北栄町と湯梨浜町の町境を流れる天神川

「水曜どうでしょう」の原付西日本制覇の旅で、金閣寺を出発した一行は城崎温泉に泊まり、鳥取砂丘を経由したあと日本海沿いの国道9号線を離れて、夕方に三朝(みささ)温泉の無料露天風呂につかります。露天風呂は三徳川(みとくがわ)の河川敷にあります。

北栄町と湯梨浜町の天神川
天神川(地理院タイルを加工)

三徳川(緑)は三朝町役場付近で天神川(青)に合流します。天神川の河口付近には天神橋(赤▲)と新天神橋(茶▲)があります。この天神川は、大谷川(ピンク)が合流した田代川(紫)と福本川(水色)の合流地点から下流を指すようです。

ちょうど合流地点を見下ろすように竹田神社(赤丸)があります。また、中流域の三徳川合流地点のやや上流には今泉神社(緑丸)があります。念のためストビューを覗いてみました。竹田神社や今泉神社なら天津神系の可能性があります。残念ながら、一級河川の名称になるほどの神社ではないようです。

やはり天神橋や新天神橋の近くに天神川の由来となった神社はあるのでしょう。天神橋は県道320号線の橋で、新天神橋は国道9号線に架かる橋です。下流域を探してみたら、2つの橋の間の左岸・北栄町(ほくえいちょう)側に最初は見落としていた北野神社(ピンク)がありました。

天神川の旧流路
昔の流路(地理院タイルを加工)

もともと天神川は竹田川と呼ばれていて、東郷池から流れる橋津川に合流していたようです。紫で示したのが元の流路です。江戸時代に北野神社付近から日本海に掘削して今の流路ができて、天神川と呼ばれるようになったということです。

この河道が、現在のように直接日本海に流入するようになったのは、元文年間(1736-40)の河口開削工事によるもので、「天神川変遷略図」によると掘割を東村勘右衛門が設計し、米村所平が施工したとされています。これは北野天満宮がある天神山から東方の長瀬へ続く通称「石山さん」と呼ばれる安山岩の岩を撤去して今日の流路を作ったもので、この時以後天神山の名から天神川と呼ばれるようになりました。この工事によって、永年の間、住民に多大の辛苦を与え続けた天神川下流部の河道変遷に終止符が打たれ、現在に至っています。

国土交通省>天神川

国交省は「元文年間」としていますが、北栄町の教育委員会はそれより前の年代を記載しています。

鳥取藩は、明暦から寛文年間(1660年代前後)に岩盤を砕いて開削し、川筋を北に付け替える大工事を完成した。

Google Map>北野神社の投稿画像(北栄町教育委員会による北野神社の案内板)

2014年8月撮影のストビューです。

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