山村新治郎になり損ねた市議会議長

「身代わり進治郎」

日本赤軍による「よど号」ハイジャック事件は1970年春休みの出来事でした。小学生だった私は、ニュースを見ながら帝国書院の地図帳を開いて「板付空港」や「金浦空港」を探しました。

犯人の要求は平壌に行くことでしたが、ハイジャック機はソウル管制に誘導されて金浦空港に着陸します。日韓関係は今よりギクシャクしており、北朝鮮はもとより中国との国交もない時代です。日本政府としては、ソ連経由または赤十字を通じて北朝鮮と接触するしかありません。

ハイジャック機がソウルに着陸したことで話は一段と複雑化しました。いきさつは省略しますが、当時の運輸政務次官だった山村新次郎氏が人質の身代わりとなって北朝鮮に同行することになります。

前年1969年12月には北朝鮮工作員と見られる人物によって韓国の国内線に就航していたYS11機がハイジャックされています。乗客乗員51名のうち39名が解放されたのは2か月後の2月14日で、乗客7名と乗員4名は機体とともに(今でも)北朝鮮にとどまったままです。

金浦空港を飛び立った「よど号」が着陸したのは平壌国際空港より30キロほど手前の美林飛行場(空軍基地)です。

もし北朝鮮が日本赤軍9名の亡命を受け入れないと態度を変えれば、犯人側は山村氏を吊るし上げることになるでしょう。亡命が受け入れられたとしても、北朝鮮が山村氏や乗員を素直に返してくれるとは限りません。

山村氏の悲劇

犯人と山村氏らは4月3日夕方に北朝鮮に渡りましたが、2泊で日本に帰ってきました。センバツの決勝は予定どおりの放映だったと記憶していますので、羽田着は昼前だったはずです(延長戦で箕島が北陽を破って初優勝)。

犯人グループ9名はさまざまな機関を振り回したあげくに不法に出国したわけですが、死傷者ゼロで「解決」したことになります。別に山村氏が難交渉をまとめあげた直接の立役者というわけではないとしても、外形的には山村氏がヒーロー(の1人)です。

この身代わりによって全国的な知名度を得た山村氏でしたが、58歳だった1992年に精神疾患の二女によって自宅で刺殺されています。

今回の中野市議会議長は57歳です。
(1)当初の報道では「搬送できていない男性が1人」いるとのことでした。
(2)議長とは連絡が取れず連絡もないということでした。
意識がない状態で倒れていたら、連絡も取れず連絡もないだろうと私は思っていました。早とちりだったようです。

夜になって「議長は無事」と報じられ、犯人投降後には「搬送できていない男性」が近所の70歳女性だと明らかになりました。山村氏のように実の子供に手をかけられるという悲劇には至らなかったわけです。

議員辞職する必要はあるか?

議長の昨日の動向はまだそれほど明らかにはなっていませんが、自宅で事件が起きていることは夕方過ぎには知り得たものと思われます。息子が犯人かもしれないとは思わなかったのかもしれませんが、家族が巻き込まれていることは知らされたはずです。

もし息子が犯人らしいと感じていたのなら、そこは説得を買って出るのが親として(あるいは夫として)自然な行為ではないかという気もします。議長も被害者の1人と言えなくはありませんが、世間的には加害者の親です。

山村氏はハイジャック犯に対して「これで次の選挙は大丈夫」という主旨の発言をしたとも伝えられています。その下心があったとしても、身代わりで人質になる行為が非難されるいわれはどこにもありません。

家族あるいは地域の危機管理対応としては、警察のネゴシエーターに任せるより自らが説得に出向くのが最善だったように思われます。実際には、表に出ていないだけで電話でやりとりしていたのかもしれません。

だとすれば、別に議員辞職する必要はないのではないかというのが私の理解です。ある意味、山村氏より大きな悲劇に襲われたのかもしれません。

中野市江部の立てこもり現場
中野市事件現場(地理院タイルを加工)

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