◆試合終盤のワンプレイにスポットを当てた観戦記です。旧「セットポジション」では、2000年11月に公開したページになります。
8回裏、1点差の二死二・三塁だった。力のない打球がライト線に上がった。右翼手が素早く反応した。スタートは早かった。彼は2つの選択肢を持っていた。
【A】ライト線に回り込んでワンバウンドで打球を処理すること。
【B】あくまでもダイレクト・キャッチを試みること。
【A】は安全策だ。自動的にライト前ヒットになる。三塁走者は当然のように生還するだろうし、ツーアウト・スタートだから二塁走者も続いてしまうだろう。三塁走者は同点のランナー、二塁走者は逆転のランナーなのだ。この回が始まるまで5点差だった。5本のヒットと2個の四球で1点差まで詰まったばかりだ。
【B】はある種のギャンブル・プレイだ。もし成功すれば、スーパーキャッチとして賞賛されるだろう。スリーアウト・チェンジで1点のリードを保ったまま、9回1イニングの攻防を残すのみだ。逆に、もし後逸すれば、打球は99.5mと書かれたライトフェンスまで転がっていくかもしれない。
ルビコンのほとり
その場合、まず三塁打は避けられそうにない。2人の走者はもとより、最悪の場合は打者走者までホームインさせることになりかねない。皮肉なことに、ライトのバックアップに入るセンターはやや左中間寄りのシフトだった。
悠長に躊躇したり逡巡したりする余裕などない。ニュートンの法則は無情だ。重力が打球を吸い寄せている。まさに即断即決。さあ、【A】か、さもなくば【B】か。傍観者はいつも傲慢で尊大だ。私たちはその状況判断を「野球センス」という名のたった一言で表現する。右翼手はダイブした。まるで高校球児のように。
古代ローマと属州ガリアを隔てる国境がルビコン川だ。BC49年、ガリア遠征中のユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)は、武装解除を求めた元老院の命令を無視してルビコンを渡った。娘を嫁がせたローマの政敵・ポンペイウスに兵を向けるためだ。
ルビコンを渡るカエサルが残したとされる言葉、それが「賽は投げられた」(ラテン語で「Alea jacta est.」=アーレア・ヤクタ・エスト)…。
右翼手のダイブは、まさしく賽が投じられたことを意味する。もう後戻りなどできない。いまさら引き返すことはできないのだ。イチかバチか、のるかそるか、吉と出るか凶と出るか。天使がほほえむのか、あるいは悪魔があざわらうのか。
舞台は岡山マスカットスタジアム、時は夕暮れ。この回からナイター照明も灯された。回は8回、得点差は1点。ギャンブル・プレイも許される場面だ。おそらく彼は最初からそう決めていたに違いない。すでに3時間を超えたゲームの帰趨がこのワンプレイにかかっている。サイコロは投げられたのだ。丁か。それとも、半か。
1995年9月6日のことだった。社会人野球日本選手権大会2次予選は各地で花盛りだった。県営大宮では94年本大会決勝の再現となる日通対日産のゴールデン・カードもある。岡崎は一番おいしい代表決定戦3試合だし、西京極でも2試合ある。
目にはさやかに
それらに背を向けた私は前日の夜、発車2分前に下り最終の「のぞみ」に乗り込んだ。新大阪駅構内のカプセルホテルに泊まり、朝の6:00に起きて「こだま」と在来線を乗り継いだ。
マスカット球場は、JR山陽本線中庄駅が最寄り駅だ。東京駅のみどりの窓口では駅員が「なかじょう」と濁っていたが、当地の駅名表示は「なかしょう」と清音だった。駅のホームからエスカレーターで改札口に向かう。駅舎は改修が終わったばかりのようだ。
改札を出ると正面に案内板(盤?)がある。目的地が球場なら、この案内板のお世話になる必要などない。案内板の前に立つと実物の球場が見えるからだ。のんびり加減に歩いても10分少々で着く。迷う要素はほとんどない。
アトランタ・オリンピック予選を控えて、駅舎も街路も整備されたばかりのようだ。まだ近くでは工事が続いているのかもしれない。真新しいアスファルトの上で、風に吹かれて土ぼこりが舞う。どうやらダンプからこぼれ落ちたものらしい。
道すがら、私の前を横切ったのはシオカラトンボ。夏のなごりの日差しを浴びて、透明な羽根がちょっと眩しい。球場周辺には田んぼも残る。水面のきらめきのなかで、稲穂は鮮やかな緑を保ち、背筋をしっかりと伸ばしたままだ。
遠くからカエルの声も聞こえてくる。今日も暑くなりそうだ。舗道の傍らをゆっくり駆けていく土ぼこりに、シオカラトンボが交差した。少しだけ、風は秋色。目にはさやかに見えねども…の季節。
5対0からの反撃
この日は3試合日で、第1試合はコールドだった。第2試合ではお目当てのピッチャーは投げなかった。コストの高い遠征になりかけていた。
おまけに、第3試合は5回終了時点で両チーム合計14安打6四球、20人もの走者が出ていながら得点は3点だけ。仲よく毎回残塁を重ねて5回まで実に17残塁。むりやり口をこじあけてコーラックでも飲ませたくなる、そんな試合展開だった。
8回表を終わって、先攻の三菱重工広島が5対0で後攻の川鉄水島をリードしていた。川鉄水島の8回裏の攻撃は3番から始まった。
▲「S」は見逃しストライク、「F」はファウル、「B」はボール、「H」はインプレイの打球です。
8番の吉岡を打席に迎えたとき、三菱重工広島のベンチから2人飛び出した。おそらくは監督とコーチだろう。1人はマウンドに行き、それに合わせてキャッチャーと内野手も集まった。もう1人はブルペンに向かい、ブルペンの扉のところでマウンドの様子をうかがっている。結論は続投だった。
吉岡に対してはストレートの四球。この時点で得点差は4点ある。なにも塁を埋める必然性はないと思われるのだが、キャッチャーは淡々とボールを返していた。
賽は投げられた
左の代打・尾崎も四球を選んだ。これで押し出し、3点差だ。なおも満塁で、打順は1番に戻る。上四元(かみよつもと)が2球目を叩いた。打球はライトポールを襲った。飛距離は十分だ。入れば逆転満塁弾になる。一塁側の応援席からは歓声が、三塁側スタンドからは悲鳴があがる。上四元の打球はわずかにポールの右を通過していった。
仕切り直しの3球目、今度は会心の打球ではなかった。逆に上四元にとっては、それが幸いした。詰まった打球が落ちたところは、セカンドとセンターとライトの間だ。三塁走者と二塁走者が生還し、上四元は二塁に達した。これで二死二・三塁、得点差は1点だ。
ピッチャーが代わった。右のサイドスローだ。同時にライトも交代した。右打席にはこの回9人目の打者となる竹下が入る。初球ボールのあとの2球目、代わったところに打球は飛ぶという俗説(あくまでも俗説にすぎない)そのままに、竹下の打球がライト線にふらふらと上がった。
切れない、フェアグラウンドに落ちる。伸びない、守備範囲ぎりぎりだ。代わったばかりのライトが乾坤一擲のダイビング。今、賽は投げられた。
◆「賽は投げられた」は、かつて私が参加していた社会人野球ファンのサークルの会報『これで委員会!?』に投稿したものです(95年10月27日付発行の21号に掲載)。
◆93年7月創刊の同誌は、98年2月まで都合44回発行されました。まだネット環境は整備されていなかった時代です。社会人野球の情報は毎日新聞とスポニチに限定されていました。他紙の読者なら社会人野球など存在しないのと同じだったわけです。
◆この種のサークルの会報は20号まで続けば長寿のうちに入ります。ちなみに、私の会員ナンバーは21番でした。会報のメインは、やはり各会員の観戦記でした。Web上でもしばしば見られることですが、観戦記は1回から9回までの試合経過(とくに得点経過)を淡々と綴ってしまいがちです。
◆この「賽は投げられた」は、冗長を排して不要な部分をバッサリと切り捨てたうえに、どっちに転んだかという肝心の結末はテーブルスコアに任せるという横着をかましました。
◆下に埋め込んだのは2015年2月撮影のストリートビューです。中庄駅南口を出て右に曲がり、線路沿いを県道187号線の高架に向かっているところです。
◆1995年はマスカットスタジアム開場の年です。当時は田んぼの中に球場だけがポツンと建っていました。右手のアパート群もマンションもその先にあるフジパンの工場もありませんでした。両側の歩道さえ整備されていませんでした。
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