「人名録」を鋭意作成中です。タイトルは「紳士録」にしようかと思っていましたが、「紳士録」は一般に存命中の人物に限られるようですので「人名録」とした経緯があります。
合同結婚式(1990年代半ばまで)
鬱陶しい教団用語の筆頭格が「~双」です。合同結婚式の際のカップル数で呼ばれています。合同結婚式の年なら先後関係が明確になりますが、わざわざカップル数を用いているため話がややこしくなります。
1960年の最初の3組は、金栄輝+鄭大和、劉孝元+史吉子、金元弼+鄭達玉ということです。
36双 | 1960/04/16 1961/05/15 | 韓国 | 3組 33組 |
72双 | 1962/06/04 | 韓国 | 72組 |
124双 | 1963/07/24 | 韓国 | 120組? |
430双 | 1968/02/22 | 韓国 | 430組 |
43双 (12双) | 1969/02/28 1969/03/28 1969/05/01 | アメリカ 西ドイツ 日本 | 13組 8組 22組 |
777双 | 1970/10/21 | 韓国 | 790組 |
1800双 | 1975/02/08 | 韓国 | 1816組 |
74双 | 1977/02/21 | アメリカ | 74組 |
118双 | 1978/05/21 | イギリス | 118組 |
2075双 | 1982/07/01 | アメリカ | 2075組 |
6000双 | 1982/10/14 | 韓国 | 5837組 |
二世36双 | 1986/04/12 | 韓国 | 36組 |
6500双 | 1988/10/30 | 韓国 | 6516組 |
二世72双 | 1989/01/11 | 韓国 | 72組 |
1275双 | 1989/01/12 | 韓国 | 1275組 |
1267双 | 1992/04/10 | 韓国 | ? |
3万双 | 1992/08/25 | 韓国 中継 | 20825組 8000組 |
36万双 | 1995/08/25 | 韓国 | ? |
ソウル五輪スタジアムの合同結婚式「3万双」は現地で2万825組、衛星中継で8000組ということです。1995年の「36万双」は日本で2万1000組、ロシアで3万組、台湾1万組、オセアニア3万7000組だそうです。俄然嘘っぽくなります。
1980年代は名簿で実数が発表されていたそうですが、次第に実情とはかけ離れてきて1990年代末には「4000万双」、2000年には「4億双」になっています。つきあいきれませんので省略しました。
高齢者が亡くなったパートナーと「独身祝福」を受けることがあり、死者同士の「霊界祝福」もあるということです。そういう信仰の世界があるのかもしれませんが、献金を集められれば名目は何でもいいと冷静に考えたほうがよさそうです。
日本人カップルでは1968年430双の久保木修己・哲子夫妻が第1号ということです。ともに1931年生まれで結婚したのは1955年です。30代後半で「既成祝福」の合同結婚式に臨んだことになります。久保木氏は日本教会の初代会長です。
43双と12双
1969年の43双は日本では22組ですが、そのうち10組は「既成祝福」で、12組がマッチングということです。「12双」とはマッチング12組を指すようです。
井上忠之・富岡恭子 | 桜井設雄・小河原節子 |
堀展嘉・広岡きくゑ | 小山田秀生・岸本儀子 |
神山威・岩井裕子 | 梶栗玄太郎・熱海恵李子 |
周藤健・倉森薫代 | 田中光義・春日千鶴子 |
石井光治・阿部トミ子 | 阿部正寿・条谷千鶴子 |
横井勉・鈴木捷子 | 大山高誉・佐藤方美 |
「既成祝福」の10組については、それほどの要職に就いたこともないと思われます。そんなこともあってか「10双」とはあまり言わないようです。
秋田道雄・菊子 | 石黒鉦三・花子 |
大野博・幸子 | 門田泰三・ミヨ子 |
小山浩正・保子 | 野村健二・晏子 |
藤本三雄・信子 | 本田秀雄・たづ |
松山貢三・滋子 | 柳川春大・季順 |
【外部リンク】
■ちゃぬの裏韓国日記>【古参信者の隠蔽工作】神山威隊長から直接「血分けはあった」と聞いた 2015年06月11日
■matsu>今日のみ言葉20080501 2008/05/01
どうやら◯◯双に応じて、子供の名前に使う漢字が決められているようです。43双の場合は「正」です。梶栗玄太郎氏の息子は梶栗正義氏を筆頭に少なくとも3人が「正◯」です。堀正一氏、桜井正上氏、石井正高氏と2世が着実に地歩を固めているものと思われます。ちなみに、田中富広会長の「富」は777双の命名文字です。
大山倍達との関係
実は、430双にはもう1人の日本人が含まれています。柳光烈・初代文化部長と大山君子氏の韓日カップルが「祝福」を受けています。この大山君子氏は、12双の大山高誉(曹又億萬、1905-2005)氏の娘です。1969年の高誉氏は60代半ばになります。
「空手バカ一代」の大山倍達(崔倍達)氏は大山高誉邸に書生として住み込んでいた時期があるそうです。お世話になった大山家の姓をもらったという説もあります。のちに高誉氏の次男・茂氏と三男・泰彦氏は倍達氏から空手の指導を受けることになります。
「空手バカ一代」の連載は1971年から始まっています。君子氏の「祝福」が1968年、高誉氏が1969年ですので、大山倍達氏と旧・統一教会(統一協会)との直接の接点はなかった可能性のほうが高そうです。ただ、茂・泰彦兄弟は40日修練に参加して、アメリカで文鮮明氏のボディガードを務めています。

極真会館の設立は1964年です。倍達氏の死後、極真は複雑多岐に分裂しています。正道会館もその1つです。康彦氏は1984年に「国際大山空手道連盟」を創立しています。統一教会(統一協会)の関連団体には「世界統一武道連盟」があります。
きわめて紛らわしい名称ですが「統一世界武道空手道連盟」という団体もあります(名誉会長が衛藤征士郎代議士だったりします)。興行を含めて親和性は高いと思われる業界ですが、確実なところはわかりません。
本当は777双のハッピーワールド初代社長・古田元男氏を目指していましたが、とんでもないゴールになってしまいました。奥の深い世界です。
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