早咲きの飛梅、太宰府左遷時は散ったあと?

「るな」か「れそ」か

菅原道真が残したとされている有名な和歌です。出典によって末尾2音が異なります。

東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわするな
東風吹かば 匂ひおこせよ梅の花 あるじなしとて春なわすれそ

るな拾遺和歌集11世紀初頭
るな大鏡11世紀半ば
るな源平盛衰記鎌倉末期
れそ宝物集1180前後
れそ十訓集鎌倉中期
れそ古今著聞集13世紀
れそ太平記1370前後

「(主人がいなくなっても春になったら)匂い起こせ=咲いてくれ」と言っているだけであり、「その香りを東風に乗せて太宰府まで送り届けてくれ」ではないような気がしますが、古語としての「おこす」には「送る」の意味もあるようです。

いつどこで詠んだのかに関しては、太宰府に流される前であり、紅梅殿と称された自邸のようです。

『拾遺和歌集』では、この歌に「流され侍(はべり)ける時、家の梅の花を見侍て(太宰府へ配流される時、家の梅の花をご覧になって)」と添えられている

独立行政法人日本芸術文化振興会>東風吹かば…

流される前の京都であって、流される途中のどこかや大宰府に到着してからではありませんが、到着後と解釈できるような記述も見られます。

旧暦2月1日なら梅は咲いている?

飛梅伝説は梅の香りではなく梅の木そのものが飛んできたというものです。

主人(道真)を慕った梅は、道真が大宰府に着くと、一夜のうちに道真の元へ飛んで来たといわれています。

太宰府市文化ふれあい館>太宰府の伝説

道真一行の太宰府への出発は901年2月1日とされています。今年のカレンダーでは旧暦2月1日に相当するのは3月3日です。北野天満宮の梅苑が公開されるのは2月初旬です。旧暦2月1日なら、早咲きの梅は咲いていたはずです。靖国神社の紅梅は2月末が見納めと言われています。

当時は今より寒かったのかもしれません。西暦901年は記録的寒波だったかもしれませんが、梅の開花時期は紅梅か白梅かで変わるのではなく品種により異なるそうです。一部の梅はもう咲いていて、まだ咲いていない梅の木に声がけしたのが冒頭の和歌と考えれば整合性はとれます。

そうだとすると、不思議な現象があるのです。太宰府天満宮のご神木とされる飛梅が開花したのは今年は1月20日です。この白梅は200種の梅があるという太宰府天満宮で最初に開花するようです。樹齢1000年となると、開花時期は早くなるのが梅の生態というものかもしれません。

早咲きでもう散ったあとの梅の木に「来年もよろしくな」のつもりで詠んだ歌だとすれば、話の辻褄が合わないわけでもありません。

飛松伝説

私が「板宿(いたやど)」という地名を覚えたのは1991年です。当時のグリーンスタジアム神戸に行くルートを調べたときでした。結局は行きも帰りも三宮から地下鉄1本としましたので、板宿駅は通過しただけです。

大宰府に左遷される菅原道真のために、里人が板囲いの宿を建ててもてなしたので、板宿の地名がついたといわれています。

須磨観光協会>須磨区内の町名の由来

板宿駅の近くに神戸市立飛松中学校があります。

飛松中学校
飛松中学校(地理院タイルを加工)

 菅公が京都で大切にされていた桜は枯れ、梅は旅の途上芳しい香りを届けてくれました。しかし松は素知らぬ様子でした。
 菅公は次のような詩を詠まれました。
 梅は飛び 桜は枯るる 世の中に 何とて松のつれなかるらむ
すると一夜にしてこの地に松が飛来してきたそうです。

板宿八幡神社>神社の由緒

板宿八幡神社には飛松の切り株があるわけですが、これは道真本人が詠んだ和歌ではありません。「菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)」という浄瑠璃あるいは歌舞伎の演目に登場するフィクションです。

金沢の飛梅町

兼六園の近くに「飛梅町」という地名があります。

飛梅町
飛梅町(地理院タイルを加工)

近くに「天神町」もあることから、やはり道真関係なのだろうと思っていたら、ブーでした。

前田対馬守長種にはじまる藩の老臣一万八千石前田氏の下屋敷(家中町)があったところで、同家の家紋「角の内梅輪」にちなみ、明治2年、この名がつけられた。

金沢市>飛梅町

たしかに前田家の家紋は梅ですが、これだけでは「飛梅町」とした理由が説明されているとは言えません。金沢市の市章も梅です。家紋の梅は飛んでいるわけではありません。

もう少し掘ってみたところ、前田家は道真の子孫を称していたようです。結局は飛梅伝説に由来する「飛梅町」ということのようですが、飛んできた梅の木がこの付近にあったわけではなさそうです。

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