ビル・ロビンソンはPWF王座を5回防衛した

ビル・ロビンソンとアブドーラ・ザ・ブッチャーのPWFタイトルマッチの動画がYou Tubeに公開されていました(ニコ動にもあります)。私の記憶にあるロビンソンは国際プロレス時代であり、新日に出ていたのは漠然と覚えていますが、全日の記憶はありません。

実際には新日本では1シリーズ参戦しただけで、全日本には継続参戦しています。マスカラスや天龍と組んで、馬場・鶴田組のタイトルにも挑戦しているようです。猪木とのNWFタイトルマッチが60分フルタイムのドローですので、私にはその印象が強いのだろうと思われます。

動画は1978年10月18日に栃木県体育館で行われたシングル戦です。実況が松永二三男、解説が山田隆、レフェリーはジョー樋口で、ロビンソン側のセコンドに大熊元司の姿が見えます。60分3本勝負は次のように決着しています。

1本目:ワンハンドバックブリーカー→片エビ固め(8分16秒)
2本目:場外リングアウト(6分15秒)
3本目:レフェリーストップ(3分08秒)

3本勝負は9割以上の確率で3本目にもつれるものです。1本目をロビンソンが取った以上、2本目はブッチャーになるはずです。場外戦からロビンソンがブッチャーをリングに戻し、自分も上がろうとするところでリング内からブッチャーが地獄突きを見せます。

ここでロビンソンがロープに絡まって宙吊りになるというアクシデントが発生します。ブッチャーはロープに絡んだロビンソンの左足の膝を集中攻撃して、立ち上がれなくなったロビンソンがリングアウトになります。

おそらく、ロビンソンは自らロープに絡んだのではないかと思われますが、TVカメラは上から2本目のロープから上を映していて、足首が挟まった2本目と3本目の間は見事にフレーム外でした。カメラマンは撮ってはいけないところを撮らないという仕事をしたわけです。

3本目はジョー樋口が試合を止めました。ロビンソンがバックドロップの要領で150キロのブッチャーを抱え上げ、左膝を立てて仰向けのブッチャーを落とします。ワンハンドバックブリーカーです。痛めているはずの左膝にブッチャーの巨体を落とすという自殺行為を敢行したのでした。

ロビンソンは翌19日に離日予定だったようです。ベルトを持ったまま勝ち逃げされては困るのですから、因果を含まれていたはずです。で、何が気になるのかというと、松永アナは3回に渡って、この試合が6回目の防衛戦であることを実況しているのです。

1:08 「防衛記録を5と伸ばし、6回目のチャレンジャーがアブドーラ・ザ・ブッチャー」
19:38 「防衛記録を着実に5と伸ばして、6回目の防衛戦はこのブッチャーと」
22:15 「PWFのベルトは初代ジャイアント馬場選手が実に38回という防衛記録、そして2代目はトーア・カマタ、3代目はこのビル・ロビンソンが防衛記録を5回と伸ばしております」

これらの実況が正しいなら、10月18日のこの試合でロビンソンは6回目の防衛に失敗したことになります。ということは、Wikipedia「PWFヘビー級王座」のページの防衛回数は誤りのようです。

Wikipedia「PWFヘビー級王座」(2020/07/10閲覧)

ついでに、次のテロップも誤りではないか、と。3代王者はロビンソンですから…。

第3代ではなく第4代

5回目の防衛戦だったトーア・カマタとの試合の動画もありました。会場は久留米で、ロード・ブレアース会長の姿もあります。2本目でロビンソンはコーナーに逆さ磔になります。こちらはさすがにフレーム外にはできなかったようです。

残念ながらブッチャー戦でもカマタ戦でも見られませんが、ロビンソンには逆エビ固めからの独特の逃げ方があります。西村修が倒立でヘッドシザーズを外すような独特の返しです。藤原組長がやっていたかもしれません。

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