自彊高校

今は存在しないようですが、かつて「東京自彊術クラブ」という名称の社会人野球チームがありました。私は都市対抗予選やクラブ選手権予選で3回見ています。

  • 1994/06/01(府中)2-11さくら銀行
  • 1995/06/03(府中)1-5東京ガス
  • 2001/05/04(府中)5-9全府中野球倶楽部

春日部共栄高校から明治大学を経てヤクルトに入った橿渕聡という選手もいましたが、スコアをつけていた身としては画数の多い「彊」や「橿」にゲンナリしていたことを思い出します。

けっして根に持っているつもりはありませんが、今でもこうしてスイスイ連想が進むのですから、それ相当のインパクトがあったのでしょう。

自彊術普及会という公益社団法人は現存します。自彊術とは(似て非なるものかもしれませんが)気功術のようなものだと私は理解しています。東京自彊術クラブはその関係の選手を中心に構成されたチームだと聞いたことがあります(定かではありません)。

1985年夏、KKコンビのPL学園は決勝戦で宇部商にサヨナラ勝ちして優勝を果たしました。この年のウラ優勝校が広島の自彊(じきょう)高校になります。福山市にあった公立高校です。2011年3月末で神辺(かんなべ)高校に統合されて、閉校となっています。

校名について、Wikipediaには次のような記載があります(2017/08/27現在)。

「自彊」(じきょう)という言葉は中国の古い書物である易経の中に出て来る。「天行健、君子以自彊不息」という語句から採用されたもので、「自ら努力し励む」という意味をもっている。

「彊」は訓読みでは「つと(める)」です。旧・自彊高校の校舎は現存し、2013年に広島県立福山北特別支援学校が移転しています。ストリートビューは2013年10月撮影のものしかありませんでした。

米内沢高校

2003年夏の高校野球決勝は、ダルビッシュの東北高校を常総学院が継投でかわして優勝しています。ウラ優勝校は秋田県の米内沢高校です。「よねうちざわ」では変換できませんでした。読みは「よないざわ」のようです。

米内沢高校は2003年当時には北秋田郡森吉町にあったようですが、森吉町は2005年3月に同じ北秋田郡の鷹巣町、合川町、阿仁町と合併して北秋田市になっています。北秋田市の名称は単に郡名を新市名にしただけのことのようです。

米内沢高校の閉校は2013年3月末です。北秋田市内の秋田県立鷹巣高校、秋田県立鷹巣農林高校、北秋田市立合川高校の4校が統合され、鷹巣農林高の校地に秋田県立秋田北鷹(ほくよう)高校が発足しています。

米内沢高校のWebサイトは現存しますが、もちろん統合後は更新されていません。Google EarthプロでWebサイト記載の所在地「秋田県北秋田市米内沢字長野岱118- 1」を検索してみました。

囲いのある野球場らしき施設と陸上のトラックが見えます。これは2010年10月に撮影された衛星写真です。その左側にある建物群が米内沢高校になるはずです。ストリートビューは2014年7月撮影のものしかありません。

この時点ですでに更地になっています。痕跡を探してみたところ、道路沿いに石碑が見つかりました。「六十五年の」、「一万人余の」という断片的な文字を読み取ることができます。石碑の下部に彫り込まれているのは校歌なのでしょう。

同校Webサイトによれば開校は1945年とされています。学制改革による新制高校は1948年4月に始まっていますので、起算点を1948年とすれば石碑の「65年」と一致します。ここで間違いはないようです。

せっかくですからGoogle Mapで距離計測してみました。陸上のトラックは300mのようです。野球のグラウンドはホームからセンターまで120m級です。2003年当時は2クラスかせいぜい3クラスだったはずです。

広さだけなら贅沢な環境だと言えるのかもしれませんが、部員がそう多かったわけではないでしょう。外野の草刈りを思うと、羨ましい環境だったわけではないはずです。現存しないということは、そういう妄想に浸れるということでもあります。


【2019/05/16追記】
2016年5月の航空写真では校舎跡もグラウンド跡もともに太陽光パネルが敷き詰められています。また、「米内沢」という地名については、どうやらアイヌ語由来であることがほぼ確実と思われます。

「あれが多くいる沢」という意味の「イオナイ」が「よない」になったようです。この場合の「あれ」とは、クマもしくはヘビだそうです。
2019/05/12北海道の「別」はアイヌ語の川

岩泉高校田野畑校

ウラ優勝校の中にはすでに閉校となった高校も含まれています。2006年、オモテの優勝校はハンカチ王子こと斎藤佑樹を擁した早稲田実でした。決勝は駒大苫小牧との延長15回引き分け再試合です。

この年のウラ優勝校が岩手県の岩泉高校田野畑分校です。岩泉田野畑高は2012年に本校である岩泉高に統合されて閉校となっています。2011年11月撮影のストリートビューです。

最新のストビューは2015年8月撮影分です。校舎はすでに取り壊され、更地になっています。校舎の玄関は赤っぽい舗装部分の奥にあったものと思われます。

ちょっと意外ですが、田野畑村は沿岸部であり、本校のある岩泉町は内陸にあります。赤のマーカーが田野畑高の旧所在地、青のマーカーが岩泉高校です。両者の直線距離は12~13kmですが、道のりでは20kmを超えます。

地図の右上にある田野畑駅は三陸鉄道北リアス線の駅です。田野畑高校の閉校は形式的には2012年3月31日になるものと思われます。翌4月1日、北リアス線の陸中野田駅~田野畑駅間が営業を再開しています。

田野畑村の人口は2017年8月1日現在で3,559人だそうです。村のWebサイトでは2008年1月の通巻491号以降の「広報たのはた」を閲覧できます。さすがに2011年4月号は発行されていませんでした。

ウラ優勝校は京都・堀川高校

旧「セットポジション」には「選手権大会ウラ優勝校」と題するページがありました。2001年1月に公開したものです。

今年の優勝校は花咲徳栄高校だったようです。で、2008年以来10年ぶりに私はウラ優勝校を辿ってみました。

  • 花咲徳栄14-4広陵12-9天理13-9明豊9-8神村学園3-2京都成章
  • 京都成章12-6龍谷大平安8-0西城陽5-3北稜2-1京都共栄11-4南陽3-1堀川

このウラ優勝校のページを最初にネットに投げたのはおそらく私です。誰かが引き継いでいてくれると嬉しいという思いがあります。恐る恐る検索してみると、ちゃんと存在しました。

私は1991年から2008年までのウラ優勝校を列挙したわけですが、こちらのサイトでは1978年まで遡っています。というわけで、2017年の堀川高校を加えた延べ40校(青谷がV2)をGoogleさんのMY MAPに落とし込んでみました。

この新サイトにおいては、MY MAPが活躍することになるはずです。とりあえずの第1弾です。なお、スコア等はパクりましたが、明らかに誤りと思われる3か所ほどは訂正しています。改めて調べてみたいと考えています。

「わたし」と「あたし」

精密DX-Gによる第112回ヒトカラ選手権の予選第1ラウンドが終わりました。97点オーバーは「パステルラヴ」、「いい日旅立ち・西へ」、「ひまわりの丘」、「三枚の写真」、「M」の5曲でした。

96点台後半が「秋の気配」、「七色のスターダスト」、「キミノアト」、「揺れる想い」、「君への道」、「さらば恋人」です。入賞ラインは97点台中盤、イチ抜けラインは98点台に落ち着くものと思われます。

ラスト31曲目に歌った堺正章「さらば恋人」は、どうやらヒトカラでは初めて歌った曲のようです。精密2の時代の記録を調べたところ、「街の灯り」は見つかりましたが、「さらば恋人」は入っていませんでした。

はるか昔にタカラで歌った記憶があります。この趣味を始めてもう10年近くになるというのに、そんな曲がまだ残っていたとは意外です。初めて歌って96点台後半なら、今シリーズのうちに98点台に届くかもしれません。

さて、DX-Gですからエントリー曲について今回も縛りはかけませんでしたが、次回の精密DX無印では「自己ベスト91点台の曲」縛りとし、その次は「ビブラート8/10を出したことのある曲」縛りとします。

今回のエントリー曲は第110回を一部差し替えただけです。春を待つ曲である「東京メルヘン」をこの季節に歌うのは、さすがに気が引けます。で、「東京メルヘン」については、同じ木之内みどりの「横浜いれぶん」に差し替えました。

1976年11月発売の「東京メルヘン」では一人称名詞である「私」が3回出てきます。

▲2017/12/10 歌詞掲載部分を削除しました。「わたし」と「あたし」については、サブブログ「寂しい/淋しい/さびしい/さみしい」でフォローしていきます。→「【あたし】横浜いれぶん/木之内みどり/1978年」

30曲目に歌った有安杏果「心の旋律」には、歌詞表示がひらがなの「あたし」が6か所あります。ブルーレイ付属のライナーノートでも、ひらがな表記で「あたし」です。

女性曲を歌うことの多い私にとって、この「わたし」と「あたし」は非常に興味深いテーマの1つです。ビジネスメールでの「あたし」はNGでしょうが、書くときは「私」でも口にするときは「あたし」というケースは多いはずです。

1970年代の「わたし」と「あたし」には、かなり隔たりがあったように私は理解しています。「わたし」のほうがある意味で上品であり、「あたし」は良く言えば庶民的です。

1980年代初頭の少女漫画「いつもポケットにショパン」で、主人公の須江麻子が幼馴染の緒方季晋と電話で会話するシーンがあります。ケータイ電話など想像すらしていなかった時代の物語ですから、もちろんイエ電です。

緒方季晋は麻子と麻子の母親である須江愛子の声が似ていること、麻子は「あたし」と言い、愛子は「わたし」と言うことから、電話口でも両者を区別できることを指摘します。

私が「わたし」と「あたし」を気にし始めた最初のきっかけかもしれません。

 

川嶋あいの「旅立ちの日に…」でも、DAMの歌詞表示は「私」に「あたし」のルビがあり、音源を聴いても「あたし」と歌っています。このテーマは今後も定期的に扱い、最終的には固定ページに集約したいと考えています。

(1)時代とともに「あたし」派が増えてきた。ただし、公私で使い分けられていることが多い、(2)「あたし」は西日本ほど勢力が強い、という仮説を掲げておきます。