千歳烏山の天神橋跡と甲州街道の箒銀杏

千歳烏山駅南口の天神橋跡

京王線・千歳烏山駅は急行停車駅です。改札は3か所あり、西口は地下改札です。西口改札はバリアフリーではありませんが、地下通路は公共通路になっており、踏切なしに南北を行き来できます。西口改札経由で南口を出て2分足らずの場所に「天神橋跡」の標柱があります(緑のマーカー)。

千歳烏山の天神橋跡

この正体はそんなに難しくないはずです。川が暗渠化されたに決まっています。かつての水無川に架かっていたのが天神橋になります。橋の部分がカラー舗装されていますが、元の川幅はせいぜい4mです。問題はこの近くに神社がないことです。小さな橋ですから、名前の由来となった神社はすぐそばにあるはずです。

京王線が敷設された直後の地図には、烏山駅(1913年開業、1929年改称)のすぐ近くに鳥居マークがあります。この鳥居マークが橋の名前の由来となった天神系の神社に違いありません。駅前の神社は1960年代に姿を消したようです。

駅前の天神社は烏山神社に合祀

天神橋跡から東に550m離れた烏山神社を探ってみました。もともとは白山系だったこの神社は、1962年に現社名に改称しています。

昭和37年には町民氏子の大同調和をはかり、町内の神明社、稲荷社、天神社を合併合祀し、又従来の白山御嶽神社を烏山神社と改称する。

烏山神社境内の案内板(Google Mapの投稿画像

天神社の合祀と年代的には一致しますが、駅前の神社が天神社であるとの根拠が示されたわけではありません。さらに探してみると、京王線開通前の古地図が見つかりました。鳥居マークはありませんが「天満宮」の文字が読み取れますので確定だと思われます。

また、複数の個人ブログでは、南口前の民家っぽい建物(ピンクのマーカー)が烏山神社の氏子集会所として紹介されています。合祀は60年近く前です。移転前の集会所がそのまま残っているのではなく、神社の跡地を集会所としたのではないかと思われます。表札もなく郵便受けもない平屋建てですが、築年数的にはちょうど頃合いです。

2019年5月撮影のストビューを埋め込みました。車止めが鳥居の形ですが、ここだけが特別に鳥居型というわけではありません。「水際の散歩道」のほぼ全域がこのタイプです。犬の散歩対策を兼ねた車止めなのでしょう。標柱もかつての欄干の親柱を残したものではなく、歩道を整備したときに誂えた飾りものだと思われます。

代々木3丁目の天神橋跡

京王線沿線の天神橋跡は新宿にもあります。住所的には渋谷区代々木ですが、「新宿」でくくられてしまう地域です。玉川上水が暗渠化された遊歩道に標柱が1本だけあります。2019年6月撮影のストビューです。

甲州街道沿いには箒銀杏天満宮があります。

画像中央のビルの隙間にあるのが箒銀杏天満宮です。甲州街道に合流する一方通行の矢印の右手に「天神橋跡」の標柱(赤丸囲み)は設置されています。

この場所は、天神様の境内として江戸時代の地誌でも確認することができます。明治33年(1900)に代々木八幡宮に合祀されますが、今も根元には天神様の小祠があります。

渋谷区教育委員会の案内看板(Google Mapの投稿画像)

甲州街道の上り車線側からのストビューでは、箒銀杏天満宮の銀杏の木はビルの8階まで達しています(箒を逆さに立てた形に見えるかどうかは保留します…)。銀杏と祠と鳥居を残して、代々木八幡宮に合祀されたのが今から120年前ということのようです。

重機がある時代ではありませんので、移植したくてもできなかったのでしょう。区教委によれば推定樹齢300年だそうです。近くの京王電鉄天神橋変電所が空襲で被災したのは比較的有名な話のようですが、空襲をくぐり抜けたために、結果的には周囲がビルで埋まる運命になったわけです。

甲州街道筋、文化学園の西参道側にある天神社。 江戸時代、元和3年(1617)の創建。大銀杏が残っていることから銀杏天神社と呼び親しまれています。 

代々木八幡宮>年中行事 銀杏天神社例祭

代々木八幡宮のWebサイトではこのように記述されていますので、やはり所有・管理は代々木八幡宮なのでしょう。宗教法人財産ということになります。隣のビルの解体時でなければ、今さらの移植は難しそうです。現状維持が続くのでしょう。

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