久留米と淡路島がバブル大観音のハシリ

新幹線からも高速からも見えるのが成田山久留米分院の救世慈母大観音像です。下り線の場合、新幹線では左手、高速では右手に見えます。観音像の隣にはインド系の仏塔も建っています。

久留米大観音(地理院タイル

胎内巡りができる大観音像はバブル時代にニョキニョキ各地で出現したという印象があります。大観音像は九州では珍しいはずですし、できたのは早かったと記憶していますので、調べてみました。私が実際に中に入ったのは小豆島だけです。

建立年名称高さ所在胎内
1936高崎白衣大観音41高崎市階段(146段)
1961東京湾観音56富津市階段(324段)
1970釜石大観音48釜石市階段
1982久留米大観音62久留米市階段
1982世界平和大観音100淡路市EV、解体予定
1987会津慈母大観音57会津若松市階段(237段)
1988加賀大観音73加賀市階段、休止中
1989北海道大観音88芦別市EV、休止中
1990七つ釜聖観音40西海市空洞、閉業移築
1990親鸞聖人像40胎内市階段、休止中
1991仙台大観音100仙台市EV
1993牛久大仏120牛久市EV
1994小豆島大観音68土庄町EV
▲各地の大観音など

九州唯一ではありませんでした。1990年に開業した長崎県西海市のレジャー施設に金色の大観音があったようです。この施設は2007年に閉鎖され、山の上に立っていた観音像は福岡県内の山中に移築されているということです。

ただし、この観音像は内部が空洞で胎内巡りはできない仕様です。その意味では久留米が九州唯一との私の認識は誤りというわけでもありません。また、時系列にしてみると、久留米大観音はバブル前の建立です。仏塔はあとからできたはずです。

2019年4月撮影のストビューを埋め込みました。いったい赤ちゃんの足はどこにあるのか気になりますし、そもそも久留米の抱き方はやや不自然です。慈母観音は顔が正面を向くより、会津のように視線の先が赤ちゃんであってほしい気もします。

高崎の大観音は受付嬢ポーズで巻物を持ち、東京湾観音は玉を両手で抱え、釜石大観音は魚を抱えています。赤ちゃんを抱いた慈母観音は大観音としては久留米が日本初です。

なお、伊東市・うさみ大観音は公式サイトによれば「高さが50メートルの座像で、日本一の大観音様」ですが、数人の個人ブログで50mが強く否定されていることから表には加えませんでした。宗教法人認可されている施設です。

久留米大観音と同じ年に建立されたと思われるのが、淡路島の世界平和大観音です。明石海峡大橋を渡って淡路島に入ると1分ほどで右前方に出現する白い観音様です。すでに解体されることが決まっています。

Wikipedia「巨大仏」のページの一覧表では世界平和大観音の建立年が「1991年」になっています。履歴を調べてみると、2012年から「1991年」のままです。どうやら仙台との混同のようです。また、Wikipedia「平和観音寺」のページには次のような記述があります。

オクウチグループの創業者、奥内豊吉が私財を投じ、出身地である淡路島に1977年に建立したものである。100メートルの巨大な観音菩薩像が施設の中心となっている

Wikipedia「平和観音寺」

これは平和観音寺のページであって、大観音のページではありません。平泉の中尊寺は伝承上9世紀の創建ですが、金色堂は1142年建立とされています。平和観音寺の建立年としては「1977年」は正しいのかもしれません。観音像の建立を1977年としているサイトを多数見かけたのはWikipediaのせいだと思われます。

いずれにせよ、1991年にも1977年にも納得しかねます。私は1979年に観音像前の国道28号線を通りました。そんな像はありませんでした。明石海峡大橋の工事が始まった1986年に再訪したときはムチ打ち像が存在していました。80年代前半のはずなのです。地元局サンテレビのニュースは「観音像は1983年に完成」と報道しています。

もともとは久留米の35℃から始まった迷宮ですが、ここまで来ればもう乗りかかった泥舟です。インターネットアーカイブで当事者のサイトを調べてみました。

http://www.okuuchi.com/awaji/index.html(閉鎖)

1982年でした。当事者がそう言うのです。7月3日は開眼法要の日でもあると思われます。残工事があって1983年「完成」ということなのかもしれません。

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