国際勝共連合の歴代会長?(届出上の代表者)

国際勝共連合

国際勝共連合の歴代会長を探していたら、何度かアクセスしたことのある「道政アトラス」という私好みのサイトに掲載されていました。

【外部リンク】
■道政アトラス>国際勝共連合 2022-08-21

国際勝共連合は政治団体ですので、政治資金規正法によって代表者や会計責任者を届け出る義務があります。故人を会計責任者に据えても罰則規定はないと寺田前総務大臣は答弁していました(7日以内の届出をしていなかったことから、違反であることは認めています)。90歳代の高齢者を承諾なしに代表に仕立て上げても、ペナルティはないようです。

という次第で、役職上の「会長」と同一ではないのかもしれませんが、官報検索をかければ届出上の「代表者」と「会計責任者」は調べられることになります。「会長」が「代表者」であり、「事務総長」が「会計責任者」になるはずです。

代表者会計責任者
76/04/27梶栗玄太郎76/04/27阿部博行
78/07/11高林拓二
79/08/20山岡建雄
81/07/18松本孝二
82/01/11宮下昭彦
84/04/07河西徹夫
90/01/05太田洪量92/03/31清野清
95/09/07清野清95/09/07渡辺芳雄
98/01/27前田外治
99/01/22大塚克己
01/07/06小山田秀生
06/10/03大塚克己
07/02/09國時昭彦
08/07/01太田洪量
10/01/08梶栗玄太郎
10/04/26横田一芳
14/04/25太田洪量
17/12/01梶栗正義18/04/04大塚正尚
▲国際勝共連合本部の代表者と会計責任者

国際勝共連合は1968年に発足しています。初代会長は当時の教団会長の久保木修己氏です。政治資金規正法は三木内閣の1975年に改正され、翌1976年に改正法が施行されています。

パラグアイで誘拐された太田洪量氏

届出上の初代「代表者」は梶栗玄太郎氏です。梶栗氏は1969年「12双」の1人です。2009年の新世事件で旧・統一教会(統一協会)の徳野会長が引責辞任したとき、後任の第12代会長に就任しています。

Wikiでは梶栗氏の経歴は「1971年-1975年、国際勝共連合事務総長兼理事長」とされています。1975年に会長に昇格したのかもしれません。

太田洪量氏は1970年「777双」で原理研究会の会長を務めています。1990年代の太田氏は国内では目立った活動はしていないようです。2007年4月2日にパラグアイで誘拐され、身代金と引き換えに解放されています。

【外部リンク】
■外務省>パラグアイにおける邦人誘拐事件(被害者の保護)について 平成19年4月20日
■AFP>身柄を解放された太田さんらが記者会見 – パラグアイ 2007年4月22日

パラグアイ

国際勝共連合と世界平和連合の会長を兼務していた2015年10月には議員会館に山本朋広代議士を訪ねており、山本氏は「大学の先輩である平和連合の太田洪量会長が来所。いくつかの要望を頂きました」とツイートしています。

宗教新聞の前田外治氏

清野清氏については「1992年に事務総長、1995年に会長」とのプロフィールが見つかりました。勝共連合は勝手に名前を使っているわけではありません。少なくとも寺田前大臣の後援会より良心的な団体だと言えそうです。

前田外治氏は2010年代前半に「世界平和連合」の会長だったようです。平和連合の会長は前田氏から太田氏にバトンタッチされたものと思われます。前田氏の名前で検索すると「宗教新聞」がヒットします。

創刊1975年。当初「週刊宗教」としてスタート。1979年より故松下正寿氏を社主とし黛亨氏を編集長として、紙名を「宗教新聞」に改め再スタート。社是は「精神革命の旗手」「宗教連合の具現」「地上天国の実現」。2003年から前田外治が社主、編集長は多田則明。

宗教新聞>お申し込み

松下正寿氏と言えば「世界平和教授アカデミー」の初代会長です。リスト外の教団関連団体はまだまだあるのでしょう。前田氏は2010年代半ばに「世界平和宗教連合」の会長も務めています。

國時昭彦氏は世界日報の社長を務めていたようです。1800双の国時氏の次女は文鮮明氏の孫・文信一氏に嫁いでいます。

横田一芳氏は「平和大使医療者フォーラム」事務局長のようです。777双の上崎道子・元一心病院院長の追慕集にも寄稿していることから医療関係者であろうと思われます。勝共連合の「会長」とはあまり結びつかないような気もしますが、届出上では丸4年の在職期間です。

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