尾張に瀬戸市、瀬戸内市役所は尾張、瀬戸一家は

尾張と三河の境界は

尾張と三河を隔てるのがその名も境川です。ただし、天気予報の区分では豊田市西部と岡崎市、西尾市の全域は愛知県西部という扱いになります。

尾張と三河を隔てる境川
境川(地理院タイルを加工)

境川が尾張と三河の境界だとしても、境川は岐阜県から流れてくるのではありません。その源流は県内にあり、みよし市と豊田市の境界付近です。それより北はどうなるのかという疑問が生じますが、長久手市や瀬戸市は尾張ということでいいようです。

愛知県瀬戸市は尾張徳川家の直轄事業だった瀬戸物の産地として有名です。陶磁器の産地は西日本が圧倒的に多く、瀬戸は隣接する土岐や多治見とともに江戸時代まで最東端のレベルです。瀬戸物が一般名詞化したのはライバル不在の東日本を制したからなのかもしれません。

瀬戸内市の尾張

「瀬戸」とは流れの速い狭い海峡のことです。内陸部の丘陵地帯にある瀬戸市になぜ「瀬戸」という名前がついたのでしょうか。どうやら山と谷の織りなす地形がまるで瀬戸のようだということのようです。

一般に「瀬戸」と言えば瀬戸内海をイメージします。名鉄瀬戸線の尾張瀬戸駅は1905年の開業当初は「瀬戸駅」だったようです。先に開業した山陽本線の瀬戸駅に遠慮したのか、1921年に尾張瀬戸駅に改称しています。

山陽本線の瀬戸駅は旧・岡山県赤磐郡(あかいわぐん)瀬戸町にあります。瀬戸町は2007年に建部町とともに岡山市に合併され、大都会・岡山は政令指定都市の人口要件を満たしました。

瀬戸内市役所
瀬戸内市役所(地理院タイルを加工)

岡山県瀬戸町が消滅する前の2004年、岡山県邑久郡(おくぐん)の邑久町、牛窓町、長船町の3町が合併して瀬戸内市が誕生しています。瀬戸内市役所の所在地は「瀬戸内市邑久町尾張300-1」です。尾張に瀬戸市があり、瀬戸内市には尾張があるのです。

瀬戸内市邑久町の尾張は、1889年の町村制施行時には尾張村でした。1952年の6村合併で邑久町が発足しています。金沢や浜松や北海道・広尾町の尾張は三河の西隣にある尾張に由来するものですが、邑久町の尾張は開墾地を意味する「お墾(は)り」に「尾張」の文字を当てただけのようです。

つまり、偶然の産物でした。京都市中京区、鳥取県琴浦町(旧・赤碕町)、千葉県君津市の尾張または尾張町もこの部類のようです。

瀬戸一家

六代目山口組の二次団体・瀬戸一家の総裁が、暴力団員であることを隠してオークションで乗用車を落札した詐欺容疑で3月11日に逮捕されています。ディーラーから購入できないのでオークションに参加したのでしょうが、容疑は7年前の話ですから公訴時効ギリギリです。

逮捕された組長は六代目山口組・高山若頭の義弟です(奥さん同士が姉妹)。十代目ですが、初代は井上姓ですので、瀬戸一家の「瀬戸」は地名由来です。

瀬戸一家

地方都市の住宅地にある暴力団事務所はその周囲が駐車場になる傾向があります。画像下の緑の屋根は、宗教団体の施設です。瀬戸一家は幕末から続く博徒で、もともとの勢力は岐阜県にも及んでいたようです。

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