空手バカ一代・大山倍達と統一教会の関係

2022/11/19公開「430双、43双、12双、777双…合同結婚式」のページから大山倍達氏関係の項目を移動させ、それぞれのページに加筆しました。

空手バカ一代

「空手バカ一代」は大山倍達氏を主人公とするフィクションです。「空手バカ一代」が週刊少年マガジンで連載されたのは、1971年22号から1977年52号だそうです。原作は梶原一騎、作画は3部までつのだじろう、4部から影丸譲也です。

同時期のマガジンは次のようなラインナップだったようです。

空手バカ一代つのだじろう→影丸譲也
/梶原一騎
1971-1977
天才バカボン赤塚不二夫1971-1976
男おいどん松本零士1971-1973
野球狂の詩水島新司1972-1976
愛と誠ながやす巧/梶原一騎1973-1976
釣りキチ三平矢口高雄1973-1983
おれは鉄兵ちばてつや1973-1980
三つ目がとおる手塚治虫1974-1978
▲1970代半ばのマガジンの連載

リアタイ世代ですので人気があったのはもちろん知っていますが、「空手バカ一代」が一話完結ではないことからほぼ読んでいません。私はチャンピオン派でしたし、週マガよりむしろ週フレや週マのほうが親しみがあります。

旧・統一教会(統一協会)の合同結婚式に参加した最初の日本人カップルは、初代日本会長に就任していた久保木修己氏と哲子夫人です、1968年「430双」ですが、両氏は1955年に結婚していますので「既成祝福」になります。

実は、430双にはもう1人の日本人が含まれています。柳光烈・初代文化部長と大山君子氏の韓日カップルが「祝福」を受けています。この大山君子氏は、曹又億萬(大山高誉)氏の娘です。

大山家の書生

大山倍達氏は全羅北道・金堤市の生まれということです。

金堤市

Wikiでは1923年生まれになっていますが、1922年説や1921年説もあります。

1968年(昭和43年)に日本国籍を取得している。一時期、崔猛虎(チェ・メンホ、최맹호)、大山猛虎、大山虎雄、崔倍達(チェ・ベダル、최배달)などを名乗っていた事もある。大山の姓は、書生として住み込んでいた大山家(大山茂、大山泰彦の実家)の恩義から名乗ったとする説があり

Wikipedia>大山倍達 2023/08/17閲覧

大山倍達氏が住み込んでいたという大山家の主人が曹又億萬氏、その娘が大山君子氏、次男が茂氏、三男が泰彦氏、妹が松本ママこと松本道子氏です。

ただし、大山倍達氏の大山姓については次のような異説もあります。この手の話が盛られたり後付だったりするのはありがちです。

大きな山のように、地の果てどこまでも到達できるという韓国の檀君伝説に基づき、大山倍達という日本名をつけたのです。

現代ビジネス>大山倍達はいかにして猛牛に勝ったのか…アメリカ人も熱狂した、ヤバすぎる「最強伝説」

倍達氏と統一教会の関係

曹又億萬氏は1969年に「12双」として祝福を受けています。この12組のカップルのうち5人は日本教会の歴代会長です。では、大山倍達氏は旧・統一教会(統一協会)との関わりがあったのでしょうか。倍達氏の年譜を教団の年表と重ねてみました。

1923倍達:全羅北道金堤市で出生
1939倍達:下関に密航
1946倍達:早稲田大学高等師範部体育科に合格し入学(1948除籍)
倍達:智弥子夫人と結婚
1954倍達:館山で「牛殺し」を実演、映画「猛牛と戦う空手」公開
1959統一:高田馬場「雄鶏舎」で統一教会が日本で最初の礼拝
1961統一:崔奉春(西川勝)宣教師により松本道子が入教
1964統一:統一教会が日本で宗教法人認証
倍達:極真会館を創設
1968統一:大山君子が430双祝福
倍達:日本国籍を取得
1969統一:曹又億萬が43双祝福
1972統一:曹又億萬に逮捕状、海外逃亡
▲大山倍達と統一教会

極真会館の初代会長は総理大臣就任直前の佐藤栄作氏だそうです。岸信介氏の実弟です。ただ、結婚時の媒酌人が田中清玄氏ということですので、教団ルートというわけではないのでしょう。倍達氏は佐藤栄作氏のボディガードだったという話もありますが、両当事者はともに故人です。

倍達氏が大山家で書生を務めていたのは終戦前後と思われます。まだ教団は成立していません。梶原一騎氏が大山道場に入門したのは1957年ということです。大山兄弟もほぼ同時期と思われます。松本ママの入信は1960年です。大山家が染まったのは松本ママが発端のようです。

倍達氏の指導を受けていた茂&泰彦兄弟は40日修練に参加して、アメリカで文鮮明氏のボディガードを務めたことがあるそうですが、これも写真があるわけではありません。いずれにしても、倍達氏と統一教会との接点は大山家を通じて生まれているはずです。

久保木氏は極真北米支部の支部長だったようです。また、1970年代の極真の機関紙には世界日報の広告が掲載され、極真の大会を世界日報が後援していたということです。興行を含めて親和性は高いと思われる業界です。

倍達氏は(頼まれて?)壺を抱えた写真を撮られる関係ではあったようですが、倍達氏が信者だったというわけではなさそうです。互いに利用できるうちは利用するというスタンスだったものと思われます。

最古参信者の曹又億萬氏

統一教会の関連団体には「世界統一武道連盟」があります。 きわめて紛らわしい名称ですが「統一世界武道空手道連盟」という団体もあります(名誉会長が衛藤征士郎代議士だったりします)。倍達氏の死後、極真は複雑多岐に分裂しています。正道会館もその1つです。統一教会の分裂も避けられないことだったのでしょう。

さて、光言社サイトには久保木氏が廃品回収のリヤカーを引き、そのリヤカーを曹又億萬氏が後ろから押している写真が掲載されています。久保木氏は30代、曹又億萬氏は50代半ば過ぎと思われます。曹又億萬氏の入教は1960年代半ばに絞られます。

郷路征記弁護士のサイトには次のような証言があります。昭和42年は1967年です。曹又億萬氏はもう60代です。

大山高誉こと曹叉億万とはどんな人ですか、統一協会での立場、活動内容、君との関係など、話して下さい。
彼は統一神霊協会の会員で国際伝道師です。国際伝道師というのは一国内だけではなく世界各国を訪問して伝道するもので彼は主として事業活動の伝道にあたっております。
その他大山さんが尽力されたのはいわゆるフラワー、キャラバン部隊の熱狂グループを育てられました。このグループは最初名古屋の教会関係熱狂グループ達がフラワー販売等して続いて各地区の同グループ達も同じことを始めかけましたものを、昭和四十三、四年ごろ、彼が全国的なものにまとめ育て上げられたものです。

郷路征記>札幌青春を返せ訴訟・控訴審判決 最終準備書面

曹又億萬氏は1969年「12双」祝福であり、既成祝福ではありません。相対者の佐藤方美氏は1971年12月に45歳で亡くなっています。広島大文理学部の学生だった1962年頃、桜井節子氏(のちの桜井設雄夫人)に伝道されているようです。そうすると、伝導されたときは36歳の学生だったわけです。

「777双」古田元男氏が幸世商事株式会社の社長に就任したのは1971年12月です。今回も古田氏には辿り着けませんでした。

大山高誉(おおやま たかよし、別名:曺又億萬・曹又億萬、1905-2005)松本道子の兄、大山君子の父。「幸世商事株式会社」営業部長。

松本道子(別名:曺正道・曹正道=ソウ・チョンド、通称:松本ママ、1916-2003)崔奉春(西川勝)により伝道。1967年「三役事」。大山高誉の妹。

大山君子()1968年「430双」、主体者は柳光烈(ユ・グァンヨル)初代文化部長。ルーマニア分奉王。

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