大関カド番で6勝7敗、手を差し伸べた対戦相手

大関

大関・朝乃山に対する日本相撲協会の処分は出場停止6場所でした。同時に発表されたのが、ある親方のガイドライン違反による退職です。久しぶりにその名前を聞いて思い出したことがあります。あれはどうしても調べておきたいことです。

それは大関同士の対戦でした。大相撲の「常識」としては100%勝つはずの力士が予定調和的に勝ちました。ただ、取り組みの途中で勝ったほうの大関が土俵に手をつきそうになった瞬間があったのです。対戦相手の大関は慌てて?両腕を抱え込んだのです。文字どおり手を差し伸べたのでした。私はそう記憶しています。

勝ったほうの力士は大関を44場所務めています。私の記憶に残る一番はカド番の場所の終盤戦で、すでに7敗していました。カド番は4回あったようです。

1月3月5月7月9月11月
1983年9◯68◯711◯4
1984年9◯612◯310◯510◯59◯68◯7
1985年11◯48◯710◯513◯29◯612◯3
1986年8◯710◯59◯66●98◯79◯6
1987年11◯43●6全休8◯78◯79◯6
1988年9◯68◯72●59◯68◯710◯5
1989年10◯512◯310◯59◯610◯55●10
1990年10◯59◯68◯79◯62●5
▲大関時の成績

8勝7敗で切り抜けたのは2回です。私の記憶と合致するのは、1986年9月場所か1987年7月場所のどちらかです。

1986年9月場所 ○●○●●●○●●○○○○○●
1987年7月場所 ○●○●●○○●○○●●●○○

1986年9月場所は7敗目が千秋楽です。該当するのは1987年7月場所しかありません。その14日目か千秋楽の対戦相手が私の記憶にある力士と一致するなら、そういうことです。

1987年7月場所

横綱・大関陣は次のような番付でした。

西
14勝1敗千代の富士横綱双羽黒8勝7敗
11勝4敗北勝海張出
12勝3敗大乃国大関小錦9勝6敗
9勝6敗朝潮張出若嶋津0勝3敗12休
張出北天佑8勝7敗
▲1987年7月場所の上位陣

3横綱5大関の時代ですので、自分以外の横綱・大関に全敗するとそれだけで7敗です。関脇以下には全勝しないと勝ち越しになりません。

1日目寄り切り西前2 多賀竜
2日目寄り切り東関脇 旭富士
3日目切り返し東前2 起利錦
4日目寄り切り西小結 両国
5日目寄り切り東前3 逆鉾
▲序盤戦

下位に取りこぼしはできないのですが、序盤戦で3敗しています。下位に3敗したということは、本来なら大関以上に3勝しないと勝ち越せません。ただ、若嶋津が途中休場しましたので、大関以上に2勝でいいことになりました。

6日目下手投げ東小結 栃乃和歌
7日目押し出し西関脇 益荒雄
8日目押し出し西横綱 双羽黒
9日目寄り切り東前1 太寿山
10日目叩き込み東張横 北勝海
▲中盤戦

現・理事長には勝ちましたが、残る5戦の対戦相手は優勝争いが絡んでいます。

終盤戦

11日目は千代の富士、12日目は大乃国との対戦でした。

11日目突き落とし東横綱 千代の富士
12日目寄り切り東大関 大乃国
13日目寄り切り西前1 花乃湖
▲11~13日目

6勝6敗で迎えた13日目、平幕の花乃湖に負けてしまったのでした。これで、もう1敗もできなくなったわけです。ちなみに、Wikipediaには次のような記述があります。

取り口に派手さはないが、相撲の基本に忠実であり、玄人好みの力士であった。八百長を告発した板井圭介によると、ガチンコ力士であったと言われている。

Wikipedia>花乃湖健(2021/06/15閲覧)

私が覚えているハプニングが起きたのは14日目です。

14日目上手ひねり東張大 朝潮
15日目寄り切り西大関 小錦
▲14日目と千秋楽

この映像が上がっていないものか、You Tubeを検索してみましたが、ズバリそのものはありませんでした。北天佑-朝潮戦のコメントの中に「転びかけたところを朝潮に起こしてもらった」が見つかりました。昭和62年名古屋場所の14日目です。

1980年代から1990年代にかけての20年間、大関から陥落したのは3人だけです。そういう時代だったわけです。

1970年代6人
1980年代1人
1990年代2人
2000年代7人
2010年代8人
2020年代2人
▲陥落した大関

「八百長」なり「人情相撲」なり「申し合わせ」なりを全否定するつもりはありません。気づかれないようにやるならそれもプロです。私はあのときのアナウンサーがどう実況して解説者が何と言ったのか確認したいものだと思っているだけです。

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