自治体名採用と神社改称、天孫降臨の高千穂プッシュ

高千穂は2つある

単に高千穂と言えば、一般的には高千穂町の高千穂峡です。高千穂町は熊本県と大分県に接する宮崎県北東端の基礎自治体です。中世には高知尾荘(たかちお-しょう)という荘園があったそうですが、日本書紀に寄せた「高千穂」がプッシュされるのは明治中期以降です。

1889三田井村、押方村、向山村が合併して高千穂村
1920町制施行で高千穂町
1956高千穂町、田村村、岩戸村が合併
1969上野村を編入
▲高千穂町

高千穂村は町村制施行の1889年(明治22年)に発足しています。岩戸村もあったわけですから天孫降臨伝承の地ですが、「十社(じっしゃ)大明神」は1871年に「三田井神社」と改称され、高千穂村成立後の1895年(明治28年)に現社名の「高千穂神社」に改称されます。

高千穂峡が「五箇瀬川峡谷(高千穂峡谷)」として国の名勝と天然記念物に指定されたのは1934年(昭和9年)です。延岡出身のザ・グレート・カブキは1964年に本名でデビューしていますが、最初のリングネームは高千穂明久です。

なお、国鉄・日ノ影線の高千穂線への改称は、高千穂駅が延伸開業した1972年(昭和47年)です。

高千穂町と高千穂峰
高千穂町と高千穂峰(地理院タイルを加工)

一方、鹿児島県境付近にあるのが山頂の天逆鉾(あめのさかほこ、あまのさかほこ)が有名な標高1574mの高千穂峰(たかちほみね)です。高千穂峰は霧島山系では1700mの韓国岳(からくに-だけ)に次ぐ第2峰です。

こっちが本家?

高千穂峰西麓の鹿児島県霧島市牧園町高千穂には高千穂小学校があります。

高千穂小学校

1908年に開校した竜石尋常小学校が高千穂尋常小学校に改称されたのは1921年(大正10年)です。高千穂プッシュは高千穂峡サイドだけではなかったようです。

1903年(明治36年)には新宿で高千穂尋常小学校が開校しています。今は杉並区大宮にある高千穂大学のルーツです。なぜ「高千穂」を名乗っているのかはわかりませんでした。創始者の川田鐵彌(てつや)氏は高知県生まれです。

こうした明治期の高千穂プッシュは、日本書紀の「日向の襲の高千穂の峯に天降ります」に由来するのでしょうが、高千穂峰については改称されたという話がありません。山頂付近は2県4市町の境界ですから、勝手に名前を変えにくいはずです。

温泉のある小学校

ところで、霧島市の高千穂小学校ではプールの更衣室横に温泉が引かれているようです。温泉はホテルが無償提供しているそうです。もともとは学校の敷地内を通過させる形でホテルに温泉を引いたとき、お礼の意味で学校に温泉が出るようにしたということです。

標高の高い位置にあるためプールの授業が終了すると体が冷えるので、入浴することとなっている

Wikipedia>霧島市立高千穂小学校

霧島市立高千穂小学校は標高は510m台です(現校舎)。340m前後の高千穂町立高千穂小学校より高いわけですが、500mなら平地と気温差は3℃ほどです。それほどの標高でもありません。

日本でもっとも標高の高い小学校は長野県南牧村(みなみまき-むら)の野辺山駅近くにある南牧南小学校で1320m台です。南牧南小ではボイラーで沸かして温水プールにしているようです。

霧島市の高千穂小学校の近くにはこんな歩道橋があります。25m先には横断歩道がありますので、ここにわざわざ手の込んだ歩道橋を設ける理由はないはずです。ひょっとすると、温泉を通しているのかもしれませんが、送水管のようなものは見当たりません。

謎の歩道橋

宮崎市の高千穂通りはどこまで?

高千穂峰はJR宮崎駅よりやや低緯度です。宮崎駅を起点に西に向かう道路は真西よりやや北向きで、厳密な方位としては小林やえびの方向ですが、高千穂通りと命名されています。

高千穂通り
高千穂通り(地理院タイルを加工)

橘通3丁目交差点までの県道区間(赤線)が本来の高千穂通りです。1913年の宮崎駅開業に合わせて敷設されたようです。

高千穂通り

青線の国道区間を高千穂通りと呼んでいいのか疑問に思っていましたが、宮崎放送や県立病院が「高千穂通三丁目」だった時代があるようです。

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