◆「*別」と「*内(ない)」の市町村MAPを作成しながら、沼宮内(ぬまくない)の地名にどこか心惹かれるものがありました。私は1955年に合併で消滅した旧・岩手郡沼宮内町に行ったことはありませんが、かつて何かしらの縁があったような記憶があるのです。
◆旧「セットポジション」では「日曜の朝」と題して2000年10月に公開したページの一部です。
世界がぜんたい
北東北大学リーグを見に行ったのは97年4月20日だった。宿泊先の盛岡から花巻に向かった。花巻球場は駅からかなり遠い。歩くと30分はかかりそうな距離だ。時間が迫っていれば文句なしにタクシーだが、まだ1時間あった。迷う要素が少なくて時間に余裕があれば、歩くのが私のポリシーだ。地図を片手に知らない街を歩くのは楽しい。
▲Google Mapでルート検索したところ、駅から球場まで2.4kmでジャスト30分でした。今ならスマホで済みますが、当時は行ったことのない地方球場の地図をオフの間に図書館でコピーしてストックしていました。
花巻駅に着いたのはちょうど8:00頃だった。地方でも日曜日の朝は遅い。人も車もまだ少ない。あいにく風流な柄ではないので、白い花を咲かせた街路樹の名前は知らない。屋根の上でひるがえっているのは、ちょっと気の早い鯉のぼりだ。民家が少し途切れた。そよ風が頬にやさしい。やはり歩いたほうが気持ちがいい。
コーラの自販機が見えた。まあ、珍しくはない。別に買う気はなかった。私の目を引いたのは、自販機の下の広告スペースに「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」というコピーを見つけたからだ。そうだ、ここは花巻だ。宮沢賢治だ。『農民芸術概論』だ。
球場の近くで少し道に迷いかけた。やはり球場までは遠かった。第1試合は岩手大と秋田経法大の対戦だった。連盟パンフに記載されている岩手大の選手は9人だった。盛岡から花巻に向かう電車の中で読んだ『岩手日報』には、1年生が1人入部したと書いてあったけれど、試合開始前の挨拶で整列した岩手大の選手を数えると9人しかいない。
念のために一塁側のスタンドに回って、双眼鏡で三塁側ベンチを覗いてみた。岩手大のダグアウトには4人残っていた。1人はジャージ姿の女子マネージャー、あとの3人はユニフォーム姿だが、3人とも背番号が50番台だ。年格好からしても大学生には思えない。コーチ2人と監督だろう。
あわや没収試合
7回表、岩手大の攻撃のときにアクシデントが発生した。死球で出た走者が、次打者のライト前ヒットで二塁に進んだが、どうも様子がおかしい。どうやら走塁中に足を痛めたようだ。試合は中断して、その選手はチームメイトに肩を担がれてベンチに下がった。
なかなか出てこない。このままでは人数不足で放棄試合になってしまう。なにしろ指名打者も使わずに9人だけで戦っているのだ。やがて、岩手大の監督が球審と話をしながらベンチから出てきた。本部席に向かって「一番遠いのを出しますから」と言ったのが聞こえた。治療中の選手は5番打者だ。
3・04 打順表に記載されているプレーヤーは、他のプレーヤーの代走をすることは許されない。
2007年版『公認野球規則』
▲日本の「公認野球規則」は2016年版から条文の構成が変更されています。この点について私は深入りする気はありません。あくまでも当時のルールの話としてご理解をお願いします。
このように、『公認野球規則』上では特別代走(臨時代走)は禁止されているが、アマチュア野球では各団体の内規によって認めているケースもある。大学野球では珍しいかもしれない。打順が下位に回ったこともあって、岩手大は7回のチャンスを生かせなかった。
攻守交代でほかの選手より少し遅れて、治療(と言うよりたぶん応急処置)を終えた選手が出てきた。ポジションはファーストだ。小走りに走ってはいるけれど、その姿はかなり痛々しい。全力疾走はとても無理だ。それにしても没収試合の規定は、なんとかならないものだろうか。
4・17 一方のチームが競技場に9人のプレーヤーを位置させることができなくなるか、またはこれを拒否した場合、その試合はフォーフィッテッドゲームとなって相手チームの勝ちとなる。
2・31 FORFEITED GAME 「フォーフィッテッドゲーム」(没収試合)――規則違反のために、球審が試合終了を宣告して、9対0で過失のないチームに勝ちを与える試合である。(4・15)
2007年版『公認野球規則』
無理させないために
この規則は本当に必要なものなのだろうか? たとえば、1人欠けた場合にその打者の打順は自動的にアウトとすれば、とくに相手側の不利益にはならない。得点差によるコールド制を採用しているアマチュアの試合なら、続行させてもいいのではないだろうか。もちろん、守備は少ない人数のままだ。
多少のケガなら、無理して出ようとするだろう。没収試合か1人欠けたままで続行するかの選択権を与えれば、無理させなくてすむわけだ。サッカーならレッドカードを食らうと、そのまま少ない人数で試合が続く。アイスホッケーで反則を犯した選手に与えられるペナルティは、一定時間試合から除かれるというものだ。
そのチームが数的不利というハンディを承知で、没収試合ではなく試合継続を望むなら、それを認めてもいいように思われる。こんなルールはどうだろうか。得点差によるコールド規定を設定しているアマチュア限定のルールとして考えた。
試合開始後の事故により、一方のチームが9人の選手を位置させることができなくなった場合、当該チームが希望すれば、規則4・17を適用せず、8人で試合を続けることができる。ただし、7人以下での試合継続は認めない。
8人で試合継続を希望したチームの攻撃中に退場した選手の打順が回ってきた場合、その打席は打撃放棄によるアウトとする。当該打者には打数を記録し、捕手に刺殺を与える。
なお、最終回または延長回の裏にサヨナラ死球を得た打者が走塁できない場合には、規則3・04にかかわらず臨時代走を認める。
このルールのもとでは、たとえば8番打者が欠けた場合に二死一・二塁で7番打者を敬遠すれば、次打者の8番がアウトでその回は自動的に無得点になる。もちろん9人揃っているチームには敬遠しない権利もある。圧倒的不利を受け入れて試合続行を望むなら、それはそれで認めてやればよい。
サヨナラ死球で負傷退場なら
実は、「なお」以下がミソだ。4・17をそのまま放置すると、深刻な問題が起こる可能性があるのだ。同点の最終回裏、9人しかいないAチームの攻撃は二死満塁、打者Bは頭部死球で起き上がれず担架で退場というケースでは、死球の打者かその代走が一塁に達しなければ、サヨナラの得点は認められない。
4・09 得点の記録
2007年版『公認野球規則』
(b) 正式試合の最終回の裏、または延長回の裏、満塁で、打者が四死球、その他のプレイで一塁を与えられたために走者となったので、三塁走者が本塁に進まねばならなくなり、得点すれば勝利を決する1点となる場合には、球審はその走者が本塁に触れるとともに、打者が一塁に触れるまで、試合の終了を宣告してはならない。
ペナルティ 右の場合、三塁走者が、適宜な時間がたっても、あえて本塁に進もうとせず、かつこれに触れようとしなかった場合には、球審は、その得点を認めず、規則に違反したプレーヤーにアウトを宣告して、試合の続行を命じなければならない。
また、二死後、打者走者があえて一塁に進もうとせず、かつこれに触れようとしなかった場合には、その得点は認めず、規則に違反したプレーヤーにアウトを宣告して、試合続行を命じなければならない。
無死または一死のとき、打者走者があえて一塁に進もうとせず、かつこれに触れようとしなかった場合には、その得点は記録されるが、打者走者はアウトを宣告される。
これは状況次第では理不尽なルールになりかねない。試合続行を命じられても、選手は8人しか残らないわけだから、本来はサヨナラ勝ちであるはずのAチームは没収試合で負けになってしまう。死球を与えたいわば加害側がお得になってしまうようなルールは排除すべきだろう。
実際、1977年6月13日のファイターズ対オリオンズ11回戦では1対1で迎えた9回裏一死満塁で村田兆治が加藤俊夫に頭部死球を与え加藤は退場、中原全敏が代走に起用されている。
7回裏の秋田経法大の攻撃は、レフトフライ、センター前ヒット、セカンドゴロ(一塁走者の二塁封殺)、センターフライだった。岩手大の一塁手には守備機会はなかった。8回表の岩手大は3者三振に終わった。8回裏、5点をリードしている秋田経法大は先頭打者がヒットで出た。次の1点は決定的なダメ押し点になる。
北東北リーグは勝ち点制ではなく、2回戦総当りの勝率で順位が決まる。秋田経法大が優勝を狙うためには、取りこぼしは絶対に許されない。だから、5点差の8回でも送りバントは十分に考えられる。岩手大のピッチャーは探りを入れるために(たぶん)、一塁に牽制球を投げた。このボールが高かった。
三塁側へのバント
パンフによれば一塁手の身長は177cmだ。けっして小さくはない。足が万全ならミットは届いたと思われる。今の状態ではそれを望むのは酷だった。ボールはファウルグラウンドに抜けて、一塁走者は二塁に達した。バッターは初球を三塁側にバントした。「武士の情け」だ。
三塁手はダッシュしてきたし、投手は投げ終わったあと一塁側をフォローしようと足を踏み出した。二塁走者を三塁に進める送りバントは三塁手に捕らせるのがセオリーだろうが、この場合は一塁側にそれなりのバントが転がれば、ヒットになる可能性はかなり高い。
いくらバントしたい場面だとしても、ろくに動けない一塁手の前に転がすのは、やはりできないことだったかもしれない。もし、一塁側へのバントだとしたら、きっと後味の悪い試合になったに違いない。結局、秋田経法大は決定的な6点目を奪った。
岩手大は、9回表に4番打者がエラーで出塁した。5番はケガをした選手だ。左打席に入る。フルカウントからの6球目を打った。レフトの左前方でワンバウンドした。このとき経法大の外野は右寄りのポジションをとっていた。つまり、レフトは左中間寄りにシフトしていた。打球はレフト線近くに落ちた。
定位置なら、硬式野球ではきわめて珍しい一塁でアウトのレフトゴロが成立したかもしれない。岩手大の5番打者は足をひきずりながら一塁に駆け込んだが、次打者のショートゴロで二塁に封殺された。一死一・三塁、せめて1点ぐらいは返して最後の意地を見せてほしいものだ。
岩手大は1点ではなく、2点返した。もちろん試合には負けたけれど…。
◆本文中には選手名を書いていませんでしたが、当時のスコアシートを確認してみると、この5番ファーストの選手こそが沼宮内でした。手に汗握るという試合ではなかったにせよ、印象には残ったゲームです。
◆今でも北東北リーグは2回戦総当たりで、勝ち点制ではないようです。広域の地方リーグですから無理に勝ち点制にこだわる必要はありません。
◆球場に行く途中で見た白い花を咲かせる街路樹について少し調べてみました。花巻市の木は「コブシ」です。コブシの花は6弁で白ですから、私の記憶と一致します。20余年の歳月をかけて、忘れていた疑問を1つ解決することができました。
◆今のルールがどうなっているのか、とくにアマチュアの規定がどうなったのか、私は知り得る立場にありません。あくまでも当時の物語としてご理解ください。
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