「小」が「大」を名乗るとき、小山田秀生=大山田秀生

統一教会(統一協会)の歴代会長

Wiki「世界平和統一家庭連合」のページによれば、旧・統一教会(統一協会)の歴代会長は次のとおりです。第4代と第9代の小山田秀生氏は通算で6年以上会長を務めています。初代の久保木氏、11代&13代の徳野氏に次ぐ長期政権です。

1964/07/15久保木修己
1991/09/26神山威
1993/01/07藤井羑雄
1994/05/06小山田秀生
1995/06/07櫻井設雄
1996/06/26石井光治
1998/03/14江利川安栄
1999/01/14大塚克己
2001/06/11小山田秀生
2006/08/02大塚克己
2008/05/16徳野英治
2009/07/14梶栗玄太郎
2012/12/27徳野英治
2020/10/13田中富広
▲統一教会の歴代会長

一方、Wikiの「天宙平和連合」のページには、主要人物として「山田秀生」氏の名前が掲載されています。

Wikipedia>天宙平和連合

誤植ではなかった

最初に気づいた去年の秋には誤字かと思いましたが、そういうわけではないようです。成約ビルに本部事務局を置く教団系の関連団体「平和統一聯合」のWebサイトでも「大山田会長」との記述が確認できます。

【外部リンク】
■平和統一聯合>【広島】大山田会長の平和統一セミナーに60人参加 2014.4.28

この記事に掲載されている写真は小山田氏です。同時期の信者ブログにも「大山田会長」とする記述が見つかります。小山田氏が教団の日本会長を退任した後の一時期、「大山田」姓を名乗っていたことは間違いないようです。

小山田氏がUPF(天宙平和連合)の日本会長を務めた時期は2010年前後です。インターネットアーカイブで閲覧したニューズレター「平和大使」2009年12月号では「小山田会長」になっています。

「尾◯」姓の古参信者が「大◯」という変名を使っている実例はあります。大川さんが小川さんを名乗って両者を使い分けてもなんとも思いませんが、小沢さんが大沢さんを名乗るとコンプレックスがあるのかも?と勘ぐりたくなります。むしろ小さく思えてしまうのは私の偏見によるものなのでしょう。

山田秀生」でGoogle検索すると、UPF台湾の動画が複数ヒットします。小山田氏ご自身が望んで「大山田」を名乗ったわけではなく、誤訳がいつのまにか定着したという可能性もなくはありません。だとすると、名前を間違われたことを寛大に受け入れたことになります。

侮るなかれ、文明評論家

小山田氏の経歴を調べていると、「青春を返せ」訴訟の判決文がヒットしました。おなじみの論理展開です。

昭和五七年一月一九日、被告法人の小山田秀生(以下「小山田」という。)副会長は、「頑張った。奇跡が起こった。多宝塔が売れた」、「教会、渉外、事業。だから完全にこれを一元化してやっていく。必ず主流は、まあ、日本の場合は、事業が主体で、教会が従でしょ。昼間経済やって、夜伝道せよと、その合間に渉外やれと、こういう意味ですよ。」と述べたが、同年二月八日、小山田は、被告法人責任役員会議において、右発言の趣旨を「事業が主体で教会が従というのは自分が勝手に言ったことで教会の方針ではない。また多宝塔が売れたと言ったことも、信者がやっていることを話したに過ぎず、教会とは関係がない、自分の説明不足で、誤解を招き申し訳ない。今後、発言は十分に注意する。」旨弁明した。

大判例>名古屋地方裁判所 平成3年(ワ)1419号 判決

米本氏のブログによれば、大塚氏や徳野氏は教団内の韓国人支配に抵抗したことがあったそうですが、小山田氏に関してはその種のエピソードはないようです。

また、「ブラジル日本商工会議所 70年記録集」というPDFもヒットします。1985年3月の講演会に文明評論家の小山田秀生氏が招かれています。同姓同名です。

ブラジル日本商工会議所>70年記録集(240ページ)

統一教会の小山田氏には少なくとも十数年に及ぶ「ブラジル国家メシヤ」の肩書もあります。サンパウロには「Maksoud Plaza Hotel」が今も実在します。

同時に講演している那須聖(なすきよし)氏は毎日新聞ワシントン特派員やニューヨーク支局長の経歴から「外交評論家」は妥当と思われます。なぜか光言社から1996年に「人間の正体と霊界との関わり」、2000年に「最悪の世紀よ さらば」という本を出版しているようです。

那須氏の最後の著作と思われるのが「霊の正体」(たま出版)です。ニューヨーク支局長が最後はそこに行き着くものなのか暗澹たる思いを拭えません。ひょっとすると、文明評論家さんによる伝道が成功したのかもしれません。

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