続・全国祝福家庭総連合会は実在したのか?

未解決の疑問

1月16日付で「全国祝福家庭総連合会は実在したのか?」と題するページを公開しましたが、2つの疑問が解決したわけではありません。
(1)「全国祝福家庭総連合会」は実在したのか?
(2)金元弼氏が初代総会長に就任したのは1993年か、それとも1991年か?

「総会」が開かれた形跡はあります。

2011年10月26日「全国祝福家庭総連合会2011年度総会」
●梶栗玄太郎・日本会長
●小山田秀生・分捧王
●(430双)宋榮涉・総会長、久保木哲子・初代会長夫人
●(43双)周藤健・副会長
●(777双)山岡建雄・777家庭会副会長
●(1800双)笹田俊明・1800家庭会会長
●(6000双)大塚克己・元日本会長
●(6500双)盧鈗化・6500家庭会副会長
●(3万双)安榮燮・30000家庭会会長
●(二世)梶栗正義・室長

「祝福家庭」の「総連合会」ですので、合同結婚式の同期会を集約した形になるのでしょう。ということは、合同結婚式に参加していない信徒は同期会に入れないわけですから「総連合会」の会員にもなれないわけです。

梶栗Jrの肩書が単に「室長」ですが、本来は「◯◯室長」なのだと思われます。日本教会で「室長」の役職は、世界本部長だった趙誠一氏が2017年に日本教会の「対外教協力室長」(→「企画調整室長」)に転身したケース以外に確認できません。

世界本部では、文妍娥氏が現職の「総裁秘書室第一室秘書室長」、鄭元周氏は「第二室秘書室長」です。更迭された尹煐鎬氏は「総裁秘書室副室長」の時期があります。2011年は玄太郎会長時代ですので、梶栗Jrは「会長秘書室長」だったのかもしれません。

さて、「777双家庭会」の山岡副会長は「祝福40周年を迎えた昨年から本格的に活動を始め」たと語っており、「6000双家庭会」の大塚元日本会長も「現在まで4回の家庭会」を開いたと話しています。「3万双家庭会」が第1回総会を開いたのは2011年だそうです。

1991年なり1993年なりの時点で「総連合会」が組織化されていたとは思えません。形式的にはあったのかもしれませんが、実質を伴うものではなく、やはり「総会長」のポストが先だったものと思われます。

総連合会が主催の会合

翌2012年には「総連合会」の主催名義で「43双」の43周年祝賀会が開かれています。年末に亡くなる梶栗会長は5月にはすでに病床にあったようです。

2012年5月12日「四十三家庭祝福四十三周年記念祝賀会」(主催・全国祝福家庭総連合会)
●花束贈呈:小山田秀生・分捧王夫妻
●ビデオメッセージ:梶栗玄太郎・日本会長
●祝賀と激励のメッセージ:宋榮ソプ・全国祝福家庭総連合会総会長
●祝辞:堀正一・家庭教育局副局長(二世祝福家庭会)
●祝辞:笹田俊明・1800家庭会会長
●祝辞:大塚克己・6000家庭会会長
●祝辞:盧ユンファ・6500家庭会会長
●祝辞:安榮燮・30000家庭会会長
●祝辞:太田洪量・777家庭会会長

「43双」の43周年は可能でも、「777双」になると777周年には誰も生存していないわけです。持続可能性ゼロのイベントを「総連合会」名義で主催するのは、この時期が「総連合会」推しモードに入っていたということかもしれません。

2013年には宋榮燮(宋榮渉)・第7代総会長が退任し、宋龍天・新総会長が就任しています。ここで面白いのはピーターキムこと金孝律・特別補佐官がわざわざ来日していることです。

2013年1月24日「全国祝福家庭総連合会総会長離就任式」
●司会:佐野邦雄・総務局長
●代表報告祈祷:小山田秀生・分捧王
●祝辞:金孝律・特別補佐官
●激励の辞:梁昌植・韓国総会長
●離任の辞:宋ヨンソプ・前総会長
●就任挨拶:宋龍天・新総会長
●送迎と歓迎の挨拶:徳野英治・日本会長
●万歳四唱:古田元男・国際宣教協会共同会長

2018年の宋龍天・総会長退任時は、後任の会長が不在です。日本教会(日本支部)を「日本家庭連合」と呼ぶようになったのは、これ以降と思われます。徳野氏はもともと会長でしたが、李成萬氏は企画本部長と副会長を兼務することになりました。

2018年1月11日「宋総会長離任 徳野会長・李副会長就任式」
●司会:近藤徳茂・総務局長
●代表報告祈祷:田中富広・副会長
●離任の辞:宋龍天・総会長
(李海玉・総会長夫人のメッセージを権相基・総合企画局長が代読)
●功労牌授与:趙誠一・世界本部対外協力室長
●就任挨拶:徳野英治・神日本家庭連合会長
●就任の辞:李成萬・神日本家庭連合副会長
●億万歳四唱:小山田秀生・日本天議苑苑長

で、2020年10月に「天の父母様聖会・神日本大陸会長」の方相逸氏が「総会長」的な立場で復活したことになります。

実在していたが、実体は薄い

「総連合会」があったかなかったかという話なら、あったということになります。ただ、おそらく「総会長」という役職が先にあって、あとから「総連合会」的な組織を整えようとしたのでしょう。

Wikiの年表には次のような記述があります。1998年です。

1月15日 – 劉大行(ユー・テーヘン、430双)が「日本全国祝福家庭総連合会」総会長に就任。韓国の世界宣教師62名が来日、3月11日にも180名が来日。韓国人の幹部が日本の各地区の教会のトップに立つ体制となる。

Wikipedia>世界基督教統一神霊協会の年表 (2023/11/05閲覧)

1960年代の合同結婚式は計705組です。そのうち日本人とされるのは23組と1人ですので、もともと韓国人支配は強かったはずです。巻き戻されたのが1998年で、その前史として「総会長」ポストが設けられたと考えられます。

もう1つの疑問(2)については、私は1991年説を支持します。久保木会長の退任と「総会長」の新設はワンセットだったはずです。ただ、その裏付けとなる情報をまだ見つけられていません。久保木会長は91年9月退任です。

1991年は文鮮明夫妻が北朝鮮を電撃訪問した年ですが、興味深いのは光言社年表のこれです。

9/17 韓鶴子女史日本全国巡回集会(9/18~9/24 信徒大会)

光言社>真の父母様と統一運動の歴史 1990-1999

第2代会長の神山威氏の就任日は9月26日です。日本教会としての初めての会長交代を前に韓鶴子氏が各地を回って地ならししているように見えます。このタイミングで「総会長」のポストが新設されたと考えたほうが自然です。

なお、6500家庭会には、1988年「6500双」だけでなく翌1989年「1275双」も含まれているようです。

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