占拠事件のときの世界日報社はパルコの裏

世界日報は統一教会の機関紙?

ワシントンタイムズ社は広い駐車場を備えた大理石張りの建物です。

ワシントンタイムズ社

世界日報社が茅場町に移転したのは2017年ということです。ワンフロア100㎡ほどのオフィスビルです。住所的には「日原ビル5F」になっていますが、複数のフロアを借りているのかもしれません。

世界日報社Webサイトの「沿革」のページとWikiから年表をつくってみました。

1975年1月創刊(渋谷区宇田川町)
1982年5月「ワシントン・タイムズ」創刊
1983年10月本社ビル占拠事件
1984年6月副島氏襲撃事件
1989年2月韓国「世界日報」(セゲイルボ)創刊
2006年3月本社移転(渋谷区桜丘町)、東京本社(板橋区)
2009年10月本社移転(板橋区舟渡=ふなど)
2017年8月本社移転(中央区日本橋茅場町)
市川市高谷にメディアセンター設立
▲世界日報社

しばしば旧・統一教会(統一協会)の機関紙かどうかという話になりますが、「機関紙」の定義次第だろうと私は理解しています。聖教新聞社には独立した法人格がありませんが、世界日報は「株式会社世界日報社」です。この観点だけなら機関紙ではないとも言えます。

本来の教団本体の機関紙「中和新聞」は紙媒体としては2009年まで発行され、Web版に移行しています。機関紙なら教団行事をフォローしてもらわないと困りますが、世界日報はそれほど積極的に教団イベントをアピールするわけではありません。

とはいえ、ワシントンタイムズや韓国の世界日報より教団色が強く、日本では一般紙として認知されているとは言えません。いきなりの関係遮断で関連団体にくくられてしまって、もっとも困惑したのが世界日報社かもしれません。広告の問題も生じてきます。

1983年の勝共連合による占拠事件

機関紙色を脱しきれないのは、1983年の占拠事件が今も尾を引いているからだと思われます。

国際勝共連合理事長梶栗玄太郎ら約百人が、東京都渋谷区宇田川町の統一教会本部が入居していた『ワールドビル』[注5]内にあった世界日報社事務所に押しかけて社内を占拠し、社員を監禁・暴行した。

Wikipedia>世界日報(2023/10/06閲覧)

Wikiの注5には「現・宮坂ビル」とありますが、これは誤りです。宮坂ビルは松濤本部の真向かいにある愛美書店が入っている地下1階地上4階建てのビルで容積率は400%です。

旧・ワールドビル
旧・ワールドビル(地理院タイルを加工)

世界日報が入居していた「旧・ワールドビル」は、2008年に建て替えられて今は「JouLe SHIBUYAビル」という名称です。パルコの裏で容積率が700%になります。建て替え前は、いかがわしい系の店舗もテナント入居していました。赤ではなく青が正解です。

当時の編集局長・副島嘉和氏は「約百人の男たちが、東京の渋谷にある九階建てのビルの裏口にはいった。昭和五十八年十月一日の正午である」と記述しています。宮坂ビルの土地に9階建ては建てられません。

【外部リンク】
■六マリアの悲劇・真のサタンは、文鮮明だ!!>これが『統一教会』の秘部だ

教団広報局長だった副島氏が世界日報に送り込まれたのは1980年だそうです。副島氏は機関紙色を薄めることで有料購読者数を7000人から3.5万人に引き上げ、教団や勝共連合からの資金援助を受けない新聞社にしたそうです。

文鮮明氏はこれがお気に召さなかったようです。「独立」されるとコントロールできなくなると考えたのかどうかわかりませんが、当時の梶栗玄太郎・勝共連合理事長をボストン沖のマグロ釣り研修に呼びつけて「世日を大掃除し、人事を一新せよ」と命じます。

帰国した梶栗氏は約100人を引き連れて世界日報社を占拠したそうです。力づくで役員を閉じ込めたり、社員に怪我を負わせたりして警察沙汰にしなくても、普通に取締役会や株主総会で解任すればいいだけの話だと思われます。そういう体質だったのかもしれません。

「文藝春秋」1984年7月号に「これが『統一教会』の秘部だ – 世界日報事件で『追放』された側の告発」と題する告発手記を書いた副島氏は、月刊誌の発売1週間前に自宅近くで何者かに刃物で襲われて瀕死の重傷を負います。犯人は捕まっていません。

歴代社長

初期の社長は久保木修己・初代日本教会会長です。初代社長かどうかは確認できていません。占拠事件後に石井光治・第6代日本教会長と梶栗玄太郎・第12代日本教会長が共同社長として送り込まれます。

国時昭彦()1975年「1800双」祝福。「思想新聞」編集長。「国際勝共連合」組織局長。「世界日報」編集局長、副社長、社長。ドミニカ国家メシヤ。「世界平和連合」中央本部事務総長。長女・詩織が文鮮明の孫・文信一と祝福結婚。

木下義昭(きのした よしあき、-)1998年「株式会社世界日報社」代表取締役社長(-2014)。「株式会社サンエイト」代表取締役。

竹林春夫()1975年「1800双」。「世界日報社」那覇支局長。社長(2015-17)。

※2017年退任と思われます。

黒木正博(くろき まさひろ、-)「世界日報社」広報局長(2000)、論説室長、社長(2020-23)。

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