観衆1人-この試合は私だけのために

新型コロナウイルスの影響で2020年プロ野球オープン戦は「無観客試合」となりました。「無観客試合」の言葉に触発されて復活させます。プレイボール時点でスタンドには私1人という試合を経験したことがあります。1996年の川崎球場でした。旧「セットポジション」で2001年1月に公開したページです。

この試合は私だけのために

エレベータを降りて出かけようとしたところ、集合ポストの郵便受けに白いものが見えた。チラシなら帰ってきてから処理するだけの話だが、どうもそうではなさそうだ。まっとうな郵便物と睨んでポストを開けてみた。届いていたのは、年賀状ならぬ「球春状」と称する粋なものだった。

A HAPPY BASEBALL SEASON “今年は素敵な予感がする”――’96球春

差出人に確認したわけではないけれど、この「素敵な予感」とは「いやな予感」の裏返しなのだ。当時、自分の贔屓チームのチャンスになると「嫌な予感がするぅ、嫌な予感がするっ、ピッチャー 嫌な予感がするぞ。意識しろ、ピッチャー意識しろ」と叫び出す名物爺さんが主に川崎球場に出没していた。私は1995年から彼の「嫌な予感がする」をチェックし、その的中率を調べていた。

1996年3月5日、私は「球春状」を鞄に詰め込んで川崎球場に向かった。前年のラストゲームは 11月12日だったから、110日ぶりの野球観戦ということになる。あいにく競輪の開催日ではないため無料の送迎バスは出ていない。JR川崎駅から球場まで歩いて15分ほどだ。

まだ浅い春の日ざしが眩しかった。禁断症状が出ているわけではなかったけれど、けっして短くはない球場までの距離がそれほど長く感じられないのは、ウキウキワクワク状態だからだ。もしも許されることなら、道行く人のひとりひとりに「あなたの健康としあわせを祈らせてください」とでも声をかけたくなる。

川崎球場
1989年10月撮影の空中写真(国土地理院

12:00開始の予定だと聞いていた。球場に着いたのは11:40頃だった。敷地の門は開いていたが、球場の建物の扉が閉まっている。球場の人らしいオジさんを見つけて、扉を指差しながら「12:00からオープン戦があるんですよね。大宮から来たんですけど…」と尋ねた。

遠くからわざわざ来たんだから入れておくれと遠回しに言ったつもりだ。どうせならもう少し遠距離の前橋とか静岡ぐらいにしてもよかったのに、とっさに大宮と口走ったのは私の謙虚さの発露ではなくきっと京浜東北線に乗っていたせいだろう。

「本当は入れちゃいけないんだけど」と言いながら扉を開けてくれた。鍵はかかっていなかった。川崎球場でもしその席が空いていたらそこに座るという私にとってのベストポジションは「4-26-44」番だった。ネット裏最上段、放送席の前、真正面ではなくやや三塁側寄りだ。もちろんその席に座った。

スタンドに上がる扉は閉じられていたのだから、「開門」を促した私が一番乗りになるのは当然のことだ。ウインドブレーカーを着た両チームのビデオ係やスコア係を除けば、スタンドには私以外は誰もいない。プレイボールは12:17だった。この時点でも観衆1人。

ネット裏の一番上から見ていると、まるで私だけのためにこの試合が始まったかのような錯覚に陥る。独り占めとは気分のいいものだ。ピーク時には「入れちゃいけないんだけど」オジさんを含めて10人まで増えたけれども、終始のどかなスタンド風景だった。「いやな予感がする」のオヤジは来なかった。

手に汗握るというゲームを期待しているわけではない。100日以上遠ざかっていた感覚を思い出すことができればそれで十分なのだ。いわば冬眠から覚めたばかりで、まだ寝起きなのだから、ややこしい挟殺プレイなどはむしろ勘弁してほしい。

私の開幕戦はいつもプロ野球のオープン戦の1試合日だった。2日後には社会人野球のスポニチ大会を控えている。3試合日だ。スポニチ大会は試合と試合のインターバルが短い。いきなりの3試合だと懸念がある。やはり肩慣らしが必要となる。

91/03/06 神宮 スワローズ 11-2 カープ
92/03/06 神宮 スワローズ 11-7 ファイターズ
93/03/06 神宮 ファイターズ 10-3 スワローズ
94/03/06 神宮 ファイターズ 7-5 スワローズ
95/03/04 鹿児島 マリーンズ 9-7 ドラゴンズ

さすがに社会人の練習試合とあって、スコアボードに選手名は出なかった。私のスコアカードにはローマ字で記入してある選手が3人いる。最上段では双眼鏡がなければ背番号の上のローマ字を確認できない。早々に最上段の席を撤退して、ビデオ係の近くに席を移した。ここなら肉眼で見えるし、選手同士の会話もある。

三菱重工横浜vsNTT東京

テーブルを作成しながら、急に不安に襲われてしまった。スコアカードには「スコアボード~選手名なし、HとEはあり」というメモが残っているだけで、場内アナウンスについては触れていない。なければ「ない」と書くだろうが、書いていないということは必ずしも「あった」ことを意味するわけではない。気になることがあるのだ。

小柳津(おやいづ)の11失点完投勝利は私にとっての最多失点完投勝利なのだ。ほかに2桁失点完投勝利は、2000年の社会人野球びわこ大会で全大津野球団の武村が柵原クラブを相手に10失点完投したケースがあるだけだ。

観衆1~10人だから、都市対抗と違って場内アナウンスが聞こえないはずはない。だが、もし場内アナウンスがなかったとしたら、投手交代に気づかなかった可能性を完全には排除できない。打席に入る選手は背番号を確認していただろうが、投手となるとちょっと怪しい。

たかだかオープン戦なのだ。無理に完投する必要はない。逆にオープン戦だからこそ、無理を承知で完投させたかもしれない。2日後のスポニチ大会には両チームとも出場しないから、小柳津が完投したところで別に支障はない。

こんな試合が新聞に載るはずもないし、当事者以外でスコアをつけていたのが、私以外に誰もいないことは断言できる。ビデオ係の近くに移ったし審判の声も聞こえる距離だから、おそらく「漏れ」はないと思うのだが、確信は持てない。


◆その後、投手の背番号もイニングごとにチェックするようになり、その延長で軸足をプレートのどちら側に置くかを記入するようになりました。

◆「社会人野球のオープン戦が新聞に載るはずがない」という常識は、2003年になって見事に覆されました。スポーツ新聞どころかTVでも扱われました。シダックスの監督に野村監督が就任したからです。

◆「嫌な予感がする」はいずれ復活させたいと考えています。もちろんもうご存命ではないのでしょうが、踊る阿呆に見る阿呆です。


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