です。

間の悪いことに、私の隣では負けた大多喜の女子マネージャー2人がスコアをつけていた。悪夢のサヨナラなのだ。泣いているのはわかっている。試合が終わって整列する選手に合わせて、2人は脱帽起立する。彼女たちと顔を合わさずにすむように、そそくさと席を立って売店へと急いだ。

下山

6年前と同じように富士北麓の第2試合はドラマチックに幕を閉じた。照明設備のない球場だから3試合目は予定されていない。トイレで用を足してから球場の外に出ると、三塁側の選手通用口で新聞記者らしい人物が日川の選手をつかまえていた。因果な商売だ。

第2試合の3回表から再び降り出した雨はもうすっかり上がっていた。雨または晴れならタクシー、曇りなら徒歩の腹づもりだった。だいたいの下山ルートも決めていた。私は外野スタンド方向に歩き始めて、図書館でコピーしてきたロードマップを取り出した。

外野スタンドは富士山側だ。駅はバックネット側にある。裏門から敷地外に出ようという魂胆だったが、西側の通用門は閉ざされており、南側には門はなかった。公園と道路の間は崖になっているし、柵もめぐらされている。おかげで、球場の周囲をぐるりと1周歩かされた。

スタンドの大きい甲子園球場の場合、球場の周囲を一周すると約1キロになるらしい。富士北麓球場は甲子園ほど大きくないとしても、直径200mと考えれば、2πrで周囲は628mになる(私は円周率=3.14世代だ。黒電話も知っている)。余分に歩いて、結局は正門から出た。15:30のことだった。

下山ルート

風はほとんどない。雨の心配もなさそうだ。鳥のさえずり、セミの鳴き声、そのほかに聞こえるのは自分の足音だけ。倒木さえ放置されたアカマツの森がときおり風に打たれて雨のしずくを撒き散らす。クモの糸が汗ばんだ腕に絡みつく。きっと、半径1キロ以内には誰もいないに違いない。

そんな静寂の世界に浸っていると、無粋な自動車が通り過ぎたり、すれ違ったりする。野暮な話だ。まあ、あっちはあっちで、どうしてこんなところを1人で歩いている奴がいるのかと、いぶかしく思っていたのかもしれない。そういえば、「魔物」にとりつかれた日川高校のバスも見送った。

遭難者?

県道701号線に合流したのは15:48だった。「熊に注意」という看板でもあったらどうしようかと、少し心細く思っていたら、右手に何やら看板が見えた。どうやら、道路の右側は陸上自衛隊の北富士演習場のようだ。この森の中に迷い込む勇気はなかった。

▲この黄色の看板は「クマ出没注意」のようです。私が歩いた方向とは逆ですので、気づかなかっただけかもしれませんし、2002年以後に設置されたのかもしれません。2012年7月撮影のストビューです

しばらく歩いていると、タクシーが登ってきた。50mぐらい先で止まった。気をきかせてくれたらしいが、私は遭難者ではない。来るときに乗ったタクシーの領収証はまだ捨てていない。電話番号はわかっている。もっとも、目印になる建物がないから、現在地を説明するのは困難をきわめるだろうけれども…。

客になる気はなかったので、顔の前で両手をクロスした。私のブロックサイン?は通じたらしい。そのタクシーはハザードを点滅させて走り出した。やがて、諏訪の森自然公園の脇を過ぎて、道が二手に分かれた。私が予定していた下山ルートでは、富士浅間神社を経由して、富士吉田駅に向かう手はずだった。左に行く道は舗装が違う。

道なりに行くと、右にカーブしていて駅から遠ざかる可能性がある。道なりを選んだ。リスクを避けたつもりだったが、失敗した。国道139号に合流したのは浅間神社東の交差点、16:28だった。どうやら「完全のたのもしさ」には縁遠いらしい。

ここから先は市街地だ。吉田小学校の裏門から、ランドセルの少女が出てきた。縦笛を吹きながら、1人でのんびり歩いている。背後に不審人物が迫っていることには気づいていないようだ。車道と歩道を分けるガードレールがあるので、歩道は狭い。追い越すに追い越せない。必要以上に「カントリー・ロード」を聞かされた。

そろそろ腹の虫(とは言わない?)も騒ぎ出す。焼肉とか焼き鳥とかラーメンとかは見つかるが、中途半端な時間だけに営業時間ではないようだ。せっかく山梨に来たからには、ほうとうが食べたい。駅前に着いたのが16:47。1時間の予定だったウォーキングは、15分ほど余計にかかった。歩き続けるのはこの程度が限界なのかもしれない。

1粒で2度おいしい?

駅ビルのイトーヨーカドーで、「山梨名物ほうとう」の張り紙を見つけた。6階のレストラン街?にあるらしい。エレベーターで上がってみた。その店は臨時休業だった。もともと店は2軒しかない。2-1=1だ。残念ながら、もう1軒は食欲がわかなかった。

仕方がないので、駅のホームの自販機でパック入りの巨峰ジュースを買って、一気に飲み干した。少しだけ山梨気分だ。それでも腹の虫は納得してくれなかったので、大月でリベンジを果たした。ほうとう御膳と生ジョッキで、さっき浮かせたはずのタクシー代は足が出たけれども…。

私の好みの球場は、次の3つの要素を満たさなければならない。

【1】ネット裏に座ったとき、周囲(とくに外野スタンド後方)に工作物が見えないこと。
【2】フェンスや照明灯などに広告がないこと。
【3】天然芝であること(枯れていないこと)。

富士北麓球場は、【2】と【3】を完全にクリアしている(地方球場なら別に珍しくない)。【1】に関しては、ライトスタンド後方の木の隙間から、道路を通る車が見える。それさえなければ完璧だ。もう1つだけ難を言えば、富士山が左右対称とはならずに、右側(上九一色村方面)の裾野がややこんもりと盛り上がっている。

だが、富士山というオマケがついているのだ。このオマケは大きい。これは日本一のオマケだ。そして、このオマケはもれなくついてくるわけではない。結論としては、泣く子と天気には勝てない。正統派の“球場メグラー”には、大いなる制約がある。

「そこに山があるから」と言えるアルピニストやクライマーではないのだ。球場に行ったところで、試合が中止になっては意味がない。まして観光目的ではないのだ。試合のない日に行っても始まらない。この球場を狙えるチャンスは年に何度もない。硬式野球では、高校の3回戦までと、クラブの山梨予選ぐらいだろう。

まあ、天気はなかなか選べない。今度行くときは、季節を変えて行ってみたいと思っている。この球場なら、「完全のたのもしさ」に再度チャレンジする価値がある。


◆通常、野球場ではるか彼方(と言っても水平距離10キロほどですが…)の雲に注目することはありません。当たり前のことですが、雲は刻一刻と姿かたちや厚みを変えています。グラウンドの試合より雲が気になる球場なのかもしれません。

◆ストリートビューで当時の下山ルートを辿ってみましたが、あちこちに当時の面影を感じることができました。この日、もっとも印象的だったのは、富士浅間神社東の交差点で振り返ったときの富士山でした。雲がすっかり取れた「完全のたのもしさ」です。


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