120万人「救国世界大会」と4億双合同結婚式

京城空港→汝矣島広場→汝矣島公園

太平洋戦争に負けて日本国籍の航空機の運航はGHQによって禁止されました。JALの設立は1951年です。最初の国際便の就航は1954年2月の羽田-ホノルル-サンフランシスコ便だそうです。

1929年9月、日本航空輸送株式会社が福岡-蔚山-京城-平壌-大連間の「国際便」を就航させています。当時は日本統治下ですので厳密には「国内便」でした。日本航空輸送株式会社は1938年12月に特殊法人大日本航空株式会社へ改組され、敗戦で解散させられています。

1929年当時の京城空港とは、ソウル市内を流れる漢江の中洲・汝矣島(よいど)に日本軍が建設していた飛行場のようです。戦後も共用空港だったようですが、民間便は1958年に金浦空港に移転し、空軍基地も1971年に閉鎖されています。

跡地の再開発で真っ先に汝矣島に建てられたのが韓国国会議事堂です。1975年8月竣工、9月移転ということです。同年6月、竣工間近となった国会議事堂近くの汝矣島広場で「120万人救国世界大会」が開かれています。汝矣島広場は今は汝矣島公園になっています。

汝矣島

この「120万人救国世界大会」は勝共連合ではなく統一教会(統一協会)の主催だと思われますが、教団系のサイトでも主催者について明記されているわけではありません。

120万人?

東海道新幹線の座席幅は普通車で40センチ(3人席の中央は43センチ)、グリーン車で50センチだそうです。成人男性の肩幅は平均45センチということです。1人当たりのスペースを50センチ四方とすると、1㎡で4人です。120万人なら30万㎡必要になります。幅200mなら長さ1.5キロで30万㎡です。

今の汝矣島公園の敷地は約7万坪ということです。平米換算すると約23万㎡になります。少し足りませんが、詰めれば入るものかもしれません。「120万人大会」の画像では肩が接するぎっしり具合です。

そもそも広場=公園ではないかもしれません。それに、周囲の道路も含めればいいだけのことです。ピーク時に120万人ではなく、入れ替わりを含めての120万人なのかもしれません。いわゆる主催者発表の水増し数値だと頭から断定することもできません。

汝矣島公園

「120万人大会」の式次第は詳らかではありません。1975年当時のソウル市人口は700万人ほどです。今ほど交通網は整備されていないはずです。朴正熙大統領の時代です。

1970年大阪万博では183日間で6422万人来場していますので、1日当たり35万人です。会場の面積は330ヘクタールということですから330万㎡になります。汝矣島公園の11倍です。

4億組!の合同結婚式

統一教会(統一協会)は2000年から2005年にかけて「4億双国際合同祝福結婚式」を開いています。

2000/02/134億双1次国際合同祝福結婚式(ソウルほか)
2001/01/274億双2次国際合同祝福結婚式(ニューヨークほか)
2002/02/164億双3次国際合同祝福結婚式(ソウルほか)
2003/07/134億双4次国際合同祝福結婚式(韓国・牙山ほか)
2004/07/264億双5次国際合同祝福結婚式(韓国・天安ほか)
2005/08/014億双6次国際合同祝福結婚式(韓国・天安ほか)
▲4億双合同結婚式

4億カップルが合同結婚式に参加したのなら8億人になります。2005年時点で地球の人口は65億人です。人口ピラミッド的には20歳代が10億8000万人程度です。

まあ、6年で4億カップルですので、2年で3億6000万カップルより謙虚な数字だと言えるかもしれません。

1998/06/133億6000万双第1次世界祝福式(ニューヨークほか)
1999/02/073億6000万双第2次世界祝福式(ソウルほか)
▲3億6000万双合同結婚式

妄想癖を心配したくなります。

パークワンタワー

さて、汝矣島公園のソウル駅寄り南側にパークワンタワーという建物があります。この区画には地上72階のタワー1と59階建て高さ271mのタワー2のオフィスビル2棟、8階建ての現代デパート、30階建てのフェアモントホテルが建てられています。最新ストビューは2018年3月撮影で建築途中です。

パークワンタワー

衛星画像は完成後の2020年10月です。

パークワンタワー

どうやらこの区画の敷地は教団所有のようです。もともとは教団本部を建てる予定だったようですが、金融危機の時代に借地に出し、文鮮明氏の死後は裁判になっていたということです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました